―[モラハラ夫の反省文]―


モラハラ夫の反省文】第2回

◆理屈で攻撃するモラハラ加害者たち

「『俺にわかるように説明せよ』と言われます。いくら説明しても納得してもらえず、話すのも嫌になり、途中からは説教され、結局相手の思い通りになってしまい、とても苦しいです……」(とある女性相談者)

 DV・モラハラ加害者が、愛と配慮のある関係を作る力を身につけるための学びのコミュニティGADHA」を主宰しているえいなかと申します。

 僕自身もDV・モラハラ加害者です。そのせいでたくさんの人を傷つけ、仕事や家庭が破綻寸前になってようやく自身の加害行為、それを生み出す加害的な思考・価値観について省みるようになりました。

 この連載では、僕自身の経験や当事者会での気づきを共有していきます。職場や家庭でモラハラに苦しんでいる方々、行ってしまっている方々の参考になれば幸いです。

 DV・モラハラ加害者の行動パターンは驚くほど似通っています。

 そのうちのひとつに、「わかるように説明せよ」とか、「自分を納得させろ」とか、「論理的に話せ」と言って、結局相手の言い分や希望に応えないというものがあります。

◆たかが食器乾燥機の入れ方だけで暴れた僕の例

 僕自身もDV・モラハラ加害者として似たような加害をしたことがあります。ある時、自分が食器を洗って片付けるとき、食器乾燥機への入れ方に妻が希望を言ってくれたことがありました。

「乾燥機に入れるとき、こんなふうに入れてくれると乾きやすいから、今度からそうしてもらえる?」とのことでした。

 別に攻撃的な言い方でもなかったのに、僕はいきなり頭に血が上って「別にどっちでもいいことじゃない? なぜその方が良いのか論理的に説明してほしい」と言い始めました。

 僕からすれば、置き方が多少変わったくらいで乾き方に大した変化はないだろうし、それならば自分のやり方で自由にやりたかったのです。家事は元々好きではないので、そういうことを言われるくらいならやりたくないという気持ちが湧いてきました。

 妻は色々説明するのですが、僕は「でもそれって比較して実験したの? 必ずしもそうなるとは限らないんじゃない?」とか

「じゃあ乾燥時間を伸ばせばいいじゃん、わざわざ置き方を変える必要はない」とか、「別にどっちでもよいようなことをわざわざ言わないでほしい。そういうのは抑圧的だ」と、ああいえばこう言うとばかりに反論し、自分のやり方を変えないことを正当化しようとしました。

 妻は話していることにうんざりしたのかもう会話をやめようとするのですが、そこにさらに被せるように「途中で議論をやめるくらいなら、最初から人のやり方に文句を言うような主張はしないべきである」などと口撃を続けます。

 だんだん表情を失い、無言になり、妻は自分の部屋へと帰っていき、しばらく口を聞かない日々が続きました。僕は「論理的に話していただけなのに傷つくなんて面倒な人だ……早く機嫌を直してくれないと困る」と被害者ヅラで過ごしていました。目も当てられないほどに加害者の振る舞いそのもので、妻に申し訳ない気持ちでいっぱいになります……。

◆相手の世界を知ろうとしない愚かさ

 一体、なぜDV・モラハラ加害者はこのような加害的なコミュニケーションを取ってしまうのでしょうか。

 そこには「自分の正しさを説明しよう、わからせよう」という気持ちがあります。自分は正しくて相手は間違っているという前提で世界を捉えているので、「きちんと説明すれば相手はわかる。説明してもわからないのは、相手の頭が悪いからだ」と結論づけているのです。

 こういう人間は何を「しない」かと言うと、相手の考えをわかろうとしません。相手の感じたこと、考えていること、気にしていること、避けたいこと、嫌なこと、そういったことを知ろうとしません。

 たとえ聞いたとしても、それを「自分の論理」の枠組みの中で説明できないと、間違っているとか、感情的だとか、根拠がないとか、非合理的だと認識します。

 しかし、実際にそう感じているという現実はそこにあるのです。現に、目の前に、食器をこう置いてもらえると嬉しいという人がいるのです。そう置かれると嫌だと感じる人がいるのです。

 であれば、一体なぜ論理が必要でしょうか。自分の行動を変える根拠がこれ以上必要でしょうか。ただ、相手のその感じている世界に寄り添って、相手の世界の中に自分を置いて、相手にとって嫌なことの少ない行動を取れば良いのです。

◆真に論理的であることの意味とは

 論理的に考えれば、論理的に考えることで相手を傷つけるなら、論理的であることが最適じゃないときがあることくらい論理的に導けるはずです。

 そもそもの思考が正しく論理的であるかは別としても、論理的であることを標榜するなら、この結論にたどり着けない理由はないはずです。目の前の大切にしたいはずのパートナーを傷つけてでも論理的であることが優先される論理なんて、あるのでしょうか。

 そんなものはないと思います。

 僕のエピソードを振り返ってみれば、僕の中にあったのは「僕のやり方に文句をつけられた! なんだか腹が立つから、絶対に言うことなんか聞かない」という幼稚な感情だけです。

 それに論理だのなんだのといろんなことでごまかそうとすることを、人は屁理屈と呼ぶのでしょう。本当に論理的にあろうとしているのではなく、単に自分の感情に基づいて都合よく理屈を振りかざすことを。

◆被害者のためのDV・モラハラを見抜くポイント

 あなたが「嫌だ」とか「やめてほしい」と伝えたときに、「なんで?」と聞いてくる人は高確率であなたを傷つけます。あなたが傷ついていることに、理屈は必要ありません。論理的にあなたの傷つきを説明する必要はありません

 それが必要な人間は、逆に理由があればあなたを傷つけるでしょう。DV・モラハラ加害者の多くは「相手が間違っているから正しているのであって、加害ではない」と自分の加害を否定しますが、どんな理由があっても加害は加害です。

◆加害者のためのDV・モラハラを自覚するポイント

 理屈っぽいとか屁理屈だとかパートナーに言われている人は、自分の加害性と向き合う必要があるかもしれません。その論理や理屈を、どんな目的で使っているのかを内省してみてください。

 自分と相手の関係がより安心できるようなものになるためなのか、それとも自分ではなく相手が変わるべきだと強弁して、自分は間違っていないと相手に「わからせる」ためのものなのか。

わからせよう」としたとき、私たちは正しさという言葉を武器に、簡単に人を傷つけてしまいます。あなたはなんのために論理的であろうとしていますか?

【えいなか】
DVモラハラなどを行う「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティGADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。
ツイッターえいなか

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モラハラ加害者達は、なぜ「論理」を振りかざすのか?