『週刊プレイボーイ』でコラム「古賀政経塾!!」を連載中の経済産業省元幹部官僚・古賀茂明氏が、東京五輪終了後、世界は日本をどう評価するのか推測する。

(この記事は、8月2日発売の『週刊プレイボーイ33・34合併号』に掲載されたものです)

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五輪がスタートしてから約2週間が経過した。テレビでは、日本選手の活躍が繰り返し報じられ、「国民的盛り上がり」が演出されている。しかし水を差すようで申し訳ないが、大会終了後に、世界は日本をどう評価するのか? それを考えると暗澹(あんたん)たる気分になってしまう。

菅義偉首相はコロナ禍に負けず五輪を成功させ、世界に団結と連帯を示した「すごい日本」という声を期待しているのだろう。しかし、そんな願望とは裏腹に、世界は日本を「おかしな国」「がっかりな国」と評価するのではないか?

緊急事態宣言下での五輪の強行開催に、いまだ違和感を抱いている人々は多い。五輪のためには感染拡大=国民の犠牲も仕方ないと言わんばかりの菅政権の姿勢は、無謀にも太平洋戦争に突入した日本を彷彿(ほうふつ)とさせる。アメリカと戦えば敗北するという戦力分析を無視して開戦し、大きな惨禍を招いた。

東京五輪もこれと似ている。専門家の警告を無視して開催を強行し、感染拡大や飲食業者などへの自粛要請で、国民の命や生活を危険に陥れるような犠牲を強いている。安倍晋三前首相が五輪に反対する人々を「反日的」だとレッテル貼りをしたことも、戦時中の「非国民」という言葉を連想させる。

そして、五輪という大イベントが始まってしまえば政府への異論が鳴りを潜めてしまう国民性も戦時中から大して変わっていない。

21世紀の日本がはるか昔の戦時中と同じような振る舞いをしていることに、私は大きな違和感を覚える。また、女性蔑視発言やいじめ、ホロコーストネタなどで、森喜朗氏をはじめとする五輪組織委内で辞任や解任のドタバタが続いたことも世界に日本の排他性と人権無視の現状を印象づけた。

これらのことをひとつひとつ点検していけば、おそらく海外から見ても日本は「おかしな国」だと映るだろう。

そして、「がっかりの国」は、もっとわかりやすい。例えば、東京五輪の開会式である。ロンドン五輪の約1.7倍、リオ五輪の約16倍にもなる165億円の巨額費用を投じた割に、その出来栄えは決してホメられたものではなかった。冗長でメッセージ性に乏しく、全体として何を表現したいのか、私にはよくわからなかった。

一方で、1824機のドローン編隊が地球を描いた「ドローンライトショー」の評判は上々だったという。しかし、この技術は日本のものではなく米インテル社によるもの。しかも、これ自体も今や世界では目新しくない。

中国をはじめとするドローン先進国なら、地球の静止像などでなく、華やかなイルミネーションや音楽とともに鳥や魚の群れのようにドローンが高速で方向転換を繰り返す躍動的な編隊飛行「ダンス」を夜空に出現させていたはずだ。

コロナ禍のせいではあるが、日本の売りのひとつであった「おもてなし」も十分にできず、残念ながら、洗練された文化国、高度にテクノロジーの発達した先進国というイメージの発信に完全に失敗したと言わざるをえない。これらの失望感は当然、「がっかりの国」という世界の評価をもたらすことになる。

メダル数が過去最多でも、この五輪は日本の停滞を世界に印象づけることになる。ただ、それが、日本国民に自国の危機を知らせることになれば、不幸中の幸いというべきなのかもしれない。

古賀茂明(こが・しげあき) 
1955年生まれ、長崎県出身。経済産業省の元官僚。霞が関の改革派のリーダーだったが、民主党政権と対立して11年に退官。『日本中枢の狂謀』(講談社)など著書多数。ウェブサイト『DMMオンラインサロン』にて動画「古賀茂明の時事・政策リテラシー向上ゼミ」を配信中。最新刊『日本を壊した霞が関の弱い人たち 新・官僚の責任』(集英社)が発売中

「21世紀の日本がはるか昔の戦時中と同じような振る舞いをしていることに、私は大きな違和感を覚える」と語る古賀茂明氏