(武藤 正敏:元在韓国特命全権大使)

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 韓国の大統領の任期は5年、そして再選はできない。現在の文在寅大統領が就任したのは、2017年5月のこと。つまり残された任期はあと1年となる。そのため韓国では、すでに次期大統領選の前哨戦が始まっている。

前検事総長に36歳の非国会議員、「新顔」の台頭に与党戦々恐々

 韓国社会世論研究所が5月24日発表した調査結果によると、次期大統領にふさわしい人を問う世論調査で、尹錫悦(ユン・ソギョル)前検事総長が32.4%の支持を得て、革新系与党「共に民主党」(以下、民主党)所属の李在明(イ・ジェミョン)京畿道趙知事の28.2%を上回った。ただ、2人に対する支持は拮抗しており、世論調査が行われるたびに1位と2位が入れ替わるような状況で、ほぼ横並びと見ていいだろう。

 これに続いて前民主党代表の李洛淵(イ・ナギョン)氏10.3%、無所属の洪準杓(ホン・ジュンピョウ)氏4.5%、保守系最大野党「国民の力」の呉世勲(オ・セフン)ソウル市長4.1%、中道野党「国民の党」の安哲秀(アン・チョルス)代表3.5%、民主党の丁世均(チョン・セギュン)前首相3.1%などとなっている。

 しかし、予想外のことが起きるのが韓国の選挙である。今回も、国民の力の代表選挙の候補者を5人に絞る予備選挙において、36歳の李俊錫(イ・ジュンソク)氏が1位で本選に進出するという大番狂わせを見せた。本選でも国民の力の古参議員を破り当選すれば、一度も国会議員に当選したことのない若者が一挙に最大野党の党首になる。

 これまでは、来年の大統領選挙に向けて保守系最大野党に有力な大統領候補がいないため、国民の視線は、文在寅政権と対立して辞任した前検事総長の尹錫悦氏に集まっていた。そこに加えて最大野党で清新な党首が登場する可能性が出てきた。

 一方、与党サイドでは、文在寅派の候補が「非文在寅」派の李在明氏に大きく後れを取っている。

 韓国の大統領選挙序盤戦の状況について分析する。

最初の地殻変動は尹錫悦氏の検事総長辞任

 大統領選に向け動きがにわかに活発化したのは、3月4日の尹検事総長の電撃辞任だった。政権与党の疑惑追及に積極的姿勢をとってきた尹氏は、検事総長として初の職務停止命令や懲戒処分を受けたが、これをことごとく乗り越えてきた。その尹総長に辞任を決断させた直接的なきっかけは2月9日民主党内の強硬派が主導して、重大犯罪捜査庁設置法案が発議されたことであろう。尹総長は周辺に「民主主義と法治主義守護のために検察に残っていてはこれ以上すべき仕事がない」と語っていたという。

 重大犯罪捜査庁ができると、検察の捜査権は完全に奪われ、検察は「起訴」と「裁判の管理」だけを行う組織に格下げされる。政権与党がどれだけ牽制しても不正の追及をやめようとしない検察潰しの意図は明らかだった。

 尹氏が辞任すると、韓国国民は同氏を次期大統領選挙の有力候補と見なすようになった。尹氏本人は大統領選出馬について立場を明らかにしていないが、世論調査では尹氏の支持率が上昇した。

 また、政権交代論も強まった。3月9~11日に実施されたギャラップの世論調査では「政権交代論」が48%、「政権維持論」が40%だった。「政権交代論」は昨年10月には39%に過ぎなかったが、秋美愛(チュ・ミエ)法務部長官と尹錫悦検事総長の対立を経て、中道層の民心が変化したことで交代論が強まった、と分析されている。

 尹錫悦氏の大統領候補としての人気が高まった結果、同氏が「尹錫悦新党」を旗揚げすれば支持率が1位となるとの予測も出ていた。

「政治未経験」尹錫悦氏、大統領候補としての資質はあるか

 突如として次期大統領選の先頭に立ったかに見える尹氏だが、達弁で政界要人にも太いパイプを持つという評価がある一方で、これまで政治経験がなく、大統領として適任なのか、大統領の職務を遂行できるのかとの疑問を提起する向きがある。

 この疑問に対し、「問題ない」と評価しているのが政界の黒幕・尹汝ジュン(ユン・ヨジュン)元環境部長官だ。尹元環境部長官は今年3月に「中央日報」のインタビューで「総長を辞める前に憲法精神、法治主義、国民常識を話すタイミングやメッセージ内容を見て、政治感覚があると思った」とし、尹前検事総長が「国民の力」入りすれば、との条件付きだが、「当選の可能性が高い強力な大統領候補」としている。尹汝ジュン氏は2002年の大統領選では保守政党ハンナラ党の大統領候補・李会昌氏の陣営で、そして2012年の大統領選では民主統合党候補だった文在寅氏の陣営で仕事をしている。さらに2016年には、安哲秀氏が立ち上げる中道政党「国民の党」の創党準備委員会共同委員長も務めるなど、与野党間を渡り歩く「策士」として知られる。それだけ各党の事情に通じている人物の評価だけに、その言葉は一聴に値する。

 尹前検事総長にとっては、「国民の力」とどれだけ共同戦線を張れるかが大きなカギになりそうだ。そうした中、野党国民の力の中から尹錫悦氏のキャンプに入ると噂される人も出てきている。

最大野党・国民の力で巻き起こった「李俊錫旋風」

 そうした中で、前述のように「国民の力」の代表選の予備選で、国会議員経験のない36歳の李俊錫元最高委員が、党重鎮議員らの得票を上回って1位となった。

 予備選挙前から李俊錫氏の支持率は上昇していたが、党内の予備選で同様の結果を出すことは容易ではないとの観測が強かった。ところが「李俊錫旋風」が現実となり、一気に韓国の政界地図を塗り替える可能性が取りざたされるようになった。

 李俊錫氏はこれまで国会議員に3度立候補したがいずれも落選している。その李氏が今回、党の重鎮であり国会議員経験の豊富な羅卿媛(ナ・ギョンウォン)前院内代表、朱豪英(チュ・ホヨン)前代表代行らを破って予備選を勝利するという前代未聞の壮挙は、ソウル・釜山市長選挙で示された若者を中心とする韓国社会への不満、既存の政治に対する不信が急速に高ぶっていることの表れだろう。

 若きニュースターの誕生に、与党サイドにも動揺が広がっている。

 民主党は、もしも来月の本選で李俊錫氏が「国民の力」の代表となり、若い有権者の支持を集めるようになれば、来年3月の大統領選挙では野党候補の勢いが増すとして大きな懸念を抱き始めている。同党幹部は「国民の力は古さや頑固さの象徴だったが、新たな変化が生まれている」と警戒した。また、同党の別のベテラン議員は「野党支持者が政権交代を強く望んでいることを示すもの」だとコメントしている。

 ソウル市生まれの李俊錫氏は、ハーバード大学に国費留学し、経済学コンピュータを学んだ。2011年2月、大統領選挙への出馬を準備していた朴槿恵氏にスカウトされ、以来2015年5月まで当時の与党「セヌリ党」(国民の力の前身)の非常対策委員会委員として活動したという。14年には同党の革新委員会委員長に就任した。しかし、朴槿恵・崔順実(チェ・スンシル)スキャンダルが表面化するや朴大統領を批判し、弾劾を支持する側に回った。

 党では社会的弱者の支援に携わり、ビジネスの経験もある。同氏は旧来の政治を容赦なく批判し、就職難や格差拡大に苦しんでいる若者たちの声を代弁する。同氏は国民の力の古い体質のイメージを覆す力を持っている。

予備選で圧勝も本選勝利には未知数の要素も

 李俊錫氏は予備選では「国民の力」の支持基盤である大邱と慶尚北道で高い支持を得、トップ通過した。だが韓国政界では、李氏は本選では同じように票を伸ばすことは容易ではないと見られている。

 予備選挙は5月26~27日に世論調査会社2社がそれぞれ一般市民1000人と党員選挙人団1000人を対象に実施した世論調査の結果を合算して出されたものだ。党の選挙管理委員会は各候補の順位と得票率を公表していないが、順位と得票率は韓国メディアが取材し報道している。それによると、李俊錫候補は民心(一般市民)で圧倒的1位、党心(党員投票)でも2位となり全体で41%を獲得、次点の羅卿媛氏29%を12ポイント上回ったという。ここまでは李氏の圧倒的勝利と言っていい。

 しかし、本選では党員に70%、市民に30%票割り当てられるルールになっている。となると、がぜん羅候補に有利になる。このルールに基づいて予備選の結果を計算してみると李氏が7ポイント上回る結果になるが、「李俊錫旋風」を目の当たりにした他の重鎮候補が連合戦線を張るという可能性もある。

 6月11日に行われる代表選挙の本選は「30代0選の李俊錫vs.50代以上4・5選の重鎮」という新旧対決となるだろう。党内の1年生議員・新進勢力は「二度とこのような刷新の機会はないだろう」と世代交代と人的刷新を前面に題した対決に臨もうとしている。これがどの程度のムーブメントを起こすかで、来年3月の大統領選の構図もだいぶ変わってくることになるだろう。

与党では本命・李在明氏の「文在寅派接近」が本格化

 さて、与党「共に民主党サイドの情勢はどうなっているのか。

 世論調査でリードしている李在明・京畿道知事は、親盧系・親文系幹部との接触を強化し、支持地盤拡大に本腰を入れている。

 李知事は、京畿道高陽市で開かれた「2021非武装地帯(DMZ)フォーラム」で、李海チャン(イ・へチャン)元民主党代表、韓明淑(ハン・ミョンスク)元首相ら親盧・文系の「外交安保通」とともに参加した。DMZフォーラムは京畿道が毎年主宰している。

 今回は李海チャン元代表が理事長を務める東北アジア平和経済協会と初めて共同主催した。李元代表は「平和経済協会とフォーラムを主催し、基調演説までして下さった李知事に感謝する」と述べた。

 李知事は党内の基盤が弱いとされるが、東亜日報によれば、「李元代表の水面下での支援を受け、最近、親盧・親文の人々との接点を拡大している」という。与党関係者の中には、「今回のフォーラムを機に、李海チャン系が李知事への支援に積極的に加勢する可能性がある」と見る者もいるという。

 フォーラムには林東源(イム・ドンウォン)元統一部長官、李仁栄(イ・インヨン)統一部長官らも出席した。

 李知事は基調演説で、「対北朝鮮ビラ散布は犯罪行為」「より多くの自由と人権のために自由と人権を脅かす自由は制限されて当然だ」と強調し、文在寅政権の対北朝鮮政策を擁護した。

 李知事は文在寅大統領との関係があまりよくないとされる。

 そうした背景があるために、無所属で野党系の洪準杓(ホン・ジュンピョウ)氏などは、「李知事が大統領になれば文大統領は1年内に監獄入りする可能性がある」と述べている。それだけに親文系の人々は、李在明知事に対する警戒感が強い。李知事もそうした空気を察しているからこそ、先述のフォーラムの席で、文大統領の政策を持ち上げ、親文系の人々の警戒心を解こうとしているのだろう。

 また、「国民の力」の代表に若くて改革派の李俊錫氏が当選すれば、大統領選では野党に追い風が吹きかねない。そうした懸念が与党内に高まってきているだけに、世論調査で独走状態にある李在明氏を与党の大統領候補に推す動きが加速化する可能性もある。

 その意味でも、李在明知事の親盧・文系への接近の動きが注目される。

2人の元首相が「東京オリンピックボイコット」を主張する背景

 与党内の大統領候補レースで優位に立つ李在明知事と対照的に、2人の元首相が追い詰められている。2人とも次期大統領にふさわしい人物を問う世論調査で李在明知事に大きく水をあけられており、竹島問題をテコに巻き返しを図っている。

 最近、国務総理(首相)を辞任し、大統領選出馬の準備を進めている丁世均氏は、東京五輪パラリンピック大会組織委員会がホームページ上に、「独島」(韓国が主張する竹島の名称)を日本の領土とする地図を掲載していることを批判し、「(削除を)最後まで拒否するならばオリンピック不参加などすべての手段を総動員しなければならない」と主張した。

 また、元首相で前党代表の李洛淵氏も「独島を直ちに削除することを求める」「日本のこのような行為は人類の和合を追求するオリンピック精神に反する」と述べ、IOCに対しても「迅速かつ断固たる措置を要求する」と圧力をかけた。

 これらはいずれも大統領選での与党候補になるため、世論の受けを狙った発言と見るべきだ。

 だが最近の傾向として、韓国国民の対日感情は決して悪くはなく、反日で世論の支持を獲得することはできない。ただし、竹島の問題だけは例外である。

 韓国人盧武鉉大統領が「竹島は領土問題ではなく、歴史問題(日本の朝鮮侵略の第一歩)」と主張したことに誘導され、竹島の問題で日本が主権を主張すれば激しく反発する。オリンピックの機会に日本が竹島問題という政治を持ち出すのを批判すれば、韓国内では共感を生む可能性が大いにあるのだ。

 支持率で李在明氏に水をあけられている2人の元首相が、竹島問題をテコに支持率の回復を図ろうとしても不思議ではない。日本としては要注意だ。しかし、本命視されつつある李在明知事は親盧・親文系へ接近を加速させるだろう。両元首相の「竹島」発言の効果は限定的かもしれない。

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