鉄道関係の名称はしばしば公募されることがあり、そのひとつに「E電」というものがあります。20位と下位のものが選ばれ、まったく定着しませんでしたが、なぜそうなったのでしょうか。

1987年の国鉄分割民営化でそぐわなくなり

JR東日本が2021年5月末、京葉線に設ける「幕張新駅(仮称)」の駅名を募集すると発表。ネットでは、公募130位の名称が採用された高輪ゲートウェイ駅が引き合いに出されたり、大喜利的なものが始まったり、話題になりました。

鉄道関係の公募は昔からしばしば行われており、そのひとつに、2021年5月に亡くなった小林亜星さんも選考委員の1人だった「E電」があります。

国鉄時代、山手線大阪環状線といった東京と大阪の大都市圏で運転される近距離電車は「国電」と呼ばれていました。しかし1987年に国鉄が分割民営化され、JRが誕生。「国」ではなくなったため、JR東日本が新しい愛称を募集します。

このとき集まった案の順位は以下の通りです。

1:「民電」5311
2:「首都電」2863通
3:「東鉄」2538通
4:「日電」2281
5:「民鉄」1786通

採用されたのは20位、390通の応募だった「E電」でした。

なぜそうなったのか、選考委員を務めたJR東日本副社長(当時)の故・山ノ内秀一郎さんは著書『新幹線がなかったら』で次のように述べています。

「E電」が採用された理由と「大失敗」だった理由

山ノ内さんの記述を要約すると、1位「民電」は「民営」という意味ならば私鉄各社もそうなってしまう、2位「首都電」は発音しにくく「スト電」と言われたら困る、3位「東鉄」は国鉄東京鉄道管理局の俗称と同じなうえ堅い、「JR東日本の電車」という意味なら「東電」がよいがそれは東京電力、そこでかなり下位だったが「E電」を選んだ、とのこと。

また「E電」には、お堅いイメージが強かった国鉄からの脱皮の意味も含んだそうです。

ただ山ノ内さんは「E電」について、「世の中の方々が全く使ってくださらなかった」「『JR』が定着してしまった」「結果は大失敗」としています。

かつて「国電」という名称が使われた背景には、座席や設備、運行体系などが異なる中距離電車「中電」との区別、というものがありましたが、山ノ内さんは「国電と中電の区別も現在ではほとんど意味がなくなってしまった」「お客様にとっては国電と中電の区別などどうでもよい」と記述。「日本語を乱すものとして強い批判を浴びたこともあるが」としつつ、そもそも名称の必要性が乏しかったという見解を示しています。

「さようなら日本国有鉄道」のマークをつけた205系(1988年、恵 知仁撮影)。