以前お話したように、僕が音の仕事に携わるようになったのは虫プロ時代、「ジャングル大帝」(1965~66)の頃からになります。

虫プロで制作進行だった僕は、「ジャングル大帝」から設定制作という役職につきました。設定制作とは脚本の段取りや設定に関わるいろいろな資料を集めるプリプロ的な仕事で、シナリオライター辻真先さん、雪室俊一さんたちのお宅まで行ってやりとりしていました。なかには脚本をなかなか書いてくれない方もいて、しょっちゅうお宅にうかがっては奥さんになんとか書いてもらうようにお願いしたのも思い出深いです。設定制作は準備段階は忙しいですが、いざ制作体制ができて動きだしたら仕事がほとんどなくなってしまいます。そんなとき、りんたろう監督から「アケは制作の仕事だけでなく、何か技術を身につけたほうがいいんじゃないか」と言われ、以前から興味のあった音の仕事をやりたいと田代(敦巳)氏に相談しました(https://anime.eiga.com/news/column/aketagawa_oto/107539/ )。

ちなみに、たしか「ジャングル大帝」を準備していた頃、虫プロでは「虫プロランド」という1時間の放送枠でかける「新宝島」(65)をつくっていて、僕はプロデューサーとして関わる予定でした。最初だからと手塚治虫さん自ら絵コンテを描いていたのですが、スケジュールは相当厳しく、制作にはかなりの時間がかかりました。当初はテレビで短編をつくるシリーズとして続けていく予定でしたが、このスタイルでは週ペースでつくれないし予算もかかるというので、1本きりで終わってしまいました。

ジャングル大帝」では制作担当をやらないかとも言われましたが、やはり音の世界に関わりたいと田代氏のもとでアシスタントの仕事をし、レオが大人になった放送2年目の「新ジャングル大帝 進めレオ!」(66~67)から具体的な音の作業をやりはじめました(※明田川氏は音響助手としてクレジット)。

ジャングル大帝」の制作担当は、虫プロで同期だった森(柾/もり・まさき)ちゃんが担当して頑張っていました。彼は制作班を複数つくるシステムを立ち上げて、それぞれの演出家がチンパンジー班など動物の名前の班をつくってシリーズをまわしていたんです。そこにはりん監督(林重行名義)をはじめ、勝井千賀雄さん、瀬山義文さん、漫画家の永島慎二さん、ポンさん(平田敏夫氏の愛称)、北野英明さんなどがいました。片岡忠三さんは日芸出身のアニメーターではない方で、「アトム」のときに演出助手から演出家になった方です。田代氏も日芸出身で、当時の虫プロには日芸出身の人が多かったんですよね。