「脱炭素化」を巡る覇権争いが加速している。2兆ドル規模のインフラ整備計画をぶち上げた米バイデン政権は、トランプ政権時代の空白を取り戻そうと脱炭素化のアクセルを踏む。他方、習近平国家主席が率いる中国は、2030年の温室効果ガス排出量ピークアウトと2060年のカーボンニュートラルを宣言するなど、気候変動対策の主導権を握ろうと目論む。

JBpressですべての写真や図表を見る

 その中で、「2050年カーボンニュートラル化」目標を法制化したEUは、経済面で米中に劣後する現状をグリーンビジネスのルール形成で覆そうとしている。脱炭素化を軸にした「環境地政学」の戦いは始まったばかりだ。この連載では、脱炭素化や環境地政学を巡る米欧中の動きと、日本の現状について論じていく。

 第4回は「脱炭素化」のトップランナーとなった欧州が環境に舵を切ったきっかけと、その後の戦略について詳述する。

地政学としての気候変動(1):COP26に向けて加速する「脱炭素覇権」を巡る米欧中の暗闘(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65150)
地政学としての気候変動(2):落ち目の欧州が起死回生を狙う「国境炭素調整」は成就するか?(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65423
地政学としての気候変動(3):日本企業を独り負けに追い込む「タクソノミー」に鈍感過ぎる日本(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65634

大久保明日奈:オウルズコンサルティンググループ プリンシパル)

 6月13日に閉幕した主要7カ国首脳会議(G7サミット)で、温暖化ガスの排出削減対策が取られていない石炭火力発電の新規輸出支援を年内で終了するという合意が成立した。議長国の英国が各国での石炭火力発電の全廃を提案したことがきっかけだ。

 英国は欧州連合(EU)を脱退したが、脱炭素起点の成長戦略「欧州グリーンディール」を掲げるEUと立場は同じだ。今やグリーン成長は欧州諸国の最重要課題となっている。

 そもそも、欧州の「環境」との関わりは、工業化に伴う激しい環境汚染と公害を経験した過去にさかのぼる。

 東西ドイツポーランド、英国などで排出される大気汚染物資が原因となり、1940年代から北欧諸国では酸性雨が降り始め、60年代には自然環境への被害が深刻化した。

 同じく1960年代、工業化が進んでいたドイツのライン川上流で水質汚染が進み、下流のオランダの農業と漁業に被害がもたらされた。上流国での汚染が、下流被害国との間の国際問題に発展したのだ。

 環境問題は国境を越える。地理的に近接する国々で構成される欧州では、多国間で協議するという素地ができ、環境への関心が醸成されていった。

 しかし、欧州が環境に古くから注力したことは分かるが、「欧州グリーンディール」のように、なぜ他国に先んじて脱炭素を産業政策に昇華し、「2050年カーボンニュートラル」を宣言できたのか。実は1980年代から90年代にかけて経済力で米国の後塵を拝し、産業競争力が低下したことへの焦りから始まっている。

 まず、当時について米国の視点から欧州を捉えると面白い。米国の産業政策で重要な役割を果たした「ヤング・レポート」「パルミサーノ・レポート」では、欧州は全く意識されていなかったのだ。

米国に歯牙にもかけられていなかった欧州の危機感

 1985年、米レーガン大統領が設置した諮問委員会「産業競争力委員会」が、「ヤング・レポート」(正式名称「Global Competition The New Reality」)を発表した。米国の産業政策の転換点の一つとされており、実際に米国の通商政策やハイテク政策に多大な影響をもたらした。

 ヤング・レポートは、米国の産業競争力の低下の要因は製造業にあるとの政策を提言した。「小さな政府」を目指すレーガン政権には即時には受け入れられない側面もあったが、二期目以降に徐々に取り入れられ、ヤング・レポート以降に米製造業の国際競争力が回復したとされる。

 ここでは、「米国は、欧州よりも経済的に優位であることに甘んじるべきではない。日本をはじめとするアジア諸国を経済的脅威と認識すべき」と明言されている。

 そして、1985年ヤング・レポートから約20年が経過して競争環境が変化したことを背景に、2004年、競争力協議会が 「パルミサーノ・レポート」(正式名称「Innovate America:Thriving in a World of Challenges and Change」)を発表した。「21世紀のヤング・レポート」とも呼ばれる。

「米国の繁栄の源は想像力に富んだ経済力であるものの、新たに台頭する世界各地の『エマージングタイガース』(中国、インドロシアイスラエル、台湾など)との厳しい競争に直面している」と述べた。そして、「競争の優位性の源はイノベーション以外にない」と指摘している。ここでも、欧州について特段の言及はされていない。

 実際、1980年代の欧州はグローバル産業競争で米国の後塵を拝していた。産業競争力の花形「半導体」では、日米がしのぎを削る中で欧州は一人負けであった(図1参照)。製造業雇用数でも、日米は微増する中、欧州は減少していた。また、90年代に入っても、就業率は米国より大幅に低く、改善もしないという厳しい状況だった。

 雇用を生み出すためには高付加価値な新市場が必要だったが、研究開発力は日米に大きく劣り、ITなどのニューエコノミーでも後れを取っている。これが強い危機感を生み、産業競争力低下への根本的な対応として、欧州ワイドの「リスボン戦略」と「欧州2020」策定に繋がった。

コストだった環境が成長の文脈で語られるようになったきっかけ

 リスボン戦略は2000年からの10年間の中期ビジョンで、質の高い職業創出、社会的連帯の強化、持続的経済成長により、2010年までに「EUを世界で最もダイナミックかつ競争力のある知識経済にする」ことが目標だった。IT産業の急成長による生産性の向上を志向した米国の「ニューエコノミー論」に対するEUの対抗戦略といえる。

 2000年の初期リスボン戦略は成長と雇用が主眼とされ、各国の自主努力を前提とした産業面での投資に関する目標が中心であった。しかし、進捗は芳しくなく、ほとんどの目標は未達成との見込みから2005年に戦略を修正することとなった。

 この修正で、EUが従来取り組んでいた環境を梃子とした市場形成も中心アジェンダとなった。具体的には、「エコ・イノベーション(Eco-Innovation)」という表現で、新たな雇用創出分野と認識されたエネルギーや環境技術などへの研究開発投資が新たな柱に据えられた。EU域外でもエネルギーや環境技術市場が拡大していくと想定し、それも見越したものといえる。

 結局、修正リスボン戦略も進捗は芳しくなかったものの、産業政策の中で「環境」が語られるようになったことは特筆に値する。ここから、今まで「コスト」でしかなかった環境対応が「経済成長」の文脈で考えられるようになる。

 リスボン戦略が終了した2010年は不透明感漂う時期だった。前年の世界金融危機の発生により、EUにとっても長年の経済的、社会的な進歩は帳消しになった。同時に、世界の力学は変化し、グローバリゼーションや資源争奪、高齢化といった長期的課題が明らかになりつつあった。

 このような背景から、EUは「連合(the Union)として一丸となって行動することでしか成功に至ることはできない」という観点にたち、リスボン戦略の後継の中期ビジョンとして欧州2020を策定する。

「欧州2020」に見る欧州の覚悟

 欧州2020では、経済成長を目指しつつも、EUが抱える構造的な課題に対処するための社会的な目標も設定された。主要目標は5つに分かれ、「就業率」「研究開発投資のGDP比」「教育水準」「貧困削減」に加え、「温室効果ガスの排出削減」も含まれた。この中では「トリプル20」といわれる目標値が設定され、温室効果ガス削減、再エネ導入、エネルギー効率向上が対象となった。

 前述の主要目標実現のため、「Smart」「Sustainable」「Inclusive」を軸とする7つの旗艦イニシアティブも設けられた。この中でも、持続可能な(Sustainable)経済成長において、気候変動に関連する旗艦イニシアティブ「Resource efficient Europe」が掲げられている。これは、経済の脱炭素化、再生可能資源の利用拡大、運輸部門の近代化、エネルギー効率の促進を通し、経済成長を資源利用から切り離す助けとする、いわゆるデカップリングに注力するという戦略である。

 加えて、2050 年までに低炭素、高資源効率、気候変動に対する弾力性の高い経済への移行に必要な構造変化・技術的変化のビジョンを確立するという、今の2050年カーボンニュートラルに通ずる目標も掲げられた。

 実際、欧州2020における温室効果ガスの排出削減は大幅に進捗し、トリプル20で掲げられていた1990年比温室効果ガス排出量20%減を2015年に早々に達成した。これを成功と捉え、2019年に公表した「欧州グリーンディール」における2050年カーボンニュートラルの宣言に繋がっていく。米国をはじめとする他の大国に先行する動きだった。

再エネによる発電量が化石燃料を上回る快挙

 欧州2020では、グリーンビジネスの支援プログラムも実行された。例えば、「Horizon 2020」という、官民の連携促進による科学的成果からイノベーション創出を目指すプログラムの中で、脱炭素関連のプロジェクトが支援されている。二酸化炭素を回収・除去するネガティブエミッション技術の実用性と、気候変動対策への貢献度合いの評価を行うNEGEMプロジェクトが良い例だ。

 また、独アゴラ・エナギーヴェンデと英エンバーによる調査によると、2020年にはEU域内で再エネによる発電量が初めて化石燃料を上回った。2011年までは化石燃料が2倍以上の発電量だったが、風力を中心に再エネビジネスが勃興し、逆転した。政策の後押しもあり脱炭素ビジネスが育ったまさに今、グリーン成長に舵を切ったことに合点がいく。

 現行の「欧州グリーンディール」では、今後10年間で少なくとも1兆ユーロ(133兆円)を投資する「グリーンディール投資計画」が策定された。グリーンビジネスへの投資も行われ、2020年8月、環境分野の革新的なスタートアップ64社に対し、総額3.07億ユーロ(約380億円)の助成金及び出資が決定した。脱炭素ビジネスへの民間資金流入を目的とした「EUタクソノミー」も2022年1月に施行予定で、この領域の成長は一層加速する見込みだ。

 米国との産業競争で負けたことを自己認識し、強い危機感から環境に活路を見出した欧州。その先見の明によって、今や世界的な脱炭素化の流れをけん引する。今後も、欧州は「EUタクソノミー」のような先鋭的なルールを作り、グリーンビジネスを後押ししていくだろう。

 世界を揺るがす「環境地政学」の今後を見通すためには、不退転の決意でグリーン成長に賭ける欧州の動向の理解こそが鍵となる。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  日本企業を独り負けに追い込む「タクソノミー」に鈍感過ぎる日本

[関連記事]

欧米が決めたルールを律儀に守る日本に足りない“ちゃぶ台返し”

今企業が知るべきサステナブル消費最前線で起きている地殻変動

酸性雨によって破壊されたチェコの森(写真:Science Photo Library/アフロ)