エンターテインメント王国・アメリカの音楽界において権威とも言える「ビルボード」のヒットチャートのトップに、日本人プロデューサーがその名を刻んだというニュースが舞い込んできた。

【画像】ビルボードから贈られた認定プラークを抱えるTRILL DYNASTYさん

全米1位の座を勝ち取ったのは、茨城県を拠点に活動している音楽プロデューサーのTRILL DYNASTY(トリルダイナスティ)さん。

2020年12月にリリースされ、翌2021年1月にビルボードチャートのR&B/HIP HOP部門で1位を記録したアメリカ人ラッパー、Lil Durk(リル・ダーク)さんのアルバム「The Voice」。TRILL DYNASTYさんは、同アルバムから先行シングルとして発表された表題曲「The Voice」にプロデューサーとして参加している。

チャートを制したのは今年1月のことであったが、このたび“プラーク”と呼ばれるビルボードの認定飾り額がTRILL DYNASTYさんの元に届き、5月18日のInstagramの投稿で晴れてその喜びを伝えている。

ちなみに過去の日本人によるビルボードチャート首位は、1963年に「上を向いて歩こう(SUKIYAKI SONG)」で1位となった坂本 九さんをはじめ、シンセサイザー奏者の喜多郎さん、ジャズピアニストの松居慶子さんらの例がある。しかし、ヒップホップの本場、アメリカのビルボードR&B/HIP HOPアルバムチャート首位の作品をプロデューサーとして手掛けたのは日本人初であり、快挙であることは間違いない。

なお、Lil Durkさんのアルバム「The Voice」はこれまでに全米で約50万枚を売り上げており、RIAA(全米レコード協会)のゴールドディスクにも認定。TRILL DYNASTYさんは日本人プロデューサーとして、ゴールドディスクも手にすることとなる。

■最初は、ドレミのドの音も分からなかった

TRILL DYNASTYさんは、1992年茨城県北茨城市生まれ。今も茨城県内を拠点に活動している。「今回の受賞が個人としてありがたいのはもちろんですが、茨城のためにもなると思います。それだけで幸せです」と率直な気持ちを語った。

彼が音楽の道に目覚めたのは、21歳の時。地元のクラブでDJキャリアをスタートさせたことがきっかけだった。東京都内でもDJ活動に邁進するうち、音楽を通じてより自分の個性を出していきたいと考えるようになる。しかし、音楽的な素養はなかった。「プロデューサーを目指し始めた時は、ドレミのドの音も分からなかった。気合と根性でここまで来ました」。

彼が最初から見据えていたのは、ヒップホップの本場、アメリカ。「僕は、すべてにおいて人より始めるのが遅いタイプなんです。そこに劣等感を覚えていました。だからこそ、日本でコツコツやるよりも、海外で一発当てて有名になることを目指していました」。

毎日のように自分のビート(曲)を完成させ、憧れのアメリカ人音楽プロデューサーたちにインスタグラムでDM(ダイレクトメッセージ)を送っていたという。「1日20件のDMを送ることを日課にしていました。最初はしつこいと言われたけれど、それでもめげずに送り続けたら海外のプロデューサーたちが僕をフォローしてくれるようになったんです」。

先述の楽曲「The Voice」でも顕著なように、TRILL DYNASTYさんが得意とするのはピアノの音色が特徴的な、哀愁漂う作風。自分の特徴的なサウンドが形成された理由を、こう説明してくれた。「僕が一番憧れていたのは、鍵盤が弾けるプロデューサーでした。それに、人一倍苦労を味わってきたようなイカツいラッパーたちがきれいな音色に乗せてラップをしていると、いっそう哀愁を感じるんです。ブルージーな匂いが漂ってくる。そういう世界にすごく惹かれました。鍵盤やオルガンの音は、ジャズやブルース、ゴスペルといった黒人音楽のルーツともつながってくるし、そうした要素が融合しているところに魅力を感じますね」。

「『The Voice』がリリースされてから、もう半年くらい経っています。今回、こうしてビルボードに認定されたことはもちろんうれしいですが、これは自分の夢に向かう通過点の一つ。自分の熱量は、すでに次のプロジェクトに向かっています」。すでに、別の海外ラッパーへの楽曲提供が控えているとも教えてくれた。

「目指すのはグラミー賞」―― 最後に自らの夢を力強く語ってくれたTRILL DYNASTYさん。それが現実となる日も、もしかするとそう遠くないのかもしれない。

取材・文=渡辺志保

※記事中に一部事実と異なる表記があったため修正しました(5月22日11:08)

日本人ヒップホッププロデューサーのTRILL DYNASTYさん/※写真は本人提供