いまや少数派となりつつあるエンジン4基の「四発機」。基本的にこれらの機体のエンジンは主翼下についているなか、あえて胴体後部にすべてのエンジンをつけたのが英国の「VC-10」です。このようになったのはなぜでしょうか。

1962初飛行の「4発リアジエット機」

ボーイング747エアバスA380など、エンジンを4基搭載する「四発機」は、燃費効率の良いエンジン2基の双発機が台頭したことなどから少数派となっています。その活躍の場は、いまや風前の灯と言えるでしょう。

四発機の多くは、主翼の下に、左右に二基ずつエンジンを取り付けています。これは1950年代から60年代、アメリカのボーイング707やダグラスDC-8などを中心としたジェット旅客機の「第一世代」が中距離国際線の花形だった時代にスタンダードとなっています。ところがこの時代には、現代からすれば異形ともいえるエンジン配置を実現した旅客機もありました。

代表的なのが、イギリスの航空機メーカー、ビッカース・アームストロング社が手掛けた「VC-10」です。このモデルは、エンジンが胴体最後部に左右二発ずつまとめられた「四発リアジェット」というスタイルで、1962(昭和37)年に初飛行しています。

このVC-10旅客機としてはヒット作にはなりませんでしたが、ミリタリーの世界では、イギリス空軍(RAF)が空中給油機として採用したことで、名のしれた機体のひとつとなりました。どのような経歴を辿ったのでしょう。

第2次世界大戦後のヨーロッパは、かつての大英帝国イギリス)、飛行機の製造技術的に秀でていたドイツ、航空先進国であったフランスなどが戦後の混乱から抜けつつあり、ようやく民間旅客機を作り出すスタートに立とうかという時代でした。

そのようななか、イギリスでは、戦後の民間航空界を見通す「ブラバゾン委員会」という組織が立ち上がります。ここでは、まだプロペラ駆動のレシプロ旅客機などが主流であった当時の民間航空界において、その後のエンジンの発達を見据えて、現代のプロペラ機の主流となっているターボプロップ旅客機や、中長距離のジェット旅客機をはじめ、ヨーロッパ域内を飛び回れる短距離ジェット旅客機や、超大型ターボプロップ機といった、多様な旅客機を構想していました。

「VC-10」誕生の背景とは

この原案が実用化されたのが、1949(昭和24)年初飛行のイギリス初のジェット旅客機であるデ・ハビランドDH.106コメット」です。ただ、実用化に向け技術的な課題に苦闘している間に、707やDC-8といったアメリカの航空機メーカーにシェアを奪われてしまいました。

当時イギリス最大の航空会社だったBOAC(英国海外航空。現在のブリティッシュ・エアウェイズ)は1950年代、ボーイング707にロールズ・ロイス社のエンジンを搭載して運航していました。しかし旧英連邦アフリカ線のなかには、標高が高い空港も。高度が高いと空気が薄くなることから、離着陸にはエンジンパワーが必要です。ここに就航するに際し、707はパワー不足を露呈したため、BOACは、国内の航空機メーカーへ、こういった路線に対応できるジェット旅客機の開発を依頼します。

依頼を受けたのは、「コメット」を開発したデ・ハビランド社、老舗の旅客機メーカーのハンドレページ社、そして、まだ当時草創期だったジェット爆撃機を開発しイギリス空軍(RAF)で採用されたほか、ターボプロップ旅客機バイカウントを開発していたビッカース社の3社でした。

そのようななか、これらイギリス国内航空メーカーの統合などの動きもあり、政府もBOAC社の要求を満たす機体の開発に関与します。その結果、デ・ハビランド社の構想をベースにビッカース社が開発に着手することとなりました。これが、のちのVC-10です。

4発リアジェットという、今でもめったに見ないエンジンレイアウトの設計の主眼としては、要求にしたがって離陸性能をとにかく上げることだったといえるでしょう。

エンジンを主翼に設置しないことで、強力な高揚力装置を装備できるようになりました。また、「コメット」では、翼と胴体の付け根にエンジンを搭載する方法が採用されていましたが、いくつかの難点があり、尾部にエンジンを搭載することになりました。

加えて、胴体後部にエンジンが鎮座しているため、水平尾翼を垂直尾翼の上部へT字型に配置しています。これは、離着陸性能において、主翼からの後流の影響を受けにくくなり、効率が高いデザインといえます。

この設計により、BOACからの要求を満たすことができたのですが、時代が味方につきません。運航を開始する頃には、エンジンが発達して機体の性能が上がり、わざわざ路線固有の性能を持つ機体の必要性がなくなってしまったのです。

不遇のVC-10に拾う神あり!

ここで、VC-10の命運は尽きたかに見えましたが、別の分野で、活躍の場がほんの少しだけ広がることになります。イギリス空軍がこのモデルを、空中給油機タンカーとして発注してくれたのです。

これは、VC-10のエンジン配置が有利に働いたことも一因です。主翼にエンジンが無いことから、主翼に給油用の受口部を取り付けでも火災の危険性が少なく、給油を受ける機体にとっても燃料の補給が受けやすい形だったのです。

VC-10の給油母機型は、民間機からも改修されて機数を増やし、航空路線から引退した後も同軍の縁の下の力持ちとして働き、何度か極東エリアにも飛来しました。旅客型の運用は比較的短い活躍期間で終わってしまったものの、給油母機型は、2013(平成25)年まで活躍しています。

ちなみに、旧ソ連時代にイリューシン設計局が、Il-62というエンジンを胴体後部に4機搭載した、なんともVC-10にそっくりなジェット旅客機を開発しており、これを、アエロフロート航空が日本線へ投入していました。独特の甲高いエンジン音を響かせて、黒煙を引いて離着陸する姿は、力強く見えた記憶があります。筆者はVC-10の現役時代を見ることができなかったのが、なんとも残念です。

BOAC塗装のビッカースVC-10(画像:Tony Hisgett[CC BY-SA〈https://bit.ly/2RQ5MsE〉])。