日本と中国との間には長い交流の歴史がある。遣隋使・遣唐使が派遣されていたことからもわかるように、日本は古代中国からさまざまな事物を学び、大きな影響を受けた歴史がある。中国メディアの快資訊は7日、現在の日本が「日本」という国号を名乗れるのは、「則天武后(そくてんぶこう)がいたからこそ」とする記事を掲載した。

 日本は長らく、中国から「倭」と呼ばれていた。記事はこの「倭」という呼び方について、もともとは「蔑称だった」という見方を示している。これには諸説あるようだが、記事は「倭」の文字には「醜い、背が小さい」という意味があると主張し、「日本人はバカにされていることに気付かず、喜んで受け入れてしまった」と伝えている。

 記事によると、後に「倭」の意味を理解した日本は、国内で使われていた「日本」に国号を変えるため、何度も遣唐使を派遣したが受け入れられることはなかったそうだ。「日本」は、中国よりも先に日が昇る、という意味にとらえることができるため、中国が認めなかったのは当然だとしている。

 この国号をようやく認めたのは、中国史上唯一の女帝・則天武后だった。日本が遣唐使の差し出した文書で「日本」を自称したのに、則天武后が拒絶しなかったため、正式に「日本」と名乗れるようになったようだ。しかしその際、則天武后は深酒していたとも言われており、「史記正義」に記録されているような、「則天武后が倭の国を日本に改めた」というほど積極的なものではなく、「認めた」に過ぎないと伝えている。

 最後に記事の中国人筆者は、「日本は則天武后に感謝すべき」と締めくくっている。感謝するかどうかは別として、現在の日本が「日本」として知られているのは、則天武后のおかげとも言えそうだ。中国はそれほど日本にとって影響力のある国だったようだ。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

日本は昔は「日本」じゃなかった! 日本を名乗れるようになった経緯=中国