第二次大戦後に日本の民間航空が再開されたころ、羽田空港に乗り入れてきた旅客機に、胴体がまるで下膨れしたかのような「ボーイング377」がありました。この不思議な形のモデルは、どのような機体だったのでしょうか。

胴体下部にはラウンジも?

第二次世界大戦後、日本の民間航空が再開された1950年代、羽田空港には世界中のエアラインが集まりました。まだジェット旅客機ではなく、プロペラ駆動のレシプロ・エンジンの旅客機が主流だった時代です。

なかでも、かつてアメリカの航空会社の王者であったパンナム(パン・アメリカン航空)のボーイング377ストラト・クルーザー」は、通常の旅客機と比べて、明らかに縦方向が膨らんだ、断面で見ると「ダルマ」のような胴体が特徴の異彩を放つ風体で、いかにも力強いアメリカ出身……といったモデルでした。

ボーイング377は、ニューヨークロンドン、パリ間の大西洋横断路線のほか、ホノルル~東京線といった太平洋を半分横断するような路線にも投入されました。当時まだ旅客機での旅は、経済的に裕福な人しか体験できないもので、飛行時間が非常に長くかかりました。もちろん機内サービスも、現在でいえばファースト・クラス・レベルとなっており、古き良き時代の航空旅行の象徴のひとつでもありました。

この当時特有の豪勢な内装に、377の変わった形の胴体も、その特徴が生かされます。同型機の左右の胴体直径は3m超で、当時ライバルであったダグラス社のDC-4,DC-6B,DC-7Cとほぼ同じですが、縦方向は約6m。その「ダルマ」のような設計ゆえ下部に余裕がありました。このため機体を「2階建て(ダブルデッカー)」にすることができ、レイアウトの一例では、その下部にはラウンジを設け、上部には寝台や洋服の着替えスペースなどが設けられるなど、人気を博していたそうです。

ユニークな胴体をもつボーイング377の出自は、第二次世界大戦下の日本に甚大な被害もたらした爆撃機B-29までさかのぼります。

ボーイング社では、大戦下において航続性能の高いB-17B-29といった爆撃機が大量に生産されました。そして、軍用輸送機に関しても、戦前の経験を活かして開発に取り組んでいました。

ダルマボディの旅客機ができるまで

戦前に完成していたのが、B-17の基本システムをそのまま利用し、開発期間を短縮したボーイング307という旅客機です。

このモデルは、1940(昭和15)年にパンナムで就航しましたが、生産機数は10機にとどまりましたが、初めてとなる本格的な与圧(機内の圧力を高め、人為的に気圧を地上と近い環境にして居住性を高める)客室を持っていたことが特徴です。生産機数こそ少なかったものの、307は与圧システムを搭載した飛行機の試作的な意味合いも強く、その経験をB-29で活かすことになります。

307の開発が終わったボーイング社では、B-29の基本システムを活用し、新たな輸送機を開発します。「C-97」と名付けられたこの機体は、B-29の胴体を拡張し、その上部に、新設計の大きな与圧客室を乗せたようなユニークなスタイルの輸送機となりました。

C-97は1944(昭和19)年に初飛行し、「ストラトフレイター(成層圏貨物機)」との愛称が付けられます。さらにこれを旅客機向けにアレンジしたモデルが、ボーイング377ストラト・クルーザー」だったのです。

377は1947(昭和22)年に初飛行し、性能も評価されていたものの、製造は58機にとどまっています。機体の価格が高かったため、ライバル機のほうがコストパフォーマンスに優れていたことや、その後すぐにジェット旅客機開発が本格化したことなどが要因として知られているところです。

しかし377は、その後の707を始めとするジェット旅客機でも一般的となる、与圧装置を装えた客室で高高度を巡航するというスタイルの可能性を切り拓いたほか、現代でいえばエアバスベルーガ」やボーイングドリームリフター」の先駆け的存在である、超大物貨物輸送機グッピー」シリーズの原型となるなど、その後の航空業界の発展につながるような功績を残しています。


※一部修正しました(8月6日11時39分)。

パン・アメリカン航空のボーイング377(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。