「我々は東京都の要請に従っているだけなのに、それに対してクレームが来るんですよ」

 Aさんは、東京都を始めとした関東圏内にチェーン店舗を構える大手飲食企業の重役である。30代で出世した人物だが、そんなAさんは最近「時短営業に対するクレーム」に頭を抱えているという。歌手の三波春夫は「お客様は神様」という言葉を曲解されていることに生涯苦悩し続けたが……。

◆「どうして20時に閉めるんだ」

 緊急事態宣言の期限は6月20日とされている。「延長されるか期限通り終了するか」ということに注目が集まるなか、16日、政府は沖縄県を除く9都道府県で解除する方向で調整に入っていることが明らかになった。

 緊急事態宣言が終了すれば、飲食店は通常通りの営業時間になり酒類の提供も再開される……とはいかないようで、自治体によっては引き続き時短要請や酒類提供の制限を呼びかける可能性もあるという。残念ながら、飲食業界の苦悩の時はまだ終わりそうにない。

「我々の会社の店舗も、都内に所在するところであれば軒並み20時閉店です。しかし、5月頃からそれに対してクレームが来るようになりました。“何で20時で閉めるんだ。早過ぎるだろ!”という内容のメールです」

 Aさんはそう溜め息をつく。東京都内の飲食店の「20時閉店」というのは、当然ながら都の時短要請に従ったもの。しかし世の中は広いもので、中には「都の要請なんかに従うな!」「どこの店も一斉に20時で閉めるのは気持ち悪い。何か大きな力が働いているんじゃないか?」という意見をよこしてくる人も。

「私たちが20時閉店を実施することを、陰謀論じみた言説と絡める人もいますよ」

自粛警察「どうして完全閉店しないんだ」

 その一方で、こんなクレームもある。

「“どうして完全閉店しないんだ? お前らコロナを撒き散らす原因なんだ!”と主張する人もいます。先ほど説明した話とは正反対です。こちらはいわゆる“自粛警察”ですね。緊急事態宣言下で何とか頑張ってる飲食店に、“お前ら店を閉めろ”とわざわざ言ってくるタイプです」

 筆者は相反する主張の2通のメールを見せてもらった。その全文を一字一句記載したらAさんの勤務先が明らかになってしまうのでそれはしないが、“夜遅くまで店を開けろ!”というメールの直後に“完全閉店しろ!”というメールを読むのは、何だか不思議な感じすら覚える。

「この他にも“食券の手渡しは不潔だ。そのあたりを改善しろ”というメールもあるんですが……」

◆感染対策を実施するも……

 Aさんの会社のチェーン店は、食券制である。入店後に販売機で食券を購入し、店員に渡す。その食券の手渡しが新型コロナの感染につながってしまうのでは……という指摘があったのだ。

「もちろん、それ自体は納得できる指摘です。だから我々も改善しました。お客さんが食券を置くトレーを設けたのです。それと、メニューの中には具の種類を口頭で伝えるものもありますから、飛沫感染を防止するために具の種類に応じた別のトレーも用意しました」

 一見合理的な改善措置だが、これは結果的に失敗したという。

「ほとんどのお客さんは、もはや“食券の手渡し”が当たり前と思ってますからね。そもそもトレーの存在にすら気づいていません。もし強引に“食券はトレーに置いてください”と言ったら、それはそれでクレームが来るでしょうし……。まあ、板挟みってやつですよ」

◆「自分の確信」は絶対正義

 今回、Aさんから話を聞いて感じたのは「自分の確信を絶対正義と思っている人が存在する」ということだ。

「なぜ20時に閉店するんだ!」と強烈なクレームを入れた人は、その主張と真逆のクレームが来ていることなど想像だにしていないだろう。無論、「なぜ完全閉店しないんだ!」と言った人も同様である。無茶なクレームを入れる人ほど、その意見を担保するはずの想像力は実は存在しない。

 Aさんは、今日もPCに向かって溜め息をついている。無理難題に等しい「お客様の貴重なご意見」を読み進めながら——。

<取材・文/澤田真一>

【澤田真一】
ノンフィクション作家、Webライター1984年10月11日生。東南アジア経済情報、最新テクノロジーガジェット関連記事を各メディアで執筆。ブログたまには澤田もエンターテイナー

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