活動50周年を経た今なお、日本のみならず海外でも熱烈な支持を集め、改めてその音楽が注目されている
ゼミ生として参加しているのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(
取材 / 加藤一陽 文 / 望月哲 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん
ロックンロールはどこから生まれた?
──今回のテーマはロックンロールです。「ロックとロックンロールは異なるもの?」みたいなところも含めてお話を伺っていければと思います。
細野晴臣 この話長くなるけどいい?
ハマ・オカモト すごく聞きたいです!
細野 まずロックンロールとロカビリーってどう違うのか聞きたい?
安部勇磨 聞きたいです。
ハマ ロックンロールに比べて、ロカビリーはもうちょっとカントリー派生なんじゃないですかね?
細野 おっ! 鋭いね。
ハマ よかったー。「出てけ!」って言われるかなと思った(笑)。枝葉が分かれるところでいえば、ロックンロールは、ロカビリーとかのリズム発展形っぽい印象です。ぼんやりと、それくらいの印象ですけど。
細野 厳密にはわかんないんだけど、1950年代初期に“ロックンロール”という音楽が生まれた。ロックンロールには名付け親がいるんだよね。それがアラン・フリードというラジオDJ。彼は黒人音楽が大好きで、ラジオでリズム&ブルースとか、そういう曲ばかり流していた。彼が最初にロックンロールと呼んだのは、たぶんチャック・ベリーの曲だったんじゃないかな。チャック・ベリーってちょっとリズム&ブルースっぽくないでしょ?
ハマ 確かに。
細野 それでロックンロールって名前を付けたんだけど、ロックンロールというのは、もともとリズム&ブルースの連中の隠語だったわけ。
ハマ&安部 へえ。
細野 セクシーな隠語。
ハマ イカした感じなんですね。
ロカビリーのビリーって何?
細野 片やロカビリーは、サン・レコードというエルヴィス・プレスリーを輩出したアメリカ中西部の有名なレーベルが関係してくる。
ハマ 鶏のマークの。
細野 そう。スモールレーベルだけどプレスリーで大ヒットして。そのレーベルは、もともとカントリーベースで。ちなみに、ロカビリーのビリーってなーんだ? じゃあ、はい(ハマを指す)。
ハマ え!? 今日はいつにも増してゼミっぽいですね(笑)。うーん、なんだろう……?
安部 ビリーさんという人がいた、とか?
細野 ビリーっていうのは人の名前じゃないんだよね。2人は、ヒルビリーっていう音楽はなんとなく知ってるかな?
ハマ はい。
細野 ヒルビリーっていうのは、ある場所や、そこに住む人たちの総称だったんだよ。
安部 ナッシュビルとかそういうところですか?
細野 じゃない。アパラチア山脈とかあのあたり。
安部 えっ! そんな壮大な話になるんですか(笑)。
細野 そこにはスコットランドやアイリッシュ系の移民が閉じこもっていた。彼らは、あまりほか地域の人たちと接しない排他的な人たちだったんだ。
ハマ “村”って感じですね。
細野 そうそう。アングロサクソン系の人たちからは蔑視されてたんだよ。だからヒルビリーっていう言葉は彼らが演奏していた音楽から来てる。アイリッシュ系の民謡をバンジョーで弾いたり、それがマウンテンミュージックと呼ばれるようになった。ブルーグラスはマウンテンミュージックって言われてたんだよ。
細野 それがメンフィスあたりの人たちに届いて。さっき話したサン・レコードのサム・フィリップスっていう人がそういう音楽を好きでね。それでロックンロールに刺激されて、ロカビリー(Rock-A-Billy)という名称を使うようになったんじゃないかな。
ハマ ちょっと遅れてロックンロールに影響を受けたんですね。
ロックンロールスター不在の時代
細野 ロカビリーの歌手は白人が多かったんだよ。ジョニー・キャッシュとかカントリー系の人が多くて。それでいくつかのヒット曲が生まれたんだけど、ロックンロールもロカビリーも50年代末期には廃れてしまった。
ハマ いわゆる今でいう“ロック”に発展していったということですか?
細野 うん、ロックの時代がその次に来るけど、その前に1回終わっちゃったんだよね。いろんな原因があって。スターたちがみんな死んじゃったんだよ。
ハマ あー、なるほど……。エディ・コクランとかも亡くなってますもんね。
細野 そうそう、自動車事故で。死因は事故が多かった。それでロックンロールのスターたちが死んじゃって。
ハマ そっか、演者がいなくなっちゃったんですね。
安部 えっ! チャック・ベリーってそんなことがあったんですか。
ハマ ワルだもんね。でも、ある意味チャック・ベリーって、ロックンロールミュージシャンの中で、唯一生き残った存在と言ってもいいかもしれないですね。それって刑務所に入っていたことも影響してるんですかね。
細野 それもあるかもしれない。
安部 なるほどなー。
細野 The Beatlesとか、みんなチャック・ベリーのレパートリーをカバーしてる。だからロックンロールの元祖と言われているんだよ。
ハマ 確かにロックンロールって言われると、チャック・ベリーの姿がパっと思い浮かびますよね。
細野 そうだね。一番ロックンロールっぽいよ。同時代のレイ・チャールズとかはイージーリスニングみたいな音楽もやっていたから。それはメジャーレーベルに移籍して、そういう音を作らされていたからなんだけど。
細野 チャック・ベリーはずっとチェス・レコードってレーベルでやってたんだけど、チェスって、そういう音楽の塊だから。
ハマ 黒人音楽の名門ですね。
細野 サン・レコードもマイナーだし、マイナーなレーベルを中心に尖った音楽が盛り上がっていた。
ハマ なるほど。今となってはロックンロールって誰でも知っていますけど、決して大手メジャーレーベルが流行らせたわけではなく、インディ界隈から盛り上がっていったわけですね。
細野 大手は動きが遅いんだよ。
ハマ そうですよね(笑)。大手がやり始めた頃には、もうみんな飽きてるっていう。
細野 しかも、なんか大人っぽくアレンジしちゃうから。
ハマ 勢いがなくなっちゃう。
テストに出る!? 「ぺイオラ事件」
ハマ スターがいなくなってロックンロールが廃れていったというのは面白いですね。徐々にシフトしていったわけじゃないっていう。
細野 急だよ。捕まっている連中もいっぱいいるし。中でも一番大きかったのがぺイオラ事件。
ハマ ペイオラ事件? いいですね、事件まで出てくるっていう(笑)。
安部 今日すごいな(笑)。
細野 簡単に説明お願いします。
──はい。Wikipediaのアラン・フリードのページによると、「ペイオラ事件」は、1959年から1960年にかけて音楽業界を賑わせた賄賂スキャンダル。DJがラジオで曲をかける見返りにレコード会社から金品を受け取っていたことが問題になり、ロックンロールDJのアラン・フリードをはじめ多くの音楽関係者が業界から追放されました。
細野 ペイオラというのは、「支払い」のペイ(Pay)と「ビクトローラ(Victrola)」という蓄音機の名前を掛け合わせた造語。要するにレコード会社によるDJの買収だよね。
ハマ 賄賂みたいな。
細野 当時は半ば常識的に行われていたらしいんだけど、いつの時代も、そういうことをあげつらおうとするやつらがいるじゃん。それで違法になって、アラン・フリードも罰金を払ったりしてる。
安部 業界からも追放されてしまったんですか?
細野 そう。放送局が使わなくなっちゃう、そういうDJを。
安部 見せしめみたいな感じだったんですかね。「お前らも、こうなるぞ」みたいな。
──43歳で亡くなっているみたいです。
ハマ&安部 えー!
細野 言い方はあれだけど、「ペイオラ事件」に殺されてるよね。お金は貰っていたかもしれないけど、彼の中にはロックンロールを広めようという純粋な気持ちがあったと思う。
ハマ 「ぺイオラ事件」という言葉とともに、アラン・フリードという名前も覚えるべきですね。
安部 これテスト出る(笑)。ここに黒板があったら、先生がガンガンって書くやつですね。
ハマ 「ここ出るよ!」ってね(笑)。
ハマ そういう出来事もあって、ロックンロールは終わっていったんですね。
細野 音楽のトレンドって、だいたい10年くらいで変わっていくんだよ。
安部 ホントそうですね、確かに。
細野 ディケイドって言って。だから“ロック”っていうのは60年代からだよね。
ロック世代にはロックンロールが演奏できない
──音楽ジャンルとしての“ロックンロール”と、いわゆる概念としての“ロック”の関係性を細野さんはどのように捉えていらっしゃいますか? 「そういうのロックだよね」みたいな言い方あるじゃいないですか。「ロックな生き方だね」みたいな。
ハマ “破天荒”みたいなニュアンス。
細野 それは内田裕也さんに聞かないと。
ハマ&安部 はははは(笑)。
──細野さんの中で、ジャンルとしてのロックンロールとロックの位置付けは、どのようになっているんですか?
細野 あのね、なんだろうな……聴いてたのはロカビリーとかロックンロールだけど、自分がやり始めたのはロックだよね。ロカビリーやロックンロールは50年代の音楽だから、当時の僕からしたら、ちょっと遠かったんだ。
ハマ いわゆる振り返って聴く音楽の最初みたいな感じですか?
細野 そうそう。僕は中学生の頃、The Beach Boysが好きだったんだけど、彼らの「Surfin' USA」というヒット曲がチャック・ベリーの「Sweet Little Sixteen」のパクリなんだよ(笑)。The Beach Boysはそれで訴えられたりしてるんだけど(笑)。
ハマ&安部 はははは(笑)。
ハマ それがきっかけになってチャック・ベリーに興味を持ったんですか?
細野 そうそう。「あっ、チャック・ベリー聴かなきゃ!」って思うわけじゃない。オリジネイターとして。で、聴いたらすごい音だから、びっくりしたわけ。音がイナたくて(笑)。ロックンロールに興味を持ったのは、そこからだな。The Beatlesの「Roll Over Beethoven」とかもチャック・ベリーの曲だしね。
ハマ The Rolling StonesもThe Beatlesも初期はモロにロックンロールバンドというか。
細野 そういう人たちが音楽を深掘りしていくきっかけをくれたわけ。
安部 なるほど。
細野 でもロック世代には、ロックンロールが演奏できないんだよ。全然ノリが違うから。ロックって8ビートきっかりだから、スイングの感覚とかがわかんないわけ。ロックンロールやロカビリー、あとはカントリーもウェスタンブギーとかウェスタンスイングって言われてたり、50年代の音楽にはスイング感があるんだよ。我々はそれができなかった。
細野晴臣は純正ロック世代
ハマ The Rolling StonesやThe Beatlesが出てきた頃のロックンロールバンドには、ジャズ畑のミュージシャンも多く関わっていたんですか?
細野 そうね。スタジオワークでやってる連中が集まって一緒にやると、ピアノはブギウギだったりベースが8ビートだったりしてスイングしちゃう。ごちゃ混ぜだったから面白かったんだよ。それをいち早く見抜いていたのがムッシュ。かまやつひろしさんね。
ハマ ほお、ここでムッシュが……!
細野 そこに気が付いている人がいるんだと思ってびっくりした。
ハマ 当時のミュージシャンの方々は皆さん言いますよね。「面白いものはムッシュが全部持って来た」って。
細野 だから日本では、ムッシュたちがロックンロール世代で、その下の僕らはロック世代なんだよ。
ハマ そういう意味では、細野さんは純正ロック世代なのか。
細野 僕が最初にやったのはロックバンドだからね。
ハマ ウォーキングベースとか弾かないですもんね、ロックバンドってなると。
細野 弾かないね。
ハマ ウォーキングベースってやっぱりスイングのそれっていうか。The Beatlesも初期しかそういうリズムをやってないし。当時バンドマンと呼ばれていた人たちって、ジャズ畑にいた人たちなんですよね。ソウルの回で話した、モータウンのバックバンドもそうですけど。その人たち独自の解釈というか、ちょっと速くやってみようということで16ビートで演奏したりということがあったんでしょうね。だから確かに細野さんがおっしゃった、いわゆるロックの8ビートとは全然概念が違いますもんね。
細野 60年代はそういうのがごっちゃ混ぜの時代だよね。
──リズム寄りの観点をお持ちになっているお二人ならではの、すごく興味深い解釈ですね。ギターや鍵盤といった上物系の奏者やボーカリストとは、ロックンロールという音楽に対する捉え方が異なるのかもしれません。
ハマ どうですか? 歌い手としては。
安部 今すごく勉強になってます(笑)。
ハマ でも思わない? ウォーキングベースとかが入ってくるだけで、途端に違うものになるっていうか。ああいうリズムが1個入ってくると、ドラムのノリも自然と変わってくるじゃん。
安部 うん、感覚的にはわかる。
ハマ 俺もぼんやりよ。でも細野さんは、ロックンロールが原体験としてあるっていう。そう考えると細野さんは、いわゆるロックが生まれて以降の流れを全部見てきてるわけですよね。
安部 そうなんだよね。全部見てるんだよね。
細野 ロックンロールは、つい5、6年前の音楽だったんだよね、当時。
ハマ ってことですよね。1956年とかってことですもんね。でも海外から情報が伝わってくる速さも今とは違うでしょうし、曲を聴くのもかなり大変だったんじゃないですか?
細野 簡単に探せないからね。
ハマ 探せないですよね。
細野 当時たまたまチャック・ベリーの再発があって。
ハマ へー!
細野 だから聴けたんだよ。
ハマ それ何年ぐらいですか?
細野 いつだろうな……60年代の中盤ぐらいかな。65年くらいに聴いたのか。
ハマ そこでの再発って、今の再発と概念が違うよね(笑)。
安部 確かに。
ハマ セカンドプレスって感じ(笑)。それがさっきのインディーレーベル中心に盛り上がってたという話と直結しますよね。めちゃくちゃ大衆的に売れてたらすぐに再発されるんだろうけど、そもそも市場の規模が小っちゃくて再発するまでに10年くらいかかってるということだから。そう考えたら今残ってるサンやチェスのオリジナル盤とか、すごいよね。
安部 そうだね。
ハマ よく残ってるなって思う。
<中編に続く>
細野晴臣
1947年生まれ、東京出身の音楽家。エイプリル・フールのベーシストとしてデビューし、1970年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成する。1973年よりソロ活動を開始。同時に林立夫、松任谷正隆らとティン・パン・アレーを始動させ、荒井由実などさまざまなアーティストのプロデュースも行う。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成した一方、松田聖子、山下久美子らへの楽曲提供も数多く、プロデューサー / レーベル主宰者としても活躍する。YMO“散開”後は、ワールドミュージック、アンビエントミュージックを探求しつつ、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。2018年には是枝裕和監督の映画「万引き家族」の劇伴を手がけ、同作で「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞した。2019年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自ら再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表。この年、音楽活動50周年を迎えた。2021年7月に、高橋幸宏とのエレクトロニカユニット・SKETCH SHOWのアルバム「audio sponge」「tronika」「LOOPHOLE」の12inchアナログをリリースする。
・hosonoharuomi.jp | 細野晴臣公式サイト
・細野晴臣 | ビクターエンタテインメント
・細野晴臣_info (@hosonoharuomi_)|Twitter
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安部勇磨
1990年東京生まれ。2014年に結成されたnever young beachのボーカル&ギター。2015年5月に1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」を発表し、7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '15」に初出演。2016年に2ndアルバム「fam fam」をリリースし、各地のフェスやライブイベントに参加した。2017年にSPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビューアルバム「A GOOD TIME」を発表。日本のみならず、上海、北京、成都、深セン、杭州、台北、ソウル、バンコクなどアジア圏内でライブ活動も行い、海外での活動の場を広げている。2021年にソロ活動を開始し、6月30日に自身初となるソロアルバム「Fantasia」を自主レーベル・Thaian Recordsよりリリースする。
・never young beach オフィシャルサイト
・Thaian Records
・never young beach (@neveryoungbeach)|Twitter
・Yuma Abe (@_yuma_abe) ・Instagram写真と動画
ハマ・オカモト
1991年東京生まれ。ロックバンドOKAMOTO'Sのベーシスト。中学生の頃にバンド活動を開始し、同級生とともにOKAMOTO’Sを結成。2010年5月に1stアルバム「10'S」を発表する。デビュー当時より国内外で精力的にライブ活動を展開しており、最新作は2021年5月に配信リリースした「Band Music」。またベーシストとしてさまざまなミュージシャンのサポートをすることも多く、2020年5月にはムック本「BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト”とはなんだったのか?』」を上梓した。
・OKAMOTO'S OFFICIAL WEBSITE
・ハマ・オカモト (@hama_okamoto)|Twitter
・ハマ・オカモト (@hama_okamoto) ・Instagram写真と動画
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