かつて「原子」は、もうそれ以上細かく分けることのできない単位とされていた。その常識はいつ、どのようにひっくり返ったのか。人類が「原子」の姿を捉えた実験とは? 化学が人類の歴史にどのように影響を与えてきたかを紹介する話題のサイエンスエンターテインメント『絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている』(左巻健男著、ダイヤモンド社)から一部を抜粋・編集して解説する。(JBpress)
壊れないはずの原子が壊れた
19世紀末から20世紀はじめにかけて、これまでの自然科学の常識(原子は、もうそれ以上細かく分けることのできない、物質の一番小さな単位である、など)がひっくり返るような物理学上の新発見が次々と起こった。
まずドイツのヴィルヘルム・レントゲン(1845~1923)がエックス(X)線を発見した(1895年)ことがきっかけになり、フランスのアンリ・ベクレル(1852~1908)の放射線の発見(1896年)や、マリー・キュリー(1867~1934)らのトリウムの発見、ポロニウムとラジウムという放射性物質の発見が続いた(いずれも1898年)。
さらには、イギリスのジョゼフ・ジョン・トムソン(1856~1940)の電子の発見(1897年)、マックス・プランク(1858~1947)の量子論(1900年)、アインシュタイン(1879~1955)の特殊相対性理論(1905年)が発表されたのだ。
ある日、ベクレルは黒い紙に包んだ写真乾板を、ウラン化合物と同じ引き出しに入れた。数日後に眺めると、写真乾板が感光している。つまり、ベクレルは、ウラン化合物から黒い紙を透過するX線に似た目に見えない放射線が出ていることを発見したのだ。
マリー・キュリーは、ウランなど放射性物質が持つ放射線を出す能力を「放射能」と名づけた。彼女は、博士論文のテーマにウラン化合物やトリウム化合物を選び、トリウムも放射能を持つことを示した。また、ピッチブレンドという鉱物が強い放射能を持つことから、そこにはウランよりも放射能が強い元素(原子)がふくまれていると推測。ポロニウムを発見し、さらに夫ピエールと協力してラジウムを発見した。
4トンの鉱物のなかから、せいぜい0.3グラムしかないラジウムや、もっと少ないポロニウムを取り出せたのは、これらの原子が出す放射線を手がかりにしたからだ。
ポロニウムやラジウムなどの放射性元素は、もはやそれ以上分割できない、不生・不滅の粒子としてのアトム(分割できないという意味)という旧来の知識を一新した。たとえば、ラジウムの原子はヘリウム原子を出して他の原子に変化するのだから、それまでの「原子は決して壊れないもの」という考えは通用しなくなったのだ。
原子の内部はスカスカ
19世紀末、イギリスのジョゼフ・ジョン・トムソンは、真空放電の際に陰極(マイナス極)から出る「陰極線」を研究していた。金属の電極を取り付けたガラス管内を真空に近い状態にして電極に高い電圧をかけると陽極(プラス極)付近のガラス管が光るので、陰極の金属から「何か」が放射されると考えられた。これが陰極線である。
電圧をかけると陽極側に曲がる実験結果から、トムソンは、陰極線は負電荷(電荷はあらゆる電気現象のもとになるもの)を持つ電子の流れであることを発見。また、陰極の金属の種類を変えても、同様の陰極線を発生する実験結果から、「電子」はすべての原子に共通してふくまれていることも発見したのだ。
原子の内部についてもっとも驚くべき研究結果はイギリスのマンチェスター大学のアーネスト・ラザフォード(1871~1937)らによるものだった。1909年、ラザフォードとハンス・ガイガー(1882~1945)の指導のもとに、アーネスト・マースデン(1889~1970)はラジウムを粒子の放射源にして、真空中で一方向に向いた細い穴から「α粒子」(ヘリウムの原子核)を薄い金箔に向けて発射した。10万分の5センチメートルの金箔には金の原子が1000列ほどぎっしりと並んでいた。
大部分のα粒子は後方に置いた蛍光板に当たってはパッと光った。このことはモノのなかをα粒子が前方に通り抜けたことを示している。
ところが2000個に1個程度は、まるで何かにぶつかったかのように、とんでもない横のほうに飛び出したのである。
実験結果から、ラザフォードは、「原子が占める空間はスカスカで、中心にα粒子(正電荷)と反発する、正電荷を持つ原子核があり、原子核は原子全体と比べるととても小さい」ことを予想して、(原子の中心の正電荷を帯びた)原子核のまわりを電子が回っている「原子模型」を提唱したのである。
その後、原子核は正電荷を持つ陽子と、電気的に中性の中性子からなることがわかった。1932年、ジェームズ・チャドウィック(1891~1974)による発見だ。
原子核にふくまれる陽子の数は元素によって決まっており、この数を元素の「原子番号」という。また、原子の質量は電子が極めて軽いため陽子と中性子の数でほとんど決まり、陽子の数と中性子の数の和を「質量数」という。
電子はどこにいるのか
原子については次のことを知っておこう。
・原子は、おおよそ1億分の1センチメートル程度の直径である。
・原子核の直径は、原子の直径のおおよそ10万分の1~1万分の1程度である。仮に1万分の1とすると、原子の直径を東京ドーム1個分とした場合、そのなかの原子核の直径は1円玉程度である。
・原子核は、正電荷を持った陽子と電気的に中性な中性子からなっている。
・まわりにある電子は非常に小さく、重さで考えると水素原子核の約1800分の1ほどである。したがって、原子の質量はほとんど原子核(陽子+中性子)の質量と考えてよい。
・電子はバウムクーヘンやタマネギのように原子核のまわりに層状になっており、それぞれの部屋(電子殻)のなかに何個かずつ割り当てられて存在している。もっと詳しく言うと、電子は原子核のまわりに無秩序に存在しているのではなく、とびとびに存在する電子殻のなかにいる。電子殻を内側からK殻、L殻、M殻・・・といい、それぞれに定員があり、K殻には2個、L殻には8個、M殻には18個の電子が入る。
現在では、電子という粒子の軌跡は追跡できるようなものではなく、波の性質が強く表れて、原子全体に広がって存在しているというモデルになっている。イメージとしては、電子の存在確率に対応した濃淡のある「電子雲」が原子核を取り巻いているというものだ。
ただし、各電子の高い存在確率が重なったところは電子殻に対応しており、電子殻のモデルもある程度、原子の実態を反映している面がある。
化学は、物質の構造と性質および化学反応が3本柱である。物質の構造とは、物質のなかでどのような原子たちがどのように結びついているか、それらがどのように立体的に配置されているかなどのことだ。
原子論の確立、原子構造の探究の歴史は、化学反応の設計図をより確かなものにしてきた。そして、化学の知識は、工業、農業、医学など、すべての技術に応用されているのだ。
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