パリで10年にわたりテーラーを営み、現地で最高峰の地位に登りつめた天才、鈴木健次郎さん。コロナ禍によって顕在化したというその理想と現実を、服飾史家の中野香織が聞き出すシリーズ。前編は、パリのテーラーリング事情について。

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文=中野香織 撮影協力=ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町

パリのテーラー、鈴木健次郎の今

 パリに拠点を置き、オーダースーツのビジネスを営むテーラー鈴木健次郎さんに初めてお会いしたのはもう10年ほど前だろうか。フランス特有のスーツの美意識やテーラリングにかける思いを情熱的に語っていた鈴木さんは、その後、テレビメディアでも取り上げられるようになり、1年に5回ほど日本でも受注会を続け、スーツを通じて日仏両国の架け橋となって活躍している。

 コロナ禍によって、スーツをとりまく世界の事情は大きく変わった。男性のスーツ着用率が世界一高い日本では、スーツ量販店が大きな打撃を受けてビジネスの方向を大きく変えたり、作業着兼用スーツを提案する異業種が参入して新たな需要を掘り起こしたりしている。ビスポークの世界では、堅調であるところとそうでないところの格差が広がっている。

 フランスではどうなのだろうか? パリのテーラリング業界の最新事情、および今やベテランの域に達している鈴木さんの現在の率直な心境を伺うべく、5月末から6月初旬にかけて来日した鈴木さんに、ペニンシュラ東京と和光での受注会を終えたばかりのタイミングでお話を伺った。

 

パリのスーツ業界の今

──パリのテーラリング業界は、現在、どのような状況ですか?

鈴木 新型コロナの影響は大きいですよ。「ランバン・ムジュール(ランバンのオーダースーツ部門)」は、パリで最古のテーラーですが、去年のはじめにオーダー部門を閉めました。コロナ禍以前から問題があり、カッターが何度も変わったりして、結果としてお客様がいなくなったというのが原因ですが。サントノレ通りの店舗も引っ越すというし、コロナが決定打となりました。他も決して良くはありません。

 最近はとある老舗のテーラーが、外国の投資家がスポンサーになったことでパリコレに出るようになり、世界的に店舗を増やしました。世界的に有名なメゾンであっても、個人資本だと難しかったのではないでしょうか。もう、フランスでやっていくためには、資本力がないと無理です。

 パリでは星付きレストランや、日本人がシェフをしているフレンチも、どこも資本が入っていますよね。社員2人の小さなお店ですら投資家が入っているくらいなので、個人で経営しているところはほぼ皆無に近いと思います。

──ロンドンのサヴィルロウも、北欧系の資本に支えられてなんとか散り散りにならずにすんでいますよね。

鈴木 そうですね。フランスでも堅調なところに「ベルルッティ」がありますが、ここは大手資本の傘下ですね。ただ、アッパーの方からすると大手グループに入るとモードなファッション性が全面に出ますので、アルティザンの要素が強い、タイユールとは見え方が少し違ってくるようです。フランス人にとってのタイユールとは、まるで美容院に行った帰りにサラッと立ち寄るような、そんな身近な存在という部分もあるのかと思います。規模が大きくなりすぎると、彼らがイメージするものと少し変わってくるのかもしれません。

なぜ鈴木健次郎は評価されるのか?

──そのような状況のパリで、個人経営の鈴木さんがタイユール(テーラー)としてビジネスを続けているのは貴重なことですね。

鈴木 パリの靴のオーダー店、たとえば「オーベルシー」、「ジョンロブ」、「クロケットジョーンズ」、それから眼鏡のオーダー店などが、私を高く評価してくれて、お客様に勧めてくださるんです。とくに40代~60代は私のことを高く評価してくれます。フランスの超有名人で、俳優や映画監督の弁護士をしているテミム氏も、インタビューの中で「ヨーロッパのベストテーラースズキだ」と言ってくれます。

 新規で来られたパリジャンに「どなたの紹介でうちに来ていただけたんですか?」と採寸をしながら伺うと、「ムッシュウスズキは有名ですよ。夜のパーティーでも何度もあなたの名前を聞くし、前々から注文したかったんですよ」などと言われ、自分でも驚くくらいです。パリのタイユール、イコールスズキだ、と多くの方が言ってくれています。

──なぜ鈴木さんはそのように高く評価されるのでしょう? 

鈴木 「クラシック」をおさえているからではないでしょうか。歴史的根拠にのっとった「こうあるべき」という組み合わせってありますよね。ひとつボタンピークドラペルのシングルジャケットにパッチポケットはありえない、とか。フランスは奥深い洋服文化を持つ土地なので、〝なんでもあり〟をやると、〝ああ、クラシックを知らないよね〟と思われてしまいます。

 他のテーラーではそんなルール破りのデザインを面白いと言って作ってしまったりします。でも私は決してやりません。「クラシック」って本来とんでもなく美しいものなんです。その方が歩いただけで、息を呑むようなエレガントさを感じさせる、強さがあります。

 ルールをしっかり守って着こなしをするからこそ、着ている人から品格や知性を感じると思いますので、フランス人で、青年期から服を仕立てている人たちはその部分がいかに大切かを知っているのでしょうね。私は「クラシック」をどのくらい理解したうえで自己表現できるのか、そこに気をつけていることもあって評価されていると思っています。

──日本人の鈴木さんが西洋のテーラリングの伝統を守っている、というのも面白いですね。

鈴木 日本ではそれほど珍しいことではないですよね。メンズテーラリングだったら誰でも理解していることを、私は守っているんです。自分が若い頃アンティークが好きで、勉強して身に着けてきたということも、大きいと思います。

 お客様と話をしたときに、60年代のスタイルはこう、70年代のスタイルはこう、ロンドンはこう、ミラノはこう、とリズムよく話ができます。パリのテーラーにはそんな話ができる人が、意外と少ないのです。歴史を知ったうえでスタイルとして取り入れるとなると、そこに合う生地、ボタンの選択肢も限られてきますよね。お客様との話の流れのなかで「この生地にはこれですよね?」「もちろん」となる。そうした日々のやりとりが、信頼につながっていると思います。

 たとえば、ダークグレーのスーツでは裾はダブルにはしないということを前提として知っていたら、「これはシングルですよね」「もちろん」と話が進むわけです。年代ごとのスタイルのお約束事を踏まえたうえで話ができると、お客様にとっては安心感につながります。そういうことを理解せずに「なんでもあり」というのは、テーラリングの世界では決してよいことにはならないのです。

(中編に続く)

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2021年6月に、「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」にて撮影。撮影はすべて山下英介