今回は、美容師なら誰しも共感できる「カット椅子」にまつわるお話です。 

 カット椅子とは、その名の通り、座りながら髪を切るために用いる椅子のことです。 

 ただでさえ腰を痛めやすい美容師、余計な負担は避けたい。ですが、これを使わないことを昔から頑なにルール化している美容室が多くあります。 

 勿論これは全ての美容室に当てはまることではありません。ですが古い慣習が残り続けている美容室は多く、未だ“モーレツ”な『悪しき慣習』を引きずっている様子が窺えます。 

カット椅子』とは? 

 美容師はあちこちに髪の毛を引っ張り上げてカットをしていますが、この時にはハサミで切る線がズレないようにするために、必ず毛先を持った手元を見ています。そのため引っ張る方向によって、身体が捻れるようになったり、中腰になったりします。 

 窮屈な姿勢になることも多く、足がプルプルしたり身体がブレたりすると、肝心の手元もブレてしまいます。 

 そこで使うのが「カット椅子」です。座る姿勢は立つ姿勢よりも安定し、脚にローラーが付いているので小回りも利きます。 

 そこまでして美容師が窮屈な姿勢を取るのには理由があります。なぜなら引っ張り出す角度によって、切った髪の形は変わってしまうからです。 

 頭を平面で説明していますが、実際は球体のように丸いため、引っ張る角度は美容師から見て上下左右、手前、奥、と動きに合わせて髪の毛の切れ方が変わります。

なぜカット椅子に座っちゃいけない? 

 美容師が座りながら切るには、立っている時よりスペースを広く使う必要があります。特に都内の美容室はテナント自体が狭いので、カット椅子を使うと、人が通れるだけの通路が無くなってしまったり、使わない時に隅に置いているカット椅子が邪魔になってしまうこともあります。 

 ですが「カット椅子を使っちゃいけない」ルールには、それとはまた別の理由があります。それは「姿勢」についてです。 

 これは接客業全般に言えることかもしれませんが、美容師は日常的に立ち姿勢などに対して、厳しい先輩から指導されることが多いです。スマートに立ち振る舞うことが求められ、もちろん気怠そうに立っていると怒られます。 

 また、美容師は営業中に座ることを良しとはしません。やる仕事がなくても常にお店の隅やフロントなどのどこかに立って、すぐに先輩スタイリストへの助太刀ができる「姿勢」を要求されてきました。 

「姿勢」に厳しい美容師 

  同じように、施術中の作法やカットする時の「姿勢」も厳しく教わります。切る一連の動作が慣れない間は手元がブレやすく、手元に集中するあまり、腰が曲がったりして、立ち姿がカッコ悪くなりやすいものです。 

 怖い先輩から厳しく教えられたことを遵守してきた先輩美容師は、それをまた後輩に伝授することになります。ですがこだわりが強くなると『この時のあの「姿勢」もシャンとするべき』、「これ」も「あれ」も、と飛躍していきます。すると「姿勢」の重要さを過大に評価してしまったり、本質を見失ったまま教えられてきたことに固執してしまいやすい。 

 その先輩の感覚はいつのまにか「姿勢が悪い = やる気がない 」と結び付け、“身体的な「姿勢」”と“精神的な「姿勢」”を混同してしまうのです。

座って背中が丸くなると、、 

 カット椅子での作業は、手元に目線を向けると背中が丸くなってしまいやすい。 

 これが拡大解釈を経て、立っていることに美学を見出した先輩にとっては「座って切る」のが、「楽(らく)してやってる」ように見えるのです。

 怖い先輩から次第に圧力がかかった末、「座るとあの先輩から怒られるから、座っちゃいけない」と考える後輩。 

 カット椅子を使わないルールが確立された実際の理由は、たったそれだけといえるでしょう。 

 すると駆け出しの若手も、そんな先輩の背中を見て真似するようになり、それをまた自分の後輩に伝授します。先輩に怒られないために始めた慣習は形骸化して、いつしか定着してしまった。 

「美容師という仕事はこういうもの」「座らないで切るのが一流」といった歪んだ美学は、「座るのはサボっている」ものとして脈々と受け継がれてきたのです。 

辛い姿勢は腰を痛めるだけだし、誰のための美学? 

 技術職だからでしょうか、そういった「昭和な伝承」は今になっても聞く機会が多いです。昭和の価値観を美化したままの企業では、若い美容師は押し潰され、辞めていってしまいます。 

 会社側が「座る」ことを推奨しないのであれば、それは立派なブラック企業です。「腰を痛めても自分の責任」と言われて納得してしまうのは、会社の方針が間違っている事にも気づかないほど、業界で当たり前の慣習になっているからです。 

 僕が新卒で入社した13年前には、このような慣習は多くありました。そしてそれを壊せるのは「散々やらされてきたけど、意味ないじゃん」と思える僕ら世代であることは間違いないです。 

 ファッションや見た目には敏感な美容師。ですが、日々を専門的で閉鎖的な空間で過ごすうちに、既に古くなってしまったマインドを美化したり、過去の成功体験に固執してしまいがちです。 

 この記事が「それはもう辞めようよ」と上司に進言するきっかけになればと思います。

(操作イトウ

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