(平井 敏晴:韓国・漢陽女子大学助教授

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 中国の台湾に対する未練は、相当のものらしい。

 私はかつて中国・福建省を何度か訪ねるうちに、ふとそう思った。旅したのは福建省南部の沿岸に広がる閩南(ビンナン)地方、特に、経済特区に指定されている厦門(アモイ)市や、その北東に隣接する泉州市である。この2つの街は、現地の人たちの台湾への窓口である。

台湾海峡(印のついた海峡)に面する中国福建省・閩南(ビンナン)地方の泉州市と厦門(アモイ)市の位置

 アモイや泉州が台湾への窓口になっているのは、いくつかの理由がある。その一つとして、台湾人の先祖の多くがもともと閩南(ビンナン)地方に住んでいたことが挙げられる。

 私は文化の背景にある思想が専門で、その関係で台湾について調べるためにこの閩南を歩くことにした。それはそれで成果はあって、今もその内容を含めた書籍の出版準備を進めている。だが、その一方で、閩南を旅するなかで、中国が台湾に伸ばしている食指を、何度も強く感じてしまった。旅したのは5年以上前だが、今から思えば、中国は台湾を香港のように取り込んでしまいたいと模索していたのだと合点がいく。

古くから自由な人的往来があった台湾海峡

 泉州には「閩台縁博物館」という観光スポットがある。訪ねたことのある読者もいらっしゃるだろう。

 泉州は、経済特区に指定されている厦門と異なり、古き良き閩南の風情の残る街並みが魅力だ。それはたしかに中華風である。

 門のなかに虫が入っている「閩」の字が示すように「閩南」とは蔑称である。閩南人と言えば漢族であるが、黄河文明の花開いた“世界の中心”の中国からすると、秘境を意味する。

 とはいえ、閩台縁博物館という名称は、なかなか政治的でもある。異なる2つの政治体制が敷かれる閩南(中国)と台湾とのあいだで、「縁」を知らしめるという意味を含むからだ。しかも察するところ、その縁を結ぶのは、「漢族」という民族というところなのだろう。

 そんな思いを巡らせながら朝一番に博物館に到着すると、敷地のだだっ広さに圧倒される。また、博物館の名称を刻んだプレートの文字は、江沢民の筆による。かなりの入れ込みようだ。

 展示の内容は極めてわかりやすい。概要はこんな具合だ。──閩南と台湾の間には先史時代から人的往来があり、明・清朝では福建と台湾は1つの行政区に属していた。宗教でも同じ信仰がある。そこへ日本が侵略してきて台湾をもぎ取られ、抗日運動が展開された後に解放を迎えた。

 つまり、太古から日本の台湾統治が始まるまで、台湾海峡は自由な人的往来があって、 閩南と台湾との縁は歴史的にも深い、というのだ。

 たしかに、それは間違っているわけではない。沿岸地域に住む人々は、太古から船で海上を往来していたのは確かだからだ。また、台湾島は清代まで福建省に所属していた。

 だが、台湾海峡の歴史は、そう単純に割り切れるものではない。台湾人の祖先の多くは400年ほど前の明代が終わるころまでは閩南に住んでいた。彼らが故郷を捨てざるを得なかったのは、清代に入ってから閩南人の海上での往来が制限されて生活が困窮したことなど、多くの理由がある。

石器時代に遡って類似性を説明

 ここで、展示の説明文についていくつかを具体的に紹介しよう。

 最も印象深かったのは、人類が地球上に現れて間もない考古学的な時代にも大陸からの人々が台湾に入っていたという説明だ。

「福建と台湾は海峡を挟んでいる。第4更新世氷河期のあいだ、海水面が下がり、大陸から動物と人類が海峡を渡っていった。氷河期が終わると海水面が上昇するが、福建と台湾という私たち2つの地域の祖先たちは、海峡の厳しい荒波にも打ち負けることなく、原始文化での密接な関係を維持し、共通の故郷を作り上げていった」

 ちなみに、第4更新性氷河期というのは、どうやら数百万年前から1万年前までを言うらしい。ここまで時代を遡った説明は想像だにしていなかった。

「旧石器時代から新石器時代にかけて、台湾の自然文化は大陸から伝えられ、その影響を受けていた。そして長期にわたり大陸との文化的交流があり、2つの地域で共通のものが多くなり、文化的に非常に類似するようになった」

 そしてさらに踏み込んで、「福建と台湾は共通の祖先をもち、血も骨肉も元々は同じである」とまで説明されている。

 閩台縁博物館の説明が本当に正しいのかどうかの判断は、私の手に負えるところではない。とはいえ、400年前に閩南から台湾に多くの人々が海を渡る以前には、台湾海峡にはそれほど多くの漢族がいたわけではない。それにもかかわらず、旧石器時代や新石器時代にまで遡って、閩南と台湾には縁があると主張するのだ。

 こうした考えは、「一つの中国」を根拠として一国二制度を否定する習近平にとって、台湾を完全に「中国化」する根拠になるだろう。

台湾側にとっては微妙な文言

 それにこの展示には、台湾の立場からするともう一つ、極めて微妙な文言がある。それは、台湾原住民に関するものだ。台湾原住民は主に、「(現在の)福建省で暮らしていた閩越族が周から漢の時代にかけて台湾に渡っていった人たちの末裔」だというのだ。

 台湾原住民は、ポリネシア一帯に住むオーストロネシア系の民族とされる。もちろん、台湾海峡の往来が太古からあったのであれば、「混血」(異なる人種、民族の間で子供が生まれること)がまったくなかったとは言えない。だがそれでも、台湾原住民と漢族との混血が太古からどれだけあったかは、非常に微妙であり、少なくとも、わざわざこうして大陸側で展示の解説に入れる文言ではないだろう。

 台湾原住民の話は、台湾の近代化とも深く関わり、また、現在の台湾社会でも大きな問題であるので、別の機会に委ねることにする。

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中国福建省・泉州市の街並み(出所:Pixabay)