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LiLiCoさんにとってマドンナは「今の私を作った存在」だという

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にあこがれたアーティストの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

「私はハーフスウェーデンの父と、日本人の母)で、チビで、ブスで。しかもメークやファッションも独特で、クラスでは浮いた存在。スウェーデンでの小、中学校ではいじめられていて、学校は楽しくないところでした。そんな80’sでしたが、音楽やファッション、あこがれのアーティストが別世界に連れていってくれたから、私の脳内は幸せだったんです」

そう語るのは、タレントで映画コメンテーターLiLiCoさん(50)。18歳まで過ごした母国では、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本の文化が刺激を与えてくれた。

イギリスデュラン・デュランや、マイケル・ジャクソンが好きだったが、もっとも影響を受けたのは、マドンナだ。

「声もルックスも好きで、斬新なPV(プロモーションビデオ)にはくぎ付けになりました。LiLiCoという名前は、’80年代、アメリカでアイドルだったフィービー・ケイツがドラマで演じた『リリー』という役に『子』をつけたものなのですが、(名字がなく)名前だけにしたのは、マドンナの影響です」

だが、なにより魅力を感じるのは“周囲がNOといってもやりとげる強さ”だ。

「母親を早くに亡くし、きょうだいの世話をしながら、スターになる夢を抱き続けていたマドンナは、17歳のとき、たったの35ドルを握りしめ、故郷を後にしました」

ニューヨークでタクシーに乗ったマドンナは、運転手に『すべてのど真ん中に降ろしてください』と告げ、タイムズスクエアに降り立った。

「何も持たない状況でも“私にはできる”という強い思いで、夢に向かっていったんです」

■「デビュー当初は車で生活していました」

世界の文化を吸収し、芸能界への憧れを強くしたLiLiCoさんは、18歳のとき、祖母を頼りに日本へと旅立った。

「私にはおばあちゃんがいたし、所持金35ドルというわけでもありませんでしたが、日本語ができないまま、日本でアイドルを目指すなんて、やっぱり、勢いがなければできませんでした」

日本語は『笑っていいとも!』(’82〜’14年フジテレビ系)を見て覚えた。ステージデビューは日本に来て1年後のこと。

「ビアガーデンでした。自分は舞台で歌っているのでスター気分でいましたが、お客さんはみんなビールを飲みたいだけだから、どこまで聴いてくれていたか(笑)」

だが、マドンナばりの、自分で自分の道を切り開く力、自己プロデュース力を発揮。

「『私、本当に売れるんで、応援をお願いします!』って、直接お客さんに売り込んで、ファンクラブの会員を500人くらい集めました。会員証には、マドンナの写真がプリントされた衣装姿の写真を。最後にラミネート加工をするんですが、空気が入って失敗したりしましたね(笑)」

その後、演歌歌手の元に弟子入り。

「漢字はレーザーディスクのカラオケの歌詞を見て勉強しました。だから今でも書き順よくわからないんです」

さらにフリーのタレントとして、マネージャーと車で生活したりしながら、健康ランドやスナックで営業をした。

「でも、つらいなんて、あまり思わなかったです。むしろ“この経験は、きっとあとでネタになる”って前向きに考えていました。そんな強い気持ちでいられたのも、マドンナの生き方にあこがれていたから。生き方やファッション、センスなど、いまの私を作ったのは、間違いなく80’sです!」