人は主に、言葉と、行動と、文字とでコミュニケーションを図る。その中にあって、文字を芸術へと昇華させたものが「書」だ。筆を用いて書かれる「書」は、「茶道」や「華道」と同様に「道」が付けられた「書道」として、一つの芸術分野を創出している。

「書」を生業とする人のことは「書家」と呼ばれているが、「書遊家(しょゆうか)」を名乗り活動している人物がいる。それが、篠原拓也さんだ。

取材を依頼して実際に書遊家・篠原さんに会ってみると、若い男性であった。「書」という言葉に、伝統的なイメージや重厚そうな雰囲気を勝手に思い描いていた筆者だったので、少々驚いた。「けど、もう三十代ですよ」と笑う篠原さん。

「書遊家」という肩書きを、筆者ははじめて知りました。これは、「書」の世界では一般的なものなのでしょうか? 「いえ、私が自分で考案したものです。『書』を用いたイベントに初めて参加した、2008年頃から名乗るようになりました」と篠原さん。

「書家」ではなく、「書遊家」。「遊」という文字に特に目を引かれますが、なぜこの肩書きを名乗られるようになったのですか? 「『書』というと、伝統的なイメージであったり、重厚そうな雰囲気を持たれがちです」との篠原さんの言葉に、ドキッとする筆者。すみません、私もその一人でした。「それが悪いことだとは思わないのですが、もっと気軽に、もっとたくさんの人たちに『書』を楽しんでもらいたいと思ったんです」と篠原さん。

5歳の頃より、書道教室に通っていた篠原さん。大きくなるにつれて教室の仲間たちが“卒業"していく中、書道に魅力と面白さを感じた篠原さんは、高校三年生まで習い続けたという。さらに、大学にも書道の授業があり、それを履修した。「少人数の授業だったのですが、自由に書を書くことができたんです。高校まで通った書道教室で身に付けたのが“書の基本"だとしたら、この授業では、相田みつをさんの文字などを見よう見まねで書くなどして、“書の創作"への一歩を踏み出せたと思います」と篠原さんは話す。

社会人になってからも書道教室に通い、展覧会にも出展するなどして、『書』を書き続けてきた篠原さん。「書」に親しみ、「書」を楽しみ続ける中で、篠原さんは思ったという、「書は、書を学んだ人にしか楽しめないものではないはず」

その思いから、「書遊家」を名乗るようになった篠原さんは、ポストカードやポチ袋、カレンダーなどに「書」を書き、それをイベントで一般向けに販売したり、「書」のワークショップを開催するようになった。

篠原さんはさらに、「MOTENASU」という自らのブランドを立ち上げた。「私が筆文字を書いたアイテムを、イベントに来ていただいた方だけでなく、もっとたくさんの方に日常的に親しんでほしいと思い、このブランドを立ち上げました」と篠原さん。

たとえば、「ありがとう」や「ほどほどに」といった言葉が、篠原さんの筆文字で書かれたポストカード。これを、自宅の壁などに飾っておく。家族や恋人、友達などにこういった言葉を掛けられると、なんとも心癒されるものだが、たとえば一人暮らしであっても、筆文字の「書」で書かれた「ありがとう」や「ほどほどに」などの文字を見るだけで、誰かにそんな言葉を掛けられたときのような温かみや癒しが感じられる。

非日常ではない、日常を幸せに感じられる。なんでもない日を、特別な日に感じられる。それは、自分で自分を“もてなす"ことでできることだと思います。そのお手伝いを、筆文字でできたらと思うんです」と、「MOTENASU」ブランドに託した思いを篠原さんは話してくれた。

また、日本人に慣れ親しんだ「書」だけに、その需要は幅広い。「MOTENASU」では、「書」を活かしたロゴやチラシ、DMといった企業向けのクリエイティブや、お店のプロデュースなども行っている。以前、「心ホンワカになる“本和香糖"とは?」という記事で紹介した鎌倉の人気スイーツ店「輪心−WACO KAMAKURA−」の各種デザインも「MOTENASU」が手がけたもので、その筆文字を活かしたデザインが好評を得ているという。

「書を、もっと日常に溶け込んだものにしていきたい。手書きで文字を書く機会が減ったいまの時代だからこそ、書の楽しさや魅力、そしてそこに込められた気持ちを、たくさんの人たちに伝えていけたらと思います」と話してくれた書遊家・篠原拓也さん

人は主に、言葉と、行動と、文字とでコミュニケーションを図る。同様に「書」も、コミュニケーション手段のひとつだ。「書」を通じて、自分以外の人、それに、自分自身との、コミュニケーションを図る。「書」の温もり、癒し、心が、日常の暮らしをもっと豊かなものにしてくれるはずだ。
(木村吉貴/studio woofoo)

“書遊家(しょゆうか)"として活躍する、篠原拓也さん