現役時代に日本ハム(1969-1987)、中日(1988-1994)で「2638試合・.272・382本・1234打点・2204安打」といった成績を残し、引退後は日本ハム(2000-2002)で監督も務めた野球解説者大島康徳さん。5日、その大島さんが大腸がんのため6月30日に70歳で逝去していたと複数メディアが報じた。

 大島さんは2017年2月に自身の公式ブログで、2016年10月にステージ4の大腸がんで余命1年と宣告されたことを公表。その後は治療を行いながら評論家として活動を続け、今年に入っても6月12日にNHKBS1で中継されたロサンゼルス・エンゼルスアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で解説を務めていた。

 しかし、同月21日に自身のブログでがんが肺へ転移していることを公表した大島さんは、28日のブログでは「ブログを書くことがきつくなってきました」と体調が悪化している旨を吐露。29日21時の投稿を最後に投稿が途絶え多くのファンから心配の声が寄せられていたが、報道によると大島さんは容体悪化により28日夜に入院し、30日に息を引き取ったという。

 大島さんの逝去を受け、複数の球界OBが自身のSNSやブログを通じコメントしている。19841987年にかけ共に中日でプレーした山本昌氏(元中日)は5日に自身の公式ツイッターに投稿。「まだ70歳、これからも野球界の発展にご尽力して頂きたかった。本当に残念です。ご冥福をお祈りいたします」と大先輩の死を悼んだ。

 19881994年にかけパ・リーグしのぎを削った愛甲猛氏(元ロッテ他)は、同日に自身のツイッターに「残念です。ロッテ時代ファースト上でよく会話をさせて頂きました。本当に面白い方で大島さんの引退試合で伊良部から痛烈なヒットを打って『愛甲まだ俺やれるな!来年もやるか』って『引退撤回ですね』そんな会話を思い出します。心より御冥福を御祈り致します。合掌」とコメント。現役時代の思い出話を交えて大島さんの死を惜しんだ。

 2020年1月に成人T細胞白血病を公表し現在も闘病中の北別府学氏(元広島)は、同日に自身のブログに投稿。「球界の先輩である大島康徳さんの訃報を聞き大変残念でショックを受けております。お互いに病を乗り越え野球談義ができる日が来るかと信じておりました」と、大島さんの死に動揺している旨を吐露した。

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 大島さんの訃報を受け、ネット上にも「現役時代から思い入れがあったからこの上なく悲しい、心よりご冥福をお祈りいたします」、「余命1年宣告から約4年…ここまで本当に頑張られたと思います、これからは天国で野球界を見守ってください」、「最後まで病魔と闘い続けた大島さんの姿は決して忘れません」といった追悼の声が相次いでいる。

 逝去が判明した5日、大島さんの妻が大島さんのブログに投稿。今年の春頃に大島さんが口にした言葉として、「命には必ず終わりがある 自分にもいつかその時は訪れる その時が俺の寿命 それが俺に与えられた運命 病気に負けたんじゃない 俺の寿命を生ききったということだ その時が来るまで俺はいつも通りに普通に生きて 自分の人生を、命をしっかり生ききるよ」という言葉を記している。その言葉通りに人生を生き抜いた大島さんの姿は、これからも多くのファンの記憶に残り続けていくだろう。合掌。

文 / 柴田雅人

記事内の引用について
大島康徳さんの公式ブログより
https://ameblo.jp/ohshima-yasunori/
山本昌氏の公式ツイッターより
https://twitter.com/yamamoto34masa
愛甲猛氏の公式ツイッターより
https://twitter.com/norainu_0815
北別府学氏の公式ブログより
https://ameblo.jp/manabu-kitabeppu/

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