クリエイティブ産業の現場では、さまざまな事件が起きる。報酬の未払い、無償の労働、ハラスメント、無断の著作物二次利用――。

こうしたあり方に一石を投じる同人誌が、この8月に誕生する。『作家の手帖』だ。会社員として働きながら作家活動を続ける笠井康平さん、小澤みゆきさんの2人が編集長をつとめる。

1冊の本が読者のもとに届くまでの流れを目次とする同誌は、制作の過程をウェブで公開する。執筆時の条件などを規約で定め、報酬額を明らかにして書き手や制作スタッフを募り、原稿の草案から完成までをすべて見せる。

これら実験的な試みの数々は、笠井さん・小澤さんの実体験や創作にかかわる人々に聞いた悩みから生まれたという。

クリエイティブ産業を支える作り手たちは、現在どのような問題を抱えているのか。そして『作家の手帖』による実験の背後にある意図とは。編集長2人に話を聞いた。(ライター・松本香織)

●「本ができるまでをすべて公開する」という試み

――『作家の手帖』創刊にあたり、どのような問題意識があったか教えてください。

笠井康平さん(以下、笠井):去年の11月にふと「『特集:原稿料』で同人誌作れそう」とツイートしたら、僕のアカウントでは珍しいくらい反響があったんですね。学生、若手の芸術家、ベテランの作家まで、さまざまな方がいました。

ウェブライターは報酬の単価が安くなりがちで身分も不安定になりやすいと嘆き、ベテランの歌人は原稿用紙1枚あたりの最高単価をつぶやく。業界は違っても、多くの方に思うところがあるとわかりました。

ちょうどそのとき、文芸雑誌の「早稲田文学」からの依頼で、クリエティブ産業を志す若者向けに「文化と経済をめぐるブックリスト」を書き終えたところでした。ありがたいことに依頼仕事も増えつつあって、そろそろ開業届を出すべきかとも考えていて。自衛のためにも後学のためにも、同時代の作り手が経験した苦労話を聞いてみたいと思ったんです。

それで調べたところ、1978年刊行の『原稿料の研究』という本が見つかりました。これが面白いんです。原稿料をめぐる年表、売れっ子作家の体験談を集めた短文集、編集者の匿名座談会、印税や原稿料に関する法律知識まで扱っていて。

「職業としての文筆業」をテーマにした書籍はほかにも見つかりました。しかも、なぜか10〜15年おきに出ているんですね。最近では八木書店『作家の原稿料』(2015年刊)が傑作です。だけど、ここ数年では類書がありません。

それで「自分で作ったほうが早いな」 と思ったんです。そんな雑談を友だちとしているうちに、小澤みゆきさんが企画書のドラフトをGoogleドキュメントで送ってくれて。それに僕が書き足すところから話が始まって、一緒に創刊することになりました。

小澤みゆきさん(以下、小澤):私はこれまで何冊か同人誌を発表してきました。その過程でよく質問を受けるのが、雑誌や本の作り方とPRの方法です。自分なりのやり方ではあるけれど、それを公開することで、「自分もつくってみたい」と思う誰かの後押しができるのではないか。それが『作家の手帖』にかかわりたいと思った理由の一つです。

また、これまで親しんできたITツールを使って同人誌を作りたいという思いもありました。たとえば、GitHubはプログラムを管理するためのウェブサービスで、ファイルに加えられた変更の履歴が確認できたり、共同作業ができます。つまり、出版物の制作に使えば、原稿の途中経過が見られたり、ほかの人が変更を加えることができる。

実は作家の円城塔さんのインタビュー制作で、GitHubが使われたことがあるんです。そこには、円城さんと編集者GitHubを介して文章を変えていった履歴がすべて残っています。ひとつの見せ物としても面白くて、自分もやってみたいと思いました。これが「本ができるまでのプロセスを全部公開する」という『作家の手帖』の試みにつながっています。

●「慢性的な制度疲労」によって問題が生じている

――2人とも会社員として働きながら文筆活動をしていますよね。当事者として経験したトラブル、周囲の人から聞いた悩みを教えてください。

小澤:私自身は書き手と編集者両方の仕事をしているので、どちらの立場も何となくわかるつもりです。周りから聞いたことがあるのは、デザインや執筆をしたものの、発注元の媒体がなくなって、報酬が支払われなかったという話ですね。

笠井:僕は発注側と受注側の両方で「しくじり」を経験していて、いまも心の深いところで自分を許せずにいます。原稿料の未払いを初体験したのは大学生のときです。それからいろいろなことがありました。1年持たずに潰れた電子雑誌の編集部にもいましたね。発注済の原稿料は、何とか支払ったと聞いています。僕の賃金もきちんと振り込まれた。だけど連載が中断して、その後の活動が続かなくなった著者もいます。かたや、先ほど話した『作家の原稿料』によれば、原稿料をめぐるトラブルは、なんと400年近く前からある。出版業の歴史的な宿命なのかもしれません。

小澤:原稿料をめぐっては、私自身も悩んだことがあります。書き手として雑誌から寄稿依頼を受けたとき、最初は自分の価格相場がわからなかったんです。でも、依頼していただけるのは光栄だし、執筆できるうれしさが先にあり、金額交渉はしませんでした。時間も勇気もなかったし、やり方もわからなかった。

笠井:若い作家で、とくにセンシティブな方は、自分が書いたものに対価が生まれることにすら心理的な抵抗があって、請求書を出すのにも覚悟がいると聞きます。書類仕事の苦手なクリエイターも珍しくないですしね。

――やはり発注側に配慮が必要ということでしょうか。

笠井:過去に依頼があったなかでも、親切な編集部は、書き手の利益を考えて、働きすぎないように気を回してくれました。それでも、みなさん法務面では苦労していますね。出版契約は後出しになりがちだというし、書き手が納品連絡しても返事ができず、原稿の旬を逃してしまう編集者もいる。同世代の物書きからも愚痴や不満をよく聞きます。

小澤:いま、編集者の業務は多岐にわたっています。限られた時間で多くのことをこなさねばならず、たくさんの能力が求められる。企画を立てる能力、それを進める管理能力、原稿を読んで練り上げていく文章能力と、最近ではSNS等で前に出て、コンテンツをPRするマーケティング能力。忙しくて、法務や会計の知識を身につける時間的・精神的余裕が少ないように思います。

笠井:定期刊行されるウェブメディアや雑誌の編集者に話を聞くと、日々の仕事を回すことで精一杯で、どうしても事務仕事がおろそかになりがちなんだとか。著作権法も複雑なので、仕事を請け負う前の契約条件が不透明なまま、書き手に不利な条件が後出しで提示される例もあるようです。

たとえば、原稿の二次利用に正当な報酬が支払われなかったとか、望まないかたちでメディアミックスされて訴訟になった事例をいくつか知っています。受注が決まる前の段階で無償労働が発生するという話も聞きますね。企画打ち合わせは延々と続くけれども、実際の制作が一向に始まらず、最終納品日が迫ってからやっと依頼が来て、スタッフ全員が過重労働になる。とりわけ舞台芸術の世界でよく聞きます。デザインの世界では、さらに加えて、事前に合意のない試作品のリテイクが度々あるようです。

昨今ではハラスメントに対する問題意識の高まりから、各業界団体でもさまざまな調査が出ています。やはり組織に所属しておらず、企画ごとに依頼主が変わる働き方をする方は、報酬に見合わない業務量や時間的な拘束が生じやすいようですね。こうした商慣行が下請法の「優越的地位の濫用」にあたるのではないかと調べたこともあります。発注者(親事業者)の資本金規模が一定以上の場合にしか適用されないとわかりました。

けれど、経産省「特定サービス産業実態調査」などを見てみると、クリエイティブ産業の世界で大きな事業者はほんの一握り。それこそ数人で回しているようなところも多い。トラブルが起きやすいのは、残念ながら後者なのでしょう。経営基盤が小さいと、払えるお金も少ないし、法務や経理にも満足に人手が割けない。それでトラブルが生じやすくなる。誰かが悪意をもってやっているというよりも、いわば「慢性的な制度疲労」によって問題が生じているのではないでしょうか。

●クリエイティブ産業の働き方にはまだ変える余地がある

――今回『作家の手帖』が制作プロセスをできるかぎり可視化しているのは、そのような状況を打開するためでもあると。

笠井:僕が働くIT業界をはじめ、ほかの業界に比べると、クリエイティブ産業の働き方には変える余地がありそうだとはよく言われます。でも、それが本当にどれくらい大変かは、実際に試してみないとわからない。『作家の手帖』が実験台になって、より多くの制作現場に役立つ教訓が得られればいいと思いました。

――『作家の手帖』では、書き手の公募に先立って規約類を整備し、誰でも見られるかたちで公開していますよね。

笠井:『作家の手帖』自体の依頼・契約作業を省力したかったのと、ほかのメディアで働く発注者の方の参考にもなればと思いまして。同業者の方にもし使えそうな書類があれば、ぜひパクっていただいて……(笑)。

小澤:このリーガル文書を、法律の専門家の方や、大手出版社で法務担当をしている方に読んでレビューしてもらえたらいいですよね。

笠井:元になる文書は、業界団体が公開する雛形や、ITビジネス契約の解説書を参考にして作りました。写真家・劇作家の三野新さんと、僕が所属する制作グループのいぬのせなか座とで、昨夏に共同企画を始めたときのことです。

でも、あくまでも素人作文なんですよね。いつか専門家にレビューを依頼したい。「作家が書いた契約書は、はたして文芸批評の俎上にのるのか。そもそも〈作品〉なのか?」という興味もあって。ちなみに日本の著作権法では、よほどオリジナリティのある書き方をしないかぎり、契約書に著作権は発生しないようです。

――著者の原稿は、最終稿以外すべてGitHubで公開する予定であると。

笠井:製造業で言う「仕掛品」は公開します。ライセンスはクリエイティブ・コモンズの「表示 - 非営利 4.0 国際 (CC BY-NC 4.0)」にしました。みんなでアイデアを二次利用できるようにしつつ、きちんと出所の表示をして、誰のテキストが参考にされたかわかるように。

GitHubオープンソース・ソフトウェアの思想を支持しているからでもあります。他人のプログラムに「ここを直してはどうか」とプルリクエストを出したり、既存のプログラムをパーツとして組み込んで、新しいプログラムを作れるサービスですから。そのゆるい著作権保護の仕方を、ひとの言葉で書かれたテキストに適用するとどうなるだろうかとも考えていました。

ただ、制作過程をGitHubでオープンにするので、お金を支払ってくださる方に何をお返しできるかは悩みましたね。最終的には、購読チケットをお買い求めくださった方だけが完成原稿のPDF/epubを入手でき、Discordに開設した読者コミュニティに参加できて、オンライン勉強会を視聴する権利が得られることにしました。

――『作家の手帖』では原稿料を公開して書き手を募りましたよね。「1文字5円」という単価はどう決めたのでしょうか。

笠井:仕事の対価は発注者と受注者の関係で決まります。原稿料もそうですよね。でも、最低限度の目安はあると思うんです。そこに達しないと書き手の生計が成り立たず、生計が成り立たないと原稿の品質が下がり、原稿の品質が下がると掲載者のリスクが増える。それを知らしめたのが、著作権法や薬機法に違反した疑いで2016年に騒動になった、「WELQ」(ウェルク)を始めとする低品質なキュレーション・メディアでした。関連メディアでは、文字単価が1円にも満たなかったといいます。その金額で医療情報を書かせたら、当然問題が起きないはずはない。

WELQの二の舞いはもちろん避けたい。でも、少なくともいくら支払えばいいのか。購読チケットが1枚3000円として、350人の方に買っていただけたら、トータルで100万円くらいの予算が得られます。まずそんな皮算用をして、制作過程で発生する執筆・編集・事務といった費用の割合をざっくり出してみたんですね。何文字くらいの分量があると、「準備号」と呼ぶに足るボリュームになるかも考えました。

書き手はサービス精神旺盛だし、次の仕事にも関わるから、原稿の質は落としづらい。文字数をオーバーしたり、1作に時間をかけすぎる人はやっぱり出てきます。『作家の手帖』では完成原稿4000字とそれ以外の書き物、連絡のやりとりまで含めると、だいたい5000字程度を執筆者に書いていただき、勉強会にもご出演いただきます。そうすれば、完成原稿の文字単価は5円で、報酬総額に均すと7.5円くらいにはなる。

でも、専業で書き物を続けていくとなると、少なくとも10円はほしい。ですから、準備号に応募してくださった執筆者のみなさんには、ありがたい反面、申し訳ない気持ちです。

――最後に、「自分の『つづき』を書こう」という『作家の手帖』のコピーに込められた意味を教えてください。

笠井:まずは文筆業にちなんだ言葉を使いたかったんですね。けれど狭い意味での「執筆」だけはでなく、日々の働き方や将来のキャリア、僕たちの世代がどう生きるのかも含めて、「自分」の「つづき」を「書くこと」だと捉えたい。これまで経験してきた辛いことや楽しいことを共有しながら、「自分」の明日を「自分たち」で書きませんかと呼びかけたいです。

小澤:『作家の手帖』のチケット購入者や公募応募者を見ていると、書き手(受注者側)の方が多い印象です。けれど、ぜひ編集者や発注側の方にも見守っていただけたらうれしいです。これまでにない試みをしていますので。

笠井:労働をめぐる問題は、ややもすると強い言葉での殴り合いになってしまいます。けれど、悪者にされがちな発注者の側にも、原稿料を安くせざるを得ない苦労や、契約・経理まで手が回らない事情がある。少しずつでも目線を合わせて、双方ともに働きやすくするにはどうすればいいかを考えていけたらと思っています。

『作家の手帖』特設ページ https://writer-life-committee.github.io/authors-note/

原稿料も契約書も制作過程も公開、ライターのトラブルなくしたい『作家の手帖』の挑戦