とある航空評論家から「もっとも醜い航空機」と評されたこともある貨物機「スーパー・グッピー」。そのカタチはどのように生まれたのでしょうか。日本に大きな爪痕を残したB-29から「金属風船」のようなフォルムになるまでを見ていきます。

ベースデザインはかの「B-29」

とある航空評論家から「もっとも醜い航空機」と評された飛行機が「スーパー・グッピー」です。たとえばイギリス海軍などでかつて使われた艦上哨戒機フェアリー・ガネット」など、同様の不名誉な称号を得てしまった機体はほかにもありますが、この機がそれほど特異なルックスをしていることは、誰の目にも明らかです。

「スーパー・グッピー」は1965(昭和40)年にデビューした4発プロペラ機。全長が43m、全幅が47mで、その胴体は上部が大きく膨らんでいるのが特徴です。この膨らみは貨物輸送のためで、現在でいえばボーイングの「ドリームリフター」やエアバスの「ベルーガ」の先駆者的な存在にあたります。まるで「プロペラと翼がついた金属の風船」のようなこの機は、一体どのようなものだったのでしょうか。

「スーパー・グッピー」をはじめとする「グッピー」シリーズのベースとなっているのは、いまやジェット旅客機の大御所的存在であるボーイング社が手掛けた最後のプロペラ旅客機ボーイング377輸送機型「C-97」というモデルです。これらのおおもとは、日本人に良くない意味で聞き覚えのある、かの「B-29」にさかのぼります。

第2次世大戦下で日本の各地を爆撃し、甚大なる被害を及ぼしたボーイング爆撃機B-29は、航空機としてみても特筆すべき存在です。エンジンとして排気タービン過給機を実用化し、防空戦闘機の上昇できない高高度を飛ぶほか、高速で長距離を飛行できる、当時としては非常に能力の高い戦略輸送機といえます。

そして、B-29の長距離性能を活かした輸送機型として、B-29の胴体上部にもうひとつ円形の胴体を取り付けたようなC-97が開発されます。これを人が客室に乗れるようにしたのが、ボーイング377です。つまり、これらはすべてB-29の派生型、ということになります。

この機が一体どのように「スーパー・グッピー」へと変形したのでしょうか。

「金属風船ボディ」が生まれるまで

1960年代のアメリカでは、NASAアメリカ航空宇宙局)が中心となって、宇宙開発にまい進していました。そのようななか課題となったのが、西海岸で製作した宇宙ロケットを、東海岸の発射場まで輸送することでした。

アメリカは国土が広く道路も発達していたものの、超巨大な宇宙ロケットを安全に輸送するためには空輸がベストでした。ただ、NASAといえども、さすがに新型の航空機を開発するのは難しいことでした。そのようななか、リー・マンスドルフ氏とジョン・M・コンロイ氏が、旧式機の輸送機ロケット部品を搭載できる大きな貨物室を設備するように改造することをNASAに提案して、その案が採用されました。

その後同案の採用にむけ、エアロ・スペースラインという専用の輸送会社が設立され、機体を改修することとなります。パンアメリカン航空ブリティッシュ・エアウェイズのボーイング337を改造して、直径6mの円形の貨物室を取り付けた機体を製作し、運航しました。この機は、「妊娠した(魚の)グッピー」の意味をもつ「プレグナントグッピー」という機名が採用されています。これが「グッピー」シリーズの始まりでした。

「スーパー・グッピー」では、胴体直径を従来機よりひと回り大きい7.6mとし、キャパシティ向上のための改修を加えました。エアロ・スペースラインはNASAアポロ計画を推進するために、特大カーゴを輸送する機体が必要となり、「スーパー・グッピー」含む「グッピー」シリーズを7機製作しました。また、搭載していたレシプロ・エンジンは出力こそ高かったものの、整備や部品供給に難点があったため、うち5機はその後、取り扱いの容易な同出力のターボ・プロップエンジンに換装されています。

いまも「スーパー・グッピー」はNASAで運用中。機番は「N941NA」で、デビューは1980(昭和55)年と記録されています。

ちなみに、先述のとおり「スーパー・グッピー」はボーイング社の飛行機がベースとなっているのですが、エアバス社が4機のスーパー・グッピーを使用して、エアバス機の部品を輸送していた時期がありました。そのため、一部からは「エアバスの翼はボーイング製」と言われたエピソードもあります。なお現在も、エアバス社のお膝元、フランスのトゥールーズには「スーパー・グッピー」が展示されています。

NASAが保有する「スーパー・グッピー」(画像:NASA)。