少子高齢化と人口減少が進むわが国の社会の質を維持し、さらに発展させるためには、データの活用による効率的な社会運営が不可欠だ。一方で、データ活用のリスクにも対応した制度基盤の構築も早急に求められている。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって、これまでの経済、社会のあり方は大きく変わろうとしている。

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 その中で、日本が抱える課題をどのように解決していくべきか。データを活用した政策形成の手法を研究するNFINext Generation Fundamental Policy Research Institute、次世代基盤政策研究所)の専門家がこの国のあるべき未来図を論じる。今回は理事長の森田朗氏による、デジタル技術と個人情報の活用について。日本は監視国家のトラウマに囚われているが、監視されるツールではなく、国家を監視するツールとして捉えるべきだと語る。(過去18回分はこちら)。

(森田朗:NFI研究所理事長)

 少し落ち着いてきたのかもしれないが、多数の重複予約の発生や予約システムトラブル、接種記録の入力ミスなど、ワクチン接種の混乱をめぐるニュースがあとを絶たない。

 お隣の韓国や台湾を含め、多くの先進諸国において、ワクチン接種のための機能的な仕組みが作られていると報道されているが、なぜわが国はそれができないのか。

 思うに、彼我の違いは二つ。一つは、わが国では国民一人ひとりに付与されたID(国民番号)を活用できないことであり、もう一つは、こうした情報の管理を国が一元的に行うのではなく、地方自治体に委ね、各自治体バラバラに行っていることである。

 IDを使って予約システムに登録できるようにすれば重複予約は防げる。いつどこで、どのワクチンを接種したかという記録を全国どこからでも参照できるようにしておけば、接種状況の把握も容易である。さらに、その後の健康状態も追跡できるようにしておけば、副反応への対応やワクチンの効果についての情報も迅速に収集できるはずである。

 わが国にもマイナンバーというIDがあるが、このIDによって個人情報が紐付けられ、プライバシーが侵害される危険があるからという理由で利用できる場面が狭く限定されている。そのためワクチン接種においても、マイナンバーを効果的に利用し、接種状況を管理することは行われていない。

 また情報を国が一元的に管理することは、国が国民生活を監視し、どこかの独裁国家のように、国民の自由を制限することになりかねないという理由で、個人情報の保管管理は自治体の事務とされている。そのため、ワクチン接種の事務のやり方は市町村ごとに異なり、自治体の大きな負担となっているともに、全国的な状況の把握が困難になっている。

 まさに、わが国では、IDは極力使わず、かつ情報の一元的な管理を忌避することが、個人の自由や権利を守るために必要なことと考えられているのだ。

国民が国家を信頼するようになる条件

 確かに、他人に知られたくない情報を誰かが容易に知ることができ、それによって自由な行動が制限される可能性があるとしたら、実際に制限されるか否かはともかく、「気持ちが悪い」ことは間違いない。

 こうした国民の国家に対する警戒感には配慮すべきだが、それでは、うまく動くシステムを作り上げた先進国でそうした国家に対する警戒感が存在しないのかというと、そんなことはない。過去の戦時の経験などから、国家に対する警戒感は存在している。では、なぜそれらの国では、国家が国民の個人情報を集め、管理する仕組みが機能しているのか。

 いうまでもなく北欧諸国、そして現在デジタル化の最先端を行く国として注目されているエストニアは、国民生活を監視し統制しようとする独裁国家ではない。世界でも先進的な民主主義国家である。国民に対して、国家は質の高い福祉サービスを提供しつつ、なおかつしっかりとした民主主義を維持している。

 このようにいうと、わが国で返ってくる反論は、それらの国では、国民の国家に対する信頼が存在しているからであり、わが国では、国家が信頼されていないから、国民は国家に個人情報を委ねることができないのだ、というものである。

 北欧諸国は、確かに国民の国家に対する信頼はわが国よりあるのかもしれない。だが、私の知る限り、その信頼は最初からあったわけではなく、国家が国民の情報をどのように扱っているかを国民が監視し、統制する制度を設け、それによって信頼性を高めていったのだ。要するに、国家は国民が絶えず監視しチェックして初めて信頼できるようになり、国民のために正しく運営されるという考え方だ。

「監視国家」ではなく「見守り国家」を目指した国々

 かつて独裁国家による凄惨な人権侵害を経験した人類は、国家権力の抑制、国家による侵害から国民の人権を守るために、「国家からの自由」、すなわち国家による国民社会への介入の排除を理念として掲げ、それを実現するための国家体制を形成してきた。

 しかし、20世紀の後半になり、先進国は貧困や災害からの脱出も自己責任とみなすような「国家からの自由」の理念に替えて、すべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する福祉国家を目指した。

 理念はともかく、現実にすべての国民にミニマムの生活を保障することは容易なことではない。それを行うには、個々の国民が置かれている状態を正確に把握し、それぞれの国民が必要とする支援を公正、的確に提供しなければならない。

 それには、当然、きめ細かく国民の個人情報を収集し、それぞれの事情に応じて提供するサービスの内容、量を決めることになる。生活保護、年金、ヘルスケア、児童手当、雇用保険等々、収入はもとより、家族、職業その他の個人情報に基づいて給付の内容が決定されるのだ。 

 全国民を対象としてこのようなサービスを行うことには、膨大な作業を伴うが、当初はこれを帳票や台帳を使って手作業で行ってきた。少しでもこの作業を効率化し、ミスや給付の遅延を減らすためには、国民各自に固有の番号を振り、それを使って作業を進めるのが合理的である。

 そう考えたスウェーデンでは、デジタル技術が開発される以前の1940年代後半からIDを用いて福祉国家を実現してきた。そして、この方式を効率化するために、その後デジタル技術の活用を進めてきたのである。

 国家が国民の個人情報を保有する状態を「監視国家」というならば、同様の仕組みを構築しながら、これらの国が目指したのは「見守り国家」といえようか。

国家を監視するために用いられるデジタル技術

 しかし、それでも一方的に国家が国民の個人情報を保有することに対しては、不安が拭えない。そこで考えられたのが、今度はデジタル技術を使って、国家の活動を監視し、国民の権利侵害を防ぐという方法である。

 国家が、個人情報を集めることは福祉国家を維持するために必要である。しかし、その集めた個人情報を国家がどのように管理し使用しているか、それをチェックする仕組みを作ることによって、国家の行動を監視し、民主的統制を実現しようとしたのである。

 例えば、エストニアでは、国民の個人情報に、誰がいつアクセスしたか、各自のポータルサイトから確認できる。個人情報へのアクセスについてはすべてログ(アクセス記録)が取られていて、自分の情報にいつ誰がアクセスしたのかを国民自身が確認できる。

 私自身が直接見聞した事例では、ある国民が自身のポータルサイトを見たら、警察官がアクセスした記録が見つかった。その人は不審に思い、アクセスした警察官にアクセスの理由を問い合わせたのである。アクセスした者は、このような問い合わせに対しては回答の義務がある。

 このケースでは、ある事件の捜査のなかで、事件が発生した場所の周辺に駐車していた車の所有者を調べたが、その時、その人の車も対象になったという回答があり、警察官の行為に納得したという。納得できない場合には、告発することができる。この制度が、国家の行為に対する効果的な監視機能を果たしているという。

 それでも、まだ国が信頼できないという人がいるかもしれない。そのような不信を拭うため、データの保管を分散し、IDを鍵としてのみそれらをつなげることができるシステムを作り、かつそれらの管理は、政府からの独立性の高い公共機関が行うという制度を採用しているところもある。情報公開制度はもちろん、電子投票や公文書管理、オープンデータの制度なども、政府の透明度を高める上で役に立つ。

GAFAMにデータを預けるのに国はダメな理由は?

 このような観点から見た時、わが国は監視国家のトラウマにとらわれているのではないか。デジタル技術は、国家が国民の個人情報を集め国民の行動を監視するためのツールとしてだけではなく、国民の側から国家の活動を監視するツールとしても使えるはずだ。マイナンバーをはじめ、デジタル技術を活用して、きめ細かく効率的な福祉国家を実現しつつ、しっかりとした民主主義国家を作る方法も検討すべきではないか。

 わが国では、国家が国民の個人情報を保有することに対する警戒感が強いが、現在、多くの国民はアマゾングーグルといったグローバルなプラットフォーマーに膨大な個人情報を預けている。わが国政府の規制が及ばない海外の民間企業に預けているが情報が、どのように管理され使われているかは必ずしも明らかではない。受ける利便は非常に大きいが、リスクもあるこれら海外のプラットフォーマーに対する規制が、現在、国際的な課題となっている。

 それに比べるとわが国において国家に対する監視をどうするかは、われわれが決めることができる。国家が規制できない海外のプラットフォーマーに多くの情報を預けながら、自分の住む国には預けられないというのはどういうことか。国家の活動に対するしっかりとした監視システムを作って、より公正で効率的な福祉国家の実現を目指していくべきではないか。

 それとも現代のデジタル技術は使わず、多額のコストをかけ、非効率でミスもある手作業に近い方式で福祉サービスを提供し続けていくのか。コロナ禍を機に、視点を変えて、これからの国家のあり方を考え直してみてはどうだろうか。

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