クーデター以後、軍政が立法、行政、司法を掌握し、反軍政を唱える国民への弾圧を続けているミャンマーで、また大きな悲劇が起きた。中心都市ヤンゴンなどで起きた反軍政の市民運動に参加したとして逮捕された64人の「被告」に対し、軍事法廷が6月24日までに死刑判決を下したことが明らかになったのだ。

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 64人の中には17歳と15歳の少年という未成年2人がふくまれているとされ、人権団体などが激しく抗議している。

冤罪の可能性ある死刑判決が続々

 これは6月25日に米政府系放送局「ラジオ・フリー・アジア(RFA)」がミャンマー発で伝えたもので、死刑判決を受けた64人はクーデター支持者の殺害や軍兵士殺害に関与したなど個別の反軍政活動が問題とされ、軍事法廷で死刑判決を受けたという。RFAが情報源から得た話では、64人は死刑判決を受けたものの、これまでのところ刑を執行されてはいない、という。

 ミャンマーでは1998年以降、裁判で死刑判決が下されても、その後に終身刑に減刑されるなどして実質的に死刑執行は長い間行われてこなかったとされる。しかし今回の軍事法廷による死刑判決で実際に刑が執行されれば、新たな社会問題、人権問題となる可能性が高い。

 そもそも、RFAが伝えた複数の「被告」や「被告家族」の声によれば、ほぼ全ての「被告」が問われた容疑との関わりを否定しているだけでなく、軍事法廷で十分な弁護活動が行われたのかについても大きな疑問が呈されている。となると、冤罪による立件や不公正な裁判が行われた可能性さえある。

軍支持派を殺害の容疑で17歳学生逮捕

 死刑判決が伝えられた64人は、クーデター発生の2月1日以降に、大半がヤンゴン、あるいはヤンゴン周辺地区で軍や警察に逮捕、訴追された人々だという。

 死刑判決を受けた17歳のニン・キャウ・テイン君は、タンリン訓練学校の生徒で、4月17日に逮捕された。

 ヤンゴン南部タゴン郡区で軍によるクーデターに支持を表明していたゾウ・ミン氏という男性が、反軍政の市民に殺害、遺体が焼かれるという事件が発生しているが、治安当局はテイン君の逮捕はこの事件に関連したものだと証言しているという。

 しかしテイン君と連絡をとった母親によると「当局は私を殺人者と呼ぶが、真実ではない。私は誰も殺してなどいない」と無罪を主張しているという。母親は、ゾウ・ミン氏殺害事件の2週間後の4月17日、突然兵士が自宅に来てテイン君を逮捕、連行して行ったとRFAに語っている。

 ゾウ・ミン氏が殺害された当時はヤンゴンやその周辺では反軍政を訴える市民による集会やデモが盛んに起きている時期で、これに対して軍が実弾発砲を含めた強圧的な鎮圧を各地で展開していた。

 母親によるとゾウ・ミン氏が殺害された当日、テイン君は銃撃戦を逃れるため避難しており殺害事件や銃撃戦とは無関係だったとして、無罪を訴えている。

15歳学生も同容疑で逮捕、死刑判決

 ゾウ・ミン氏殺害事件では、テイン君と同じ学校の生徒、15歳のミン・トゥウ君も逮捕され、やはり死刑判決を受けている。

 ミン君は兄弟3人と一緒に自宅のあるヤンゴンの地区で警戒監視にあたる警備員を務めていた。ゾウ・ミン氏殺害事件が起きたのがまさにその地区の近くだった。捜査の過程で自宅に兵士が訪れ、ミン君の兄を逮捕し連行した。

 兵士によると軍はミン君を逮捕する予定だったという。ところが当時自宅にミン君が不在だった。そこで兄が身代わりとなって自ら逮捕されたという。

 それを聞いたミン君は兄を釈放させるために軍に出頭して逮捕された、とミン君の母親や姉がRFAの取材に応えている。

 やはり家族によると、ミン君はゾウ・ミン氏殺害事件には直接関わっておらず、たまたま通りがかりに同氏の死体を目撃しただけだ、と無罪を訴えているという。

 このゾウ・ミン氏殺害事件では18人が逮捕されているが、テイン君やミン君という未成年を含む全員が訴追され、死刑判決を受けた。このうち実際に逮捕されて刑務所に収容されているのは11人だけで、残る7人はいまだに捜査の手を逃れて逮捕に至っていないという。それでも法廷では「欠席裁判」で審理され、そこで死刑が言い渡されている。

「死刑判決は見せしめ」と人権団体が批判

 2013年からミャンマーでも活動していた東南アジア諸国連合ASEAN)を主要活動地域とする人権団体「フォーティファイ・ライツ」は「民主化された近年のミャンマーでは死刑判決を受けても、実際にその刑が執行されることはなかったが、軍政はこうした過去を無視する可能性がある」と警告を発すると同時に未成年を含む多くの市民への死刑判決を批判している。

 さらに同団体は「今回のような死刑判決は反軍政の活動を続ける国民への見せしめや警告の意味もある」と指摘する。

 ミャンマーの司法関係者などによると、軍事法廷とはいえ、被告側は判決公判から15日以内に控訴が可能という。

 もっとも刑務所などに拘留中の被告は控訴の手続きを進めるに際し、刑務官の署名による同意が必要不可欠とされ、収監中に暴力を受けるなどしていると訴えている「被告」の「控訴」という希望が叶うかどうかは刑務官の胸三寸次第という状況で、人権上も問題があると指摘されている。

それでも絶えない市民の反軍政抵抗運動

 軍政は今回の死刑判決を、反軍政活動を強める国民に対する「警告」と考えているのだとしたら、それは逆効果となる可能性が高い。というのも武装市民組織である「国民防衛隊(PDF)」や少数民族武装組織などによる軍の拠点や兵士を狙った「攻撃」が、ますます激しくなっているからだ。

 軍政に対抗して身柄を拘束されているアウン・サン・スー・チーさんやウィン・ミン大統領、与党「国民民主連盟(NLD)」幹部、少数民族代表などで構成される民主派政府組織「国民統一政府(NUG)」が軍による人権侵害、虐殺などの残虐行為に対抗するため結成した市民による武装組織がPDFで国内各地において軍や警察への武装闘争を繰り返しているのだ。

 PDFは6月24日、北部のカチン州で活動する「カチン人民防衛軍(KPDF)」が少数民族武装組織である「カチン独立軍(KIA)」の支援を受けてカタ軍区モタ・トラクトにあるシェ・カヤン・コネ村の軍拠点を攻撃したことを明らかにした。この戦闘で軍兵士30人を殺害したとしている。

 また6月27日には中部の都市マンダレーのミリチャン地方で軍政府組織の代表を務める男性がユワンニ村近くのガソリンスタンドで殺害された。

 この男性が胸や背中に3発の銃弾を受けて殺害された様子がPDFの現地組織から発表されたとミャンマーの反軍政メディアが明らかにした。

 6月27日には中部サガイン管区のカレイ郡区で軍の輸送トラックを地元のPDF組織が待ち伏せして攻撃、兵士少なくとも9人が死亡、PDF側に死傷者などの被害はなかったという。

 ほぼ同じ場所では前日の26日に、やはり軍の兵員輸送トラックを道路に埋設した地雷で攻撃したという。この時の死傷者などは分かっていない。

 このように各地で武装市民組織PDFや少数民族武装組織による活動は激化している。そうした戦闘から逃れようとする人々も増えている。国連人道問題調整事務所(UNOCHA)によると、2月1日クーデター以降、軍による攻撃を逃れるため国外に脱出した難民はミャンマー南東部地域で約18万人に達し、このうちカヤ州だけで10万人以上という。難民の多くは国境を越えて隣国タイのメーホンソン県などで難民生活を送っているという。

 各地で軍への攻撃、兵士の犠牲が増えていることに対して、軍のほうも軍事的行動を含めた対応を強化している。それが市民の犠牲や拘束をさらに増やすという悪循環に陥っている。最近では日本でミャンマー情勢が報じられることが減っているようだが、事態が鎮静化したわけでは全くない。軍政と民主化を求める市民、さらには少数民族武装勢力の衝突は激化の一途を辿っている。

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6月26日、ヤンゴン市パベダン郡区でクーデターに対する抗議デモをする市民(写真:AP/アフロ)