(武藤 正敏:元在韓国特命全権大使)

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 7月27日、韓国と北朝鮮は同時にある発表を行った。朝鮮戦争の休戦協定締結68周年の記念日にあたるこの日に「南北通信連絡線回復」に合意したというのだ。

 韓国と北朝鮮はさっそくその27日のうちに、南北連絡事務所チャンネルと西海(黄海)地区の軍事通信連絡線での通話を再開。29日には東海(日本海)地区でも連絡線が復旧した。ただし韓国側の報道によれば、艦艇間のホットライン(国際商船共通網=国際VHF)には北朝鮮はまだ応答していないという。

およそ1年ぶりに復活した連絡チャンネル

 北朝鮮は昨年6月9日、「対北朝鮮ビラ散布」を口実として、一方的に直通の連絡窓口を閉鎖し、次いで16日に開城の南北の共同連絡事務所の建物を爆破した。連絡チャンネルの復元はそれ以来だから、13カ月ぶりとなる。

 南北朝鮮の関係は2019年ハノイでの米朝首脳会談が物別れに終わって以降、悪化の一途をたどってきた。今回の連絡チャンネル回復は果たして南北関係Uターンのきっかけとなるのか、北朝鮮の意図、韓国の対応を中心に分析してみたい。

10数回におよぶ親書交換、どうやって実現させたのか

 まず連絡チャンネル復元に向けてどのような動きがあったのかを報道された情報をもとに押さえてみる。

 文在寅ムン・ジェイン大統領は今年4月の「4.27板門店宣言3周年」をきっかけに北朝鮮金正恩キム・ジョンウン)国務委員長に親書を送っていた。これを皮切りに、それ以後、水面下で「親書による意思疎通」を図っていたのだという。

 さらに5月21日ワシントンバイデン大統領と首脳会談に臨んだ文在寅氏は、「南北対話・関与・協力に対する支持」を米国側から取り付けた。一方の金正恩委員長は、6月17日朝鮮労働党中央委員会第8期第3回全員会議において「朝鮮半島情勢を安定的に管理していくことに力を注がなければならない」と述べた。これはバイデン政権発足以降、初めて朝鮮半島情勢について公開で発言を行ったものである。

 この間、南北間では「親書による意思疎通」が図られていたということだが、連絡チャンルが断たれた両国間で、どのようにして親書は交わされていたのだろうか。親書なのだからファックスでやり取りするというわけにはいくまい。

 この疑問については、「中央日報」が報道で触れている。

<通信線が復元される前の先月9日、朴智元(パク・ジウォン)国家情報院長は国会情報委員会に出席し、「韓米首脳会談(5月21日)の前後に南北間の意味のある意思疎通があった」と述べた。当時、朴院長の答弁をめぐり学界関係者の間では国家情報院ラインが稼働したのではという話が出ていた>(中央日報7月29日付)

 同紙はさらに、ロイター通信の報道を引用してこう伝えている。

<文大統領と金委員長が『率直』な親書を10回ほど交換し、これはソウルの情報当局と金与正(キム・ヨジョン)党副部長間の意思疎通チャンネルの開設につながった>

 おそらくここで触れられている「情報当局」とは、朴智元国家情報院長本人か、その直属の部下のことだろう。南北の直通連絡チャンネル復元は、朴智元国情院長の働きによってなされたことなのだろう。

 北朝鮮政策を何よりも重視する文在寅政権にとって、断絶されてしまった南北連絡チャンネルの復元はなんとしても成し遂げたい最重要課題だった。

「ワクチン支援」が突破口になったのか

 では、どのように金正恩総書記を口説いたのだろうか。

 韓国内の報道によれば、一連の交渉について韓国政府関係者は「親書交換の過程でも政府は米国と緊密に意思疎通をし、北にも米国の立場を伝えた」と語り、さらに「北がバイデン政権の対北政策基調が出た後に対話の意向を明らかにしたのは、ワクチン支援で始まる韓米の政策を信頼するということだ」と述べているという。

 この見方が当たっているのなら、コロナワクチン支援を青瓦台北朝鮮に対して持ち掛けて金正恩総書記の気を引き、さらに今後、南北関係の突破口を開く核心手段としていくことになる。

 しかし、韓国国内においてもワクチン接種の遅れが指摘されている。また、北朝鮮北朝鮮で、COVAXファシリティが提供しようとしたアストラゼネカ製ワクチンを、その副反応を懸念して拒否している。実際に北朝鮮ワクチン供給で協力するということは、韓国でより人気のあるファイザー製やモデルナ製ワクチン北朝鮮に供給するということになる可能性が高い。それを韓国国民は納得できるだろうか。おそらくできないだろう。

 文政権は、何事も北朝鮮優先で考えてしまう。「北朝鮮へのワクチン支援」は、足元の国民が反発しかねない提案だけに心配である。

「一方的な歩み寄り」は日本も米国も容認できない

 今回の通信連絡線回復は文在寅氏と金正恩氏との3カ月余りをかけた親書のやり取りの結果であり、北朝鮮側が「相互信頼を回復し、和解を図る大きな一歩を踏み出すことについて合意した」と言わしめたことは文政権にとって大きな成果と映るだろう。文政権は任期が10カ月も残っていないことから、南北首脳の主導による「最後の協力」の機会としてますます北朝鮮寄りの姿勢を取ってくることも予想される。

 ただし、一方的な「北朝鮮歩み寄り」の姿勢では国際社会の理解を得られない。これまでの文在寅政権の対北政策は、北朝鮮に妥協することの繰り返しだった。北朝鮮に協力する時には、核ミサイル開発問題で北朝鮮から意味のある譲歩を求める姿勢を取らない限り、北朝鮮に時を与え、核ミサイル開発を一層進展させる結果となるだろう。次期大統領選挙に向けて、対北朝鮮政策について現実的な討論が行われることを期待したい。

「南北通信連絡線回復」合意、北朝鮮にとっては対外向けのポーズか

 今回の連絡チャンネル復元について、北朝鮮はどうとらえているのか。

 北朝鮮においては、連絡チャンネル合意の公表は「朝鮮中央通信」と「平壌放送」でのみ報道された。これはいずれも対外用メディアであり、北朝鮮の人々は接することができない。北朝鮮内部で接することができる「労働新聞」や「朝鮮中央テレビ」などでは報道されていないのだ。

 金正恩氏の発言や演説、韓国や米国に向けた金与正氏談話などは例外なく労働新聞などの国内向けメディアに報じられるが、米国に向けた「外交部談話」などは朝鮮中央通信にのみ掲載されるものであり、交渉や対立などで「駆け引き」に使われることが多い。

 この連絡チャンネル合意が対外向けのみとなったのは、北朝鮮の最高指導部が、「南北関係が長期膠着状態を脱し、対話と協力へと方向を転換したことを一般人民に伝えるのは時期尚早」と判断したためと見られている。

 北朝鮮では、住民が韓国発の情報に触れることは固く禁じられている。金正恩氏は「韓流に接したときは厳しく処罰する」と警告している。韓国との関係改善を伝えることはこうした方針をなし崩し的に壊し、一般市民に対する引き締め策が緩んでしまう可能性がある。まして、これを契機に韓国から支援を受けるなどということは、一般市民には決して知らせることはできない内容なのだ。

北朝鮮、自ら破壊した連絡チャンネルの復元に合意せざるを得なかった事情

 北朝鮮労働新聞は28日付けの報道で、27日に金正恩委員長が第7回全国老兵大会で演説し「過去に例を見ない世界的な保健危機と長期の封鎖による困難と障害は戦争状態と変わらない試練の時」と述べたと伝えている。コロナ禍による国境統制と国際社会による厳しい経済制裁の影響が「戦争の試練に近い」というのである。北朝鮮はいま、相当追い詰められた状況にあるとみてよいだろう。

 朝鮮日報は、ある政府関係者の言葉を引用し、「青瓦台(韓国大統領府)に対し『これ以上は付き合わない』などと暴言を続けてきた金正恩氏が南北通信連絡線の復元など、文在寅大統領の提案に応じた理由はまさにこれだろう」と報じている。北朝鮮は昨年の洪水などの影響で食料生産が減少し、コロナ封鎖により輸入も禁止され今年の春から備蓄食料が枯渇している。このため一部地域で食料価格がコロナ封鎖前の2倍にまで跳ね上がっている。

 この経済難を克服するためには外部からの支援が不可欠である。そのためまず南北対話にシグナルを送ったということであろう。

 かつて国家安保戦略研究院の院長を務めた高麗大学の南成旭(ナム・ソンウク)教授は「南北首脳間でやりとりされた親書の内容は公表されていないが、北朝鮮の要求を受け入れた形の合意がすでに取り交わされた可能性が高い」「人道支援を口実に食料など北朝鮮の要求を受け入れる方策が水面下で話し合われたはずだ」との見方を示している。北朝鮮の住民には知らせられないが、金正恩総書記も、韓国からの支援が喉から手が出るほど欲しいのだ。

 かつて米国務省で対北特別代表を務めたジョセフ・ユン氏は「北朝鮮明らかに(韓国大統領選挙で)進歩陣営を支援したいはずだ。それも一つの動機となっている可能性もある」「究極的には米国との対話を望んでいるのかもしれないが、一方で深刻な経済や食糧難に直面しているためかもしれない」と指摘している。

 文在寅大統領も、次期大統領選で革新系の候補が勝つことを望んでいる。北朝鮮側からの革新系候補を側面支援するにしても、連絡用のパイプがなければそれもままならない。大統領選を前に、文在寅大統領金正恩総書記の思惑が一致した面もあるのかも知れない。少なくとも文在寅政権にとって、この時期に連絡チャンネルを復元できたことは一つの実績として国民にアピールする材料にはなるだろう。

北朝鮮が嫌う米韓合同軍事演習、連絡チャンネル復活で影響受ける可能性も

 米戦略国際問題研究所(CSIS)のスミ・テリー上級研究員は、「朝鮮日報」の取材に応じ、今回のチャンネル復元のタイミングについて以下のように疑問を呈した。

北朝鮮の経済難、(韓国の)大統領選挙の日程などから考えると、今後平和攻勢が始まると予想はしていたが、その平和攻勢が米韓連合訓練よりも前にやや早く出たことは疑問が出る」

 北朝鮮が忌み嫌う米韓合同軍事演習に、何らかの影響が及ぶことを米国は懸念している。

 テリー研究員は「米国が韓米連合訓練を取りやめることはないだろうが、コロナを理由に規模を制限することはあり得る」と予想している。

 革新系論調が強く文政権寄りの「ハンギョレ新聞」によれば、韓国で南北関係に精通する重鎮たちは、8月の米韓合同軍事演習について「賢明に克服しなければならない難題だ」と口をそろえているという。新型コロナデルタ株が世界的に猛威を振るっていることを口実に、文大統領が「演習中止」を決断することが望ましいと同紙は伝えている。米韓合同演習という“ハードル”を乗り越えれば、食糧やコロナ対応などの人道協力の再開を含む対話・協力局面を変えられる可能性がある、と見ている。

 案の定、8月1日になって北朝鮮金与正党副部長は、米韓合同軍事演習について「再び敵対的な戦争演習を行うのか、大きな勇断を下すのか鋭意注視している」との談話を発表した。南北の連絡チャンネル復元直後にこの揺さぶりだ。米国と北朝鮮の間に挟まれることになった韓国は、どのような判断を下すのだろうか。

 一方、ロイターは連絡チャンネル復元の直後に、「南北首脳会談」に向けて韓国政府が北朝鮮と交渉中だと報道した。この報道に対して青瓦台のパク・スヒョン国民疎通首席秘書官は、南北連絡事務所の復旧問題は話し合われるだろうが、両首脳による会談に関する計画は何も提示していない、としている。だが青瓦台の別の関係者によれば、コロナ防疫状況を考慮して対面方式は当面考えていないが、非対面形式の首脳会談の可能性は残されているという。実際「以前にも文大統領北朝鮮オンライン会議を提案したことがある」と述べているのだ。

 今回も韓国サイド前のめり気味だ。30日には韓国の李仁栄(イ・イニョン)統一相が、コロナ下でも北朝鮮と当局者同士で意思疎通を図れるよう、テレビ会議システムの運用に向けた協議を29日に北朝鮮に提案したとメディアに対して明らかにした。

 これが実現されれば、首脳同士によるオンライン会談もさらに現実味を帯びてくる。こうした方式なら金正恩総書記も乗りやすいのかも知れない。もっとも、韓国で首脳会談について取りざたされていることについて、8月1日金与正副部長は、「時期尚早で軽率な判断だ」と切り捨てている。

 そして、当たり前だが、仮にオンラインであっても首脳会談がなされたとしても、大事なことは首脳会談の開催ではなく、そこで何が話し合われ、何が合意されるかだ。

北朝鮮に対して前のめりになっては思う壺

 首脳会談の可能性についてもそうだが、韓国の世論は北朝鮮との連絡チャンネルが復元されたこと自体についても、諸手を挙げて歓迎しているわけではない。

「中央日報」は社説で、直接の連絡チャンネルが復旧したことは肯定的に評価すべきと述べつつ、一方で韓国政府には「南北対話を推進する過程で明確に立場を定め、堅持していくべき事項と原則がある」と注意を喚起している。

 ではその「堅持すべき事項と原則」とは何か。

<まず、成果主義に陥って焦ってはならないという点だ。任期内の成果に汲々とした近視眼的アプローチは、深刻な後遺症を残さざるを得ない。特に、任期末に南北関係をイベント化し、大統領選挙に有利な方向に活用しようとする意図は、絶対に容認できないことだ>

 中央日報は、北朝鮮に対しては前のめりになりやすい文在寅政権を、強くけん制している。

<今回復旧した南北連絡チャンネルは、昨年6月9日北朝鮮一方的に閉鎖したもので、北朝鮮はその後すぐに開城(ケソン)の南北連絡事務所を爆破した。明らか北朝鮮の挑発であり、2018年の南北首脳会談の合意を真っ向から違反する行為だ。今後、本格的な対話再開に先立ち、これに対する明確な立場表明と収拾案を北朝鮮に要求しなければならない>

<昨年9月に西海(黄海)上で発生した公務員殺害事件の真相究明と納得できる措置も必ず行われなければならない>

<このようなことがきれいに片付いた時、初めて真正性のある南北対話と協力が可能となる。南北対話は、北朝鮮の誤った判断と間違った動きを防ぎ、南北関係を正しい方向へ導いていくための手段だ>

 北朝鮮に過去の暴挙に対するけじめをつけさせることなく、大統領選に向けた点数稼ぎに終わらせることは将来に禍根を残すと、かなり強い調子で釘を刺しているのだ。このように書いた中央日報の筆者は、文在寅大統領が残りの10カ月弱の任期内に、なりふり構わず北朝鮮との関係改善の実績を上げようとしていると危惧しているのだろう。

 事実、文在寅政権には“偽情報”で米国トランプ大統領金正恩氏のトップ会談を実現させた“実績”がある。文大統領がこの思考パターンを改めていないのなら、今後は北朝鮮に対して、「核ミサイル開発放棄の対価」としてではなく、ただ一方的北朝鮮支援を韓国が先頭に立って行っていく危険性がある。

 北朝鮮のなし崩し的な核保有核ミサイル開発は決して容認できることではない。それを容認しかねない文大統領の自分勝手な単独行動は認められるはずもない。そのためにも日米が一体となって文政権をけん制していく必要がありそうである。そのためにも日本には、文在寅大統領との対話をしていく努力が今後必要になってくるかも知れない。

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