例年であれば、全国各地で「お祭り」が開催されるシーズン新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止が相次いでいるが、本来は神様に感謝する“儀式”が変化したものだ。

 そもそも人々にとって行事や祭りとは、神を敬い、死霊を恐れ、穢れや悪縁を祓うために行われるものが多かった。ここでは、その基本的なルーツを知ることで、いにしえから続く伝統と歴史の重みを感じてもらいたい。以降、朝里樹氏の著書『日本異界図典』(ジー・ビー)より一部を抜粋して紹介する。

◆神様に祈り交信するための儀式

まつり」という言葉にはいくつかの漢字があてられる。たとえば「祀り」は神に祈ること、交信することや、その儀式を指す。

「政」は、まつりごととも読むように、古くは政治も「まつり」の要素のひとつであった。

 いわゆる行事としての「まつり」には「祭」という字が用いられることが多い。これは「肉・手・示」という3つの字が合成された文字で、お供え(肉)を手でささげる(示)という意だ。つまり「祭」とは、異界の神や霊をもてなす儀式なのである。

 日本には春夏秋冬、四季それぞれの祭りがある。それらは豊作の祈願だったり収穫の感謝だったりと、 農耕サイクルに応じて意味を異にする。それでも全体に通じるのは、災害や疫病といった、この世の工夫では避けがたいことを、異界の力によってなくしてほしいという人々の祈りであろう。そのために、我々は今も神や霊をもてなし、願うのである。

・「ハレ」のお祭りという概念

祭りを理解するうえで重要なのが「ハレ」と「ケ」の概念。民俗学ではハレは非日常を、ケは日常を表す。祭りはハレであり、日常を隔てた非日常の空間である。

◆神である神輿や山鉾を揺らすことで神をもてなす

 多くのお祭りで、人々は神の乗り物である神輿を担ぎ、揺らしながら地域内を回る。揺れが激しいほど、神は喜ぶのだという。巡行中、神輿にはその土地や人々の災厄、穢れが集められると考えられ、巡行後は神社でのお祓いや、海や川で洗うことによって神輿を清める。階段から落として壊すという風習もあるそうだ。

 車輪で動く山車(だし)も数多くのお祭りで見られる。山や巨岩は「依代(よりしろ)」という神が降臨する原始信仰が元になっていて、山車にももちろん、神が乗っている。

 大きなものには舞台が設けられ、笛や太鼓、鐘のにぎやかな演奏がある。これは神輿でいうところの揺れにあたるものだろう。神を「はやす」ことで喜ばせるのだ。

 歴史ある京都の祇園祭では、この依代を「山鉾(やまぼこ)」と呼ぶ。踊りや囃子を演じながら歩く行列でにぎわい、傘鉾は、人を雨から守るように、行列に災厄が集まらないよう、結界を張ったのだと考えられている。

お祭りルーツは?

お祭りルーツは「岩戸隠れ」

神社や寺院を舞台に儀礼としての祭りが始まったのは、日本神話の「岩戸隠れ」にあると考えられている。天の岩戸に隠れてしまった太陽の神アマテラスオオミカミに何とか出てきてもらおうと、八百万の神々が岩戸の前で踊り歌い宴を繰り広げる。気になったアマテラスは岩戸から出てきて、世界は光を取り戻すというエピソードだ。

・裸で神と交流する「裸祭り」

日本の祭りの中に、「裸祭り」というものがある。褌(ふんどし)のみの裸体に近い格好で参加する祭りで、これは生まれたままの清らかな姿で神様と交流を行うためという意味がある。

<監修/朝里樹、イラストレーター/ひじやともえ

【朝里樹】
怪異妖怪愛好家・作家。1990年北海道に生まれる。2014年法政大学文学部卒業。日本文学専攻。現在公務員として働く傍ら、在野で怪異・妖怪の収集・研究を行う。著書に『日本現代怪異事典』『世界現代怪異事典』(笠間書院)、『日本のおかしな現代妖怪図鑑』(幻冬舎)がある。

―[シリーズ「行事」]―


日本にはたくさんのお祭りがある。神様に感謝する儀式がお祭りと変化していった