2021年7月、韓国文学翻訳院の院長が、韓国文学の世界化を唱えている。自画自賛。そのすさまじい発展の先に、近々のノーベル文学賞受賞者が、韓国人文学者がいるとまで話している。

 1990年代は、韓国文学を知って欲しいと、韓国人は身もだえしていたらしい。それは、1994年に日本の大江健三郎氏がノーベル文学賞を受賞したことに起因する、嫉妬からだ。

 大江氏の文学のすばらしさは、多くの読者やファンに委ねるとする。けれど、ノーベル文学賞に値するべきものと日本人ならば考える。けれど韓国人は、日本の出版社をはじめとする企業が、約4000種の本を海外に向けて翻訳し出版したから「たまたま」大江氏が選ばれたという見方だ…一回でもその4000種を読んでから言え。

 韓国も1980年以降、韓国文学翻訳院の翻訳した1528種を含め2500種世界出版しているそうだ。そういうインフラが整ったから、ノーベル文学賞をくれという足搔きにも聞こえる。

 もちろん、もらえない場合を想定して「ノーベル文学賞受賞が、韓国文学の最高峰到達点ではない」と加えるのも忘れてはいない。世界文学として、すぐに韓国文学作品があげられ、「韓国の文学って、素晴らしいね」と、世界中からの賞賛をしてほしいらしい。

 ノーベル文学賞に関しては、歌手のボブ・ディラン氏が受賞したように、小説や詩などの純文学系だけでなく、そのフィールドは広がっている。

 筆者は、残念ながら、韓国文学は何一つ知らない。田舎の書店のベストセラーコーナーに並ばないだけで、都会では並んでいるのだろうか。在日の詩人の詩集などは読んだことがある。けれど、それは、最初から日本語で書かれ、日本の出版社で出されたものだ。また、韓国籍、日本で大学教授をしている方のエッセイを編集したことはある。申し訳ないが、同じ内容ならば日本人書いたとしても、出版は難しいだろうなと感じた。被害者意識で溢れていたからだ。

 多く出版すればいいものではない。そこら辺が、わかっていないのではないだろうか。残念過ぎて涙がこみ上げてくる。

韓国のイメージ