全世界的にインフレ懸念が急速に高まっている。コロナ後の景気回復を見据えた一時的な動きという見方が一般的だが、一方で、インフレが構造的な要因であることを示す情報もたくさんある。客観的に見てインフレになりやすい条件が揃っているのは間違いなく、相応の警戒が必要だろう。(加谷 珪一:経済評論家

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当初からインフレになる可能性は高かった

 米労働省が2021年6月10日に発表した5月の消費者物価指数は、前年同月比でなんと5.0%の上昇となった。米国では3月以降、2%を上回る上昇が続いているが、5%というのは13年ぶりの水準である。米国ではワクチン接種が順調に進んでおり、企業はコロナ後の景気回復を見据え先行投資を強化している。需要に供給が追いつかず、何もかもが値上がりしている状況だ。

 筆者はコロナ危機発生当初から、近い将来、インフレが発生する可能性が高いと繰り返し主張してきたので、今回の事態についてまったく驚きはない。2020年前半は各国がロックダウンを繰り返し、株価も暴落するという状況だったこともあり、世の中の大半が「今後は長期にわたってデフレの嵐になる」という見立てだった。インフレの可能性を指摘する専門家は驚くほど少なく、インフレの可能性に言及するとネットなどでは「コイツは頭がおかしいのか?」などと誹謗中傷されたりもした。

 だが、マクロ経済の原理原則から冷静に事態を分析すれば、コロナ危機がインフレを引き起こす可能性が高いというのは至極当然の結論であり、実際、世界経済は理論通りに推移している。

 コロナ危機がインフレを引き起こすメカニズムは以下の通りである。

 新型コロナウイルスの感染拡大は世界経済にとって危機的な事態ではあるが、大正時代に発生したスペイン風邪の経験などから2~3年(あるいは数年)で終息する可能性が高いことは当初から予想されていた。つまり感染の終息が確実視されるタイミングで、企業がコロナ後を見据えて一気に活動を再開し、そのタイミングで供給制限が発生することも想定済みだったということになる。

 この時、製品やサービスの供給網が変わらなければ、一時的に品不足が発生するだけであり、しばらくすれば通常の状態に戻る。ところがコロナ危機はグローバル経済のインフラともいえるサプライチェーンに甚大な影響を及ぼした。

 これまでの時代は、全世界にサプライチェーンが張り巡らせていることが当然であり、企業は1円でも安いモノを求めて地球の裏側からでも物品を調達していた。だがコロナ危機によって各地のサプライチェーンは寸断され、現時点でも物流は混乱したままである。今後も繰り返しパンデミックが発生する可能性が高いというのは専門家の一致した見方であり、コロナ危機をきっかけに企業は巨大なサプライチェーンをリスク要因と捉え始めた。

 各企業は拡大しすぎたサプライチェーンを縮小し、近隣からの調達比率を上げようと試みるはずなので、最終的には全世界的な供給力の低下を招く。また価格理論上、物流企業は需要が極端に減少すると運送能力を調整するので、輸送コストは逆に上昇する。実際、企業は想定通りの行動を行い、結果としてコンテナ船の運賃はコロナ危機をきっかけに2倍以上に跳ね上がった。

 このタイミングで、ワクチン接種による景気回復期待が重なったので、世界は資材と人材の争奪戦となり、一気に物価が上昇したという図式である。

構造的なインフレ要因もたくさんある

 問題は、顕著な物価上昇が今だけの現象なのかという点である。

 多くの専門家は一時的な現象なので過度な警戒は必要ないと主張しており、筆者もそうした解釈が一般的だと考えるが、一方でこうした思い込みは危険であるとも捉えている。

 世の中では、インフレデフレなどの経済現象に対して、一時的なものか、そうではないのかという議論がよく行われるが、たいていは、単純な二元論に終始してしまう。だが物価というのはまさに市場の動きを反映したものであり、市場というのは単一要因だけで動くものではない。

 足元のインフレは、先行する景気回復期待が引き起こしたものであることは誰にでも分かる。だが、市場が示した数値の意味がそれだけに由来するとは断定できない。

 消費者物価と同様、原油価格も大幅に上昇しているが、これも景気回復期待を反映したものであることは明らかだ。しかしながら、世界は急激に脱炭素にシフトしており、長期的に見た場合、原油の需要が激減するのは確実である。そうだとすると近い将来、原油価格は大幅に下落するはずだが、果たしてそうだろうか。

 石油ビジネスに携わる企業や産油国はあくまでビジネスなので、たとえ消えゆく資産であっても、需要があるうちはそこから最大限の収益を上げようとするだろう。今後、石油の需要が減少するのであれば、今後は設備投資を極限まで絞り、意図的に供給を制限して価格を引き上げる可能性が高い。一方で、石油の需要が本当に消滅するまでには相当な時間がかかるので、その間、石油の利用者は高い価格を受け入れざるを得なくなる。これはマクロ的に見れば確実にインフレ要因となるだろう。

社会の変容が物価に影響を与える可能性

 コロナ危機の発生が社会やビジネスのあり方を大きく変えようとしている点も要注目である。近年、IT化の進展によって経済の基本構造が変わる可能性が指摘されている。具体的にはITツールを駆使した業務の自動化や、移動を伴わない非接触型の営業活動などである。

 一連の変化には10年から15年の時間がかかると思われていたが、コロナ危機が一気に状況を変えた。企業は業績悪化によって組織のスリム化が求められていることに加え、移動や接触を伴う業務はリスク要因となってしまった。このため各社はデジタル化を一気に前倒しした方がよいとの判断に傾いている。全世界的に半導体が不足しているのも、各社がIT投資を一気に増やしたからだ。

 民泊サイト「Airbnb」の最高経営責任者(CEO)ブライアン・チェスキー氏は、コロナをきっかけにビジネス旅行のあり方が激変しており、終息後はまったく違った姿になると予想している。特に1泊2泊の短期的な出張は姿を消す可能性が高いという。

 こうした変化が全世界的に波及した場合、莫大なエネルギーを投じて広域でモノや人が移動する経済構造から、地域集約的な経済構造への変化が進む可能性が高くなる。広域経済が縮小されれば、資材の単価は上昇するので、これも物価上昇を誘発するだろう。

 加えて言うと、政治的な理由から米国と中国の対立が激しくなっており、米中経済の分離が急ピッチで進んでいる。世界経済が米国、中国、欧州の3つのブロックに分断される可能性が高まっており、この動きは近隣調達比率の増加と、それに伴う資材価格の上昇をもたらす可能性が高い。

世界を見渡せばインフレ要因だらけ

 一連の状況を冷静に分析すれば、長期的な物価上昇要因が実は数多く存在することが分かる。しかも各国はコロナ対策と次世代産業育成を兼ねて巨額の財政出動に邁進している。経済学の常識として巨額の財政出動を実施すれば金利上昇を招きやすくなり、金利上昇は当然のことながらインフレを誘発する。

 つまり世界を見渡せば、供給面においても、金融面においてもインフレ要因だらけという状況であり、やはり相応の警戒が必要というのが常識的な結論ということになるだろう。

 中央銀行など金融政策の当事者は基本的に事後追認しかしないので、市場の先を見据えて発言することはない。当局の関係者が「過度なインフレ懸念は不要」と発言するのは当たり前なので、彼等の発言は半分以上割り引いて考える必要がある。

 一気にインフレが進むと焦る必要はまったくないが、まっとうなリスク感覚を持つ人であれば、それなりの対策をしておいた方がよいはずだ。

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