『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリストモーリー・ロバートソンが「ポスト資本主義」との向き合い方について語る。

* * *

資本主義に絶望した若者はどこへ向かうのか――。欧米の政治潮流において、これはひとつのキーポイントになる動きかもしれません。

1980年代から世界を席巻した新自由主義による格差の拡大を受け、先進国で多くの人々が"資本主義の機能不全"を感じているのは自然なことだと思います。とりわけ既得権と無関係な若年層のなかには、選択の余地もなくワーキングプアへ転落してしまうというリアルな危機感を持っている人も多いでしょう。

ただ、その代わりにどんなシステムがベターなのか、どういう社会が望ましいのかについては意見が分かれます。トランプ現象でも明らかになったように、保守層では一部がより右傾化し、「少数派の意見に耳を傾けすぎるのが悪い」といったアンチ多様性的な主張も根強い。

マジョリティの代表が社会全体を統率することで、ある種の一体感や安堵(あんど)感と共に国家が経済を牽引(けんいん)することを求めるような方向性といえばいいでしょうか(ただしトランプ政権時代、実は税制などでは露骨に富裕層が優遇されていましたが)。

一方、リベラル層では若い世代を中心に、「もはや資本主義の枠組みの中で格差を是正するのは無理だ」という主張も目立ってきています。米大統領選の民主党予備選で善戦したバーニー・サンダースのように、社会保障などの再分配を極めて重視する社会民主主義的な路線です。

ただ、こちらも"ちょうどいい落としどころ"はなかなか難しく、欧米メディアでは若年層がよりハードな左派に向かっているとの論説もある。そういった層が今からマルクス主義に傾倒するかどうかはわかりませんが、「悪いのはすべて資本主義だ」と言い切り、懲罰的に資本家や大企業を吊し上げるポピュリズムが人気を博す可能性はありそうです。

では、日本はどうでしょう? 格差への怒りや既得権層へのいらだちが徐々に強くなっているのは同じだと思いますが、この流れが政治の世界に地殻変動を起こしそうな気配は今のところ感じられません。

その理由のひとつは、日本社会に広く漂う「合理的無関心」という病ではないかと僕は考えています。

日本ではさまざまな歴史的・社会的背景から、政治に関わらないほうが得だという「合理的無関心」が、老若男女問わず、マジョリティの骨の髄まで染み込んでいます。そのため、国境の外で起きている人権や環境の問題が国内の問題につながっているという意識も薄く、「ポスト資本主義」というグローバルなイシューへの共感もさほど生まれていない。

故に、米民主党下院議員のAOCアレクサンドリア・オカシオコルテス)のような、グローバリズムと人権・環境の問題に本気で取り組もうと訴える政治家も見当たりません。本来なら野党の左派政治家から、基地反対、原発反対、憲法改正反対といった"オールド左翼の看板政策"だけでなく、現代版リベラルのグローバルなイシューが提示されるべきなのですが......。

地球規模で政治情勢や環境が激しく変わるなか、このまま世界の社会課題に無関心でいることが本当に「合理的」な判断といえるのか。それを真剣に考える人が増えれば、日本にも変化を望む空気が生まれるのかもしれません。

モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(関テレ)、『所さん!大変ですよ』(NHK総合)ほかメディア出演多数。NHK大河ドラマ青天を衝け』にマシュー・ペリー役で出演し大きな話題に。

「地球規模で政治情勢や環境が激しく変わるなか、このまま世界の社会課題に無関心でいることが本当に『合理的』な判断といえるのか」と語るモーリー氏