フランス・パリにまた現代美術館が誕生した。ブルス・ドゥ・コメルス美術館。またと言うのは、パリには既に国立、市立、私立の現代美術館がいくつかある上、2014年にはルイ・ヴィトン財団現代美術館が開館したばかりだからだ。

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 ルイ・ヴィトン財団現代美術館もブルス・ドゥ・コメルス美術館も巨大であるが、プライベートミュージアムであり、大量の税金が注がれているわけではないので、それらの建設に特に市民の反対はなかった。そして、ともにオープン時には、入館予約がなかなかとれないほどの人気を得ている。

 ルイ・ヴィトン財団現代美術館に至ってはしかし、 訪れてみるとその広さに対しコレクションが少なく、ガランとした空間が際立って、アート観賞というよりフランク・ゲーリー建築を見学に行くという趣であった。事実、外観はオープン時の一番の話題でもあった。

 なるほどパリのブローニュの森に、宇宙から人工的な巨大帆船が不時着したかのようで、緑の木々や大空とのコントラストが目の前に現れた時には圧倒された。が、ガラスの屋根は不時着時にずれてしまったかのごとく、何かの間違いのように重なり合い、見つめているとハーモニーある形に直したくなってうずうずする。

 手作りの模型を見ると、とても雑だった。しかし、有難いことに建てられているのは町中ではなかったので、人々はその外観に対して幸運にも疲れる議論を交わすことは避けられた。

 フランス人は、新しい建築物がどのように風景を変えるかにとても繊細だ。大きな建築物であればあるほど、それはその地域の表情を変え、街の顔にさえなる。だから新しい建築物には、その業界人のみならず、一般人からのなかなか手強い批判がつきものだ。

 彼らは愛する我が町を、誰かの“デザイン“で変えてもらいたくなんかない。新建築というものは、ほぼもれなく“時代を象徴する“または“未来型”で、中には奇抜さがセンスを超えているものもある。そんな新入りを彼らは、「斬新!」の一言で片付けないし、「世界に名だたる偉大な建築家による!」と謳われたものであっても簡単には拝まない。

 ギュスタブ・エッフェルエッフェル塔然り、レンゾ・ピアノのポンピドゥー・センター然り、イオ・ミン・ペイのルーブルのガラスのピラミッド然り、ドミニク・ペローの国立大図書館然り。

 火災の後のノートルダム寺院も、再建築にあたっては、あっと驚くアイデアが様々に提案された。しかし最終的に昔のままの形で再建されることになった。人々はそれに安堵し喜んだ。全くフランス人が新建築を歓迎しない証明だ。

大改造されて復活したサマリテーヌデパート

 高原がただただ広がる田舎の、 現代的な風力発電の建築さえ議論が上がる。それがいかにエシカルなものと理解しても多くの住民が反対する。その景観において。そしてその冒された景観により地価が一気に下がるからだそうだ。

 それでも、パリを始めフランスには新しい建築物の建設が後を絶たない。そしてそれはまた、人々の気持ちを少なからず高揚させることも事実なのだ。特に今は、コロナでかつてなく静まり返り、停滞した日々をくぐり抜けたばかりだからこそ、生き生きと未来に向かって進んでいることを実感させる景観は、私たちを幸せな気持ちにさえする。

 5月に新しくオープンしたブルス・ドゥ・コメルス美術館は、 フランスの実業家フランソワ・ピノー氏の現代美術コレクション約1万点が集められたプライベートミュージアムだ。

 ポンピドゥー・センターに程近いパリの真ん中の、19世紀の円形の小麦粉倉庫であり証券取引所だった建物が原形を残した形で美術の殿堂に改造された。美しく洗われ、すくっと佇む歴史的な館の、中に入って初めて外とのコントラストを感じるモダンな内部構造にあっと驚き、しばし立ち止まらずにはいられないという仕掛けもある。建築家安藤忠雄氏だ。
 
 6月23日には、セーヌ河にかかるパリ最古の橋ポン・ヌフの前にあるサマリテーヌデパートが、2005年以来の長い眠りから覚めて再オープンする。閉店となった理由は建物の老朽化だが、19世紀以来の華やかな歴史の足跡を残して現代的かつエレガントに大改造されて、生まれ変わった建築は外観も内部も鳥肌が立つような美しさだ。日本の建築家ユニットSANAAの妹島和世氏と西沢立衛氏によるものである。

 三度目のロックダウン明けのパリのこの明るい二つのニュースには、嬉しいことにこの日本の名前が付いて回る。安藤忠雄氏の名は既にフランスで知られている。ユネスコの瞑想の空間やシャトー・ラ・コスト・アートセンターの建築は安藤氏のものだし、ポンピドゥー・センターでは2018年に安藤忠雄展が開かれた。また、2012年に開館したルーブル美術館ランスLens)などを建築しているSANAAも、知る人ぞ知る存在だ。

 そう言えば、2017年に完成したパリの隣町ブローニュのラ・セーヌ・ミュージカル(大型複合音楽施設)も日本人建築家、坂茂氏によるものだった。彼は2010年にオープンしたポンピドゥー・センター・メッツの新建築も大成功させている。

 パリで活躍する日本人建築家は他にもいる。

フランスの建築シーンを席巻している隈研吾氏

 今話題のパリ拡張計画でパリ郊外が再開発されているが、その一つであるサンドニのプレイエル駅の建築デザインは隈研吾氏によるもの。彼は、サンドニとパリを挟んだパリの隣街ブローニュにあるアルベールカーン美術館の新建築も担当しており、オープンが待たれている。隈氏はパリの新国際会議場、ブルゴーニュのサンマロの新海事歴史博物館、アンジェの大聖堂と、立ち続けに新プロジェクトを勝ち取っており、勢いの止まるとことを知らない。

 そして黒川紀章氏が、伊東豊雄氏が 、田根剛氏が、パリを中心にフランス各地で活躍している。我が家から徒歩3分のところには東京都庁の兄弟のような丹下健三氏のグラン・テクラン(大型劇場付きの複合ショッピグセンター)もある。

 フランスで活躍する日本の建築家の数は思った以上ではないか。しかも、彼らはフランスを代表すると言ってもいい大型プロジェクトばかりにその名を冠している。なぜ日本の建築家なのか。私がフランスに住む日本人だから同郷の建築家に気が止まるだけなのか。 

 フランス在住20年を超えてなお、私は日本人ということで嫌な目にあったことが全くない。尊重されることはよくある。様々なことが優先されたり、好意的に進んだりもする。それは私ではなく、「日本」が生み出したものたちの力によってだ。

 フランスではテクノロジー、料理、音楽、芸術等々、様々な分野で日本の仕事が評価されている。日常をとっても美容院へ行けば美容師からとっておきのメイドインジャパンの鋏を自慢され、ママ友にはエプロン・ジャポネの機能的なカットを褒められる。彼らは日本の“イメージ”も好きだ。日本人がフランス好きなように、多かれ少なかれファンタズムをもって。

 しかし建築となると、彼らはそう簡単に恋に落ちることはできないはずだ。それは上記した通り、フランス人の心根に、我が町の景観への大いなる愛が既に存在しているから。

 なぜ今、日本の建築家なのかという疑問は、しかし私だけのものではなかった。既に同じ疑問を持っていた建築家でありスイス建築美術館のキュレター、国立ヴェルサイユ建築大学の教壇にも立つアンドレアス・コフラー氏がコミショナーとなり、パリの“建築都市情報センター、パヴィヨン・ド・ラルズナルで「パリの日本人建築家」展が2017年に開かれていた。私はコフラー氏にインタビューをお願いした。

フランスが日本人建築家を愛する理由

「この展覧会を開くことになったきっかけは、多くの日本人建築家フランス、特にパリで活躍していることに気がついたからです。SANAA安藤忠雄アトリエ・ワン(Atelier Bow Wow)・・・」と彼は一番に言った。

 きっと私や彼だけではない、フランス、日本の建築界の人々はこの現象に気づいている。パリだけでも1990~2010年は10年ごとに3件だったのが、2010年代には1年に1件ペースで日本人建築家により建築物が建設され(パリの日本建築家展資料より)、2021年現在進んでいるプロジェクトの数はさらなるものだ。

隈研吾、藤本壮介、坂茂はパリに事務所もあり、その現況とそこに見えてくるであろう今日性などを探ってみたいと展覧会の開催を決めました。しかし調査を進めていくうちにフランス建築家と日本人建築家の交流は既に1世紀前から始まっていたことがわかり、展覧会は歴史的観点も持つことになりました」

 そして、なぜ日本の建築家なのだろうかという彼の答えは、こうであった。

「日本人建築家によるフランスのプロジェクトは、二つの国のコラボレーションです。日本人建築家フランス建築家と仕事をするのが好きで、その逆も然り。私たちは調査しながらその具体的な理由が見つかると思っていました。しかしないのです。双方の心根にはお互いの文化への尊重、お互いの文化から学びたいという気持ち、そして友情があるばかり。それは建築を超えてもいるのです」

 さもありなん、ではあるが、とはいえ、日本人建築家の強みというもあるはずだ。

「確かに、日本人建築家によるプロジェクトは、欧米諸国の建築家がパリに提案するものとは大きく異なります。多くの場合、 有機的、多孔的で、透明感があります。緻密なパリという都市の風景においてそれは急進的なことですが、そのアプローチはいつも繊細で、尊重されるものです」

 そして続ける。

フランス人が評する安藤忠雄の凄み

「日本人以外ではイタリアスペインベルギーイギリスなどの欧州諸国の建築家の存在感がありますが、あえて言えば日本人建築家の方が目立っています。日本人建築家は、歴史ある建築物の変革、新しい街の象徴的な建築物など、大きなプロジェクトを任されています」

「ブルス・ドゥ・コメルスの建築について本を書き上げたばかりで、この安藤忠雄氏のプロジェクトがハッピーエンドを迎え、長いコロナでの都市閉鎖を経て開館した姿に今、感動していますが、これは安藤忠雄氏にしかできなかった、ローマパンテオンのような歴史的建築物へのシンプルで力強い介入でした。パリジャンたちからも熱狂をもって歓迎されています」
 
 そのブルス・ドゥ・コメルス美術館の主であるフランソワ・ピノー氏は、安藤忠雄氏を起用した理由を、オープンのプレスリリースの中でこう綴っている。

「この古い建物を美術館にするには、その豊かな歴史に相応しい完全なる修復が必要でした。私はこの挑戦に、安藤忠雄氏を必然的に指名しました。私の今までの文化プロジェクトの相棒です。彼は、急進さとシンプルさが溶け合ったこのプロジェクトを一息で立案しました。ピュア幾何学的な形、円の中の円。彼はこの建物の中に新しい世界を創り出しました 。ミニマルな美的感性、厳格さと純粋さ・・・、彼は形と時間の対話を繊細に確立できる、稀有な建築家です」

 私は「今なぜ日本人建築家がこんなにも活躍しているのか」という問いに対してもう少し腑に落ちる答えを見つけたく、パリ市立芸術ランドスケープテクニック学院の学長で、建築を風景との観点で見つめ続けているアレクサンドル・エンキン氏に話を聞いた。彼の父上が日本の元フランス大使で、幼い頃に日本に住んだ経験があり、日本にも造詣が深い彼の視点は興味深い。

日本の建築家が増え始めた1990年代

「日仏の建築家の交流は1920~30年から始まっています。前川國男氏や坂倉準三氏はパリのル・コルビュジェの元で学び、シャルロット・ペリアンとコラボレーションもしています」

「日本の建築が目につき始めたのは1990年代から。日本のファンだった元パリ市長で後のフランス大統領ジャック・シラクの下 、安藤忠雄氏(ユネスコの瞑想の空間)、丹下健三氏(左岸のグラン・テクラン)などが建てられました。ただ、それは単発的でもあり、様々な側面においてパリの伝統的、理性主義的とは逆で、人々には風変わりな建物と映りました」

「その後、2000年になってから日本建築家の数が増えます。現在、彼らが成功している理由の一つは、プロジェクトに対して異なる提案ができるキャパシティーにあるでしょう。レベルの高い日本独特の建築の個性を持ちながら、国のパラダイムに合わせることができる」

「その土地の建築家と共同の仕事で、彼らが厳しい建築規則(特にパリは特殊)を指摘した時でさえもです。また現在フランスではグランパリ計画(パリ拡張計画)が進んでいますが、パリ郊外はパリよりも規則が厳しくないので、個性ある日本の建築家に大きなプロジェクトが持ち込まれます」

 彼は、日本にある日本の建築物が好きだという。伝統建築、そして小さな空間に暮らしの芸術がある個人の家。

「近年の日本の旅では、西沢立衛氏の豊島美術館に感銘しました。2018年のポンピドゥー・センターの安藤忠雄展も発見が沢山あり心に残っています。しかし今一番好きな建築は、と問われば、安藤忠雄氏のブルス・ドゥ・コメルス美術館を挙げます。この建築家の素晴らしい個性が表現されているからです。形の純粋さ、材質ありのままの個性、空間のスピリチュアルな力。しかし隈研吾氏のサン・ドニ・プレイエル駅も楽しみですし、左岸に2019年にできたSANAAの公営住宅も見学してみたい」

 そして、「ランドスケープからの視点で、日本の建築家が愛される理由を話していいですか?」と続けた。

そして、たどり着いた理由

フランスではランドスケープアーキテクトはその仕事を独立して行います。彼らの多くが建築家であったとしてもです。しかし、日本の建築家のアプローチはそれと全く違います。フランスでの日本の建築家の仕事はいつも大きなもので、風景に影響を与えますが、日本の建築家たちは、環境に合うような建築を提案します。プロジェクトはいつも風景とともにあり、建築は環境と溶け合うのです」
 
 私は彼に、既に私が書き始めている原稿が、「フランス人は新しい建築物がどのように風景を変えるかにとても繊細だ」というところから始まっていることを伝えた。そして、フランス人に日本人建築家が好まれている理由が、建物を建築しながらも、建物のみならず周囲に気を配るという仕事の仕方にあるという彼の意見は、まさに的を射ているだろうと。

「でも、それは建築家の専売特許でもないかもしれません」と、私は彼に自慢するように言った。実は私たちは長い友人である。「日本ではいつでも周りのことを考えるよう、思いやりというものを大切にするよう育てられるのですよ」

 フランスが今、日本人建築家を景観に対する繊細さによって起用しているのであれば、その建築はフランスの徳と日本の徳の、美しい結晶だ。

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2010年にオープンしたポンピドゥー・センター・メッツ (c)Didier Boy de la Tour