山尾志桜里

そのとき、私は日本共産党志位和夫委員長の会見の場にいた。田中角栄首相の頃から永田町を取材する大御所・堀田喬カメラマンから会見中に電話があった。


■noteで引退表明

堀田氏は「山尾志桜里のブログを見たか。今期限りで引退するってよ」と筆者に伝えた。会見中にチェックすると17日の15時21分更新の「皆さまへのメッセージ」と題したnote記事で山尾氏は次のように書いていた。

「今回の任期を政治家としての一区切りとしたいと思います。2009年に国会議員となって12年、現職としては10年務めたことになります。微力ながら10年間でいくつかの役割は果たすことができました。一方、10年かけてできなかったことは、次の10年でもできないと感じます」と書かれてあった。

そして、永田町に一番必要なのはプレーヤーの交代だと説き、現職がいても毎回予備選をやることや議員任期を制限することを、新陳代謝をシステム化するために必要と提言。そして、「まずは私自身が、この3期10年で区切りをつけようと思います」と綴った。


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■引退前に小林よしのり氏に電話

山尾志桜里氏と長く付き合いがあり、2017年の総選挙の直前に山尾氏と倉持麟太郎弁護士との不倫疑惑を『週刊文春』が報じた時に一貫してかばい、応援した後見人である漫画家の小林よしのり氏は舞台裏をブログで次のように明かした。

山尾志桜里氏が次期選挙に出馬しないことを表明した。その数時間前にわしに電話をしてこられて事情を聞き、わしもそれがいいと賛同した。そのうち話し合おうということになった。思想的に一定の合意を形成し、何を目指すかを決めたほうがいい。そのうち『ゴー宣道場』にも戻って来るかもしれない」

■地元に帰らなかった山尾氏

玉木雄一郎

「山尾氏が政界を引退するのでは」という話はずいぶん前から記者の間でささやかれていた。 それは前回総選挙で当選した後に、地元である衆議院愛知県第7区に戻って活動していなかったからだ。山尾氏は東京にとどまり、議員活動や言論戦に力を注いで、地元を疎かにしてた。

昨年9月に旧・立憲民主党と旧・国民民主党が合併した時は、山尾氏はそれに参加せず、玉木雄一郎氏が率いる新生・国民民主党に党籍を移した。そして、本サイトでも報道したが、2020年9月24日国民民主党の比例東京ブロック単独1位で出馬することを表明した。


■文春砲が再び炸裂

山尾氏は再び今春、再び文春砲に見舞われた。『週刊文春ゴールデンウィーク合併号で議員パスの公私混同利用、倉持麟太郎弁護士との交際継続、倉持氏の元妻の自死が報じられたのだ。

報道直後、衆議院外務委員会から出てきた山尾氏はつめ寄せた記者に「自分の口で説明しますから」と言い残して、振り払って去っていた。しかし結局、会見することもメディアの取材に応じることもなかった。

■記者の問いにブチキレ

山尾氏が表舞台に出たのは、5月14日に国会内で行われた「人権外交を超党派で考える議員連盟」第3回総会に出席。共同代表として会見に応じた。

記者から「国会に所属するテレビ、各社の代表として一部週刊誌で報道されています議員パス不正利用に関して、直接的な説明がされていないですけども」と質問が出ると次のようにまくしたてた。

「あのーすいません。まったく今日はそういう場ではありませんので、その件についての質問があれば、どうぞ会館のほうにいらして、質問を出してください。まったく趣旨が違います」

続けて、別の記者が「でも先生、説明されたほうがいいんじゃないでしょうか」と問うと、「まったく場が違いますので、失礼します」とブチ切れして、立ち上がって、そのまま会場を後にした。


■国民民主党は厳重注意処分

筆者は玉木代表の定例会見で3週にわたって、山尾氏の説明責任について追及。初めは玉木氏も「議員である以上、説明責任を果たすべきだ」と述べたが、翌週は「幹事長に対応を任せる」とトーンダウン。さらに、翌週は「党としては厳重注意処分にした」と答え、幕引きを狙った。

筆者は玉木氏や山尾氏に取材で接してきたが、筆者や他の記者の追及がローブローのように効いて、引退表明になったのでは…と推察する。

まあ、とにもかくにも、山尾氏は元検事で弁護士資格も持つ上に弁が立つ。政界引退後も、新天地が待っていることだろう。今後の活躍に期待したい。

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(取材・文/及川健二

国民民主党・山尾志桜里衆院議員が政界引退に追い詰められた裏事情