朝日新聞5月26日の紙面に「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」と題した社説を発表した。これまでは「現実を直視しろ」などと、コロナの中での五輪の「再考」を求める程度の書き方だった。

朝日新聞社も五輪のスポンサー(オフィシャルパートナー)だから、主催者側に立つ存在として「中止」を主張するまでは不可能なのだろう、と思っていた。それはジャーナリズムとして絶対にあり得ないこと、あってはいけないことで、メディアが「主催者の広報誌」に堕落することだと非難したりもしていた。

実際、朝日だけではなく、同じくオフィシャルパートナーの読売、毎日、日経、さらにオフィシャルサポーターの産経、北海道の各紙の記事は、IOC国際オリンピック委員会)や組織委員会に対する批判が甘かったように思う。

スポンサーの大きなトラックが何台もディスコ音楽を大音量で響かせる聖火リレーに対する批判記事も少なく、それらの批判的な正しい報道は、スポンサーになっていない中日新聞東京新聞を読む以外「真実」を知ることができなかった。

こんなバカげたジャーナリズムの自殺行為が始まったのは02年のサッカーW杯日韓大会からで、朝日新聞が初めて「オフィシャルペーパー(公式新聞)」と名乗った時は、心の底から仰天した。が、東京五輪では主要新聞社が次々と主催者の傘下に入り「五輪広報紙」と化してしまったのだ。

この体たらくはW杯以前からも存在していた。巨人球団を所有する読売、高校野球大会を主催する朝日・毎日……等々主催者となることで「ジャーナリズム(批評)」を放棄してきたのだ。今回の朝日の「五輪中止」の社説が、日本の新聞の堕落したスポーツ報道の改善につながってほしいものだ。

朝日の社説「五輪中止」で、ようやくマトモな報道が現れた