2019年6月13日、事故現場で実況見分に立ち合う飯塚幸三被告(左)。裁判では「私の過失はないと思っております」と一貫して無罪を主張している
2019年6月13日、事故現場で実況見分に立ち合う飯塚幸三被告(左)。裁判では「私の過失はないと思っております」と一貫して無罪を主張している

池袋暴走事故の裁判でたびたび耳にするのが、「EDR」である。いったいこの機械にはどんな機能が? そしてどんな経緯で誕生したものなのか? 自動車ジャーナリストの小沢コージ氏が解説する。

【写真】EDRからデータを取り出すCDRアナリストの菰田氏

■事故データの細かさはトヨタ車が世界で一番

2019年4月、東京・池袋で飯塚幸三(いいづか・こうぞう)被告(当時87歳)が運転するトヨタ・プリウスが暴走し、11人を死傷させた。この事件の第8回の公判が6月21日に東京地方裁判所で開かれたのだが、公判後にトヨタは「車両に異常や技術的な問題は認められなかった」と異例のコメントを発表した。

「当然ながら、あの発表はよっぽど自信があるということ。ウチのクルマは安全ですと」

そう話すのはドイツの大手サプライヤー「ボッシュ」認定のCDR(クラッシュデータリトリーバル)アナリスト・菰田潔(こもだ・きよし)氏だ(CDRとは何か、は後述する)。交通事故分析の専門家である菰田氏によれば、トヨタのコメントの背景にはEDR(イベントデータレコーダー)の存在があるという。EDRは飛行機におけるフライトレコーダーにも似た事故記録装置なのだが、どのような機能があるのか?

「EDRはエアバッグ付きのクルマには必ず装備されており、事故前の5秒間とその後何秒かの正確な事故記録が詰まっています。具体的にはクルマに大きな衝撃があったときの車速、アクセルおよびブレーキの踏み具合、エンジン回転数、Gセンサーが感知した加速度、シートベルト着用の有無、ハンドル角度などの情報が記録されます。エアバッグが開いた後に情報は上書きできません」

EDRからデータを取り出すCDRアナリストの菰田氏。菰田氏は2019年にボッシュ認定CDRアナリストの資格を取得。実は日本自動車ジャーナリスト協会の会長でもある
EDRからデータを取り出すCDRアナリストの菰田氏。菰田氏は2019年にボッシュ認定CDRアナリストの資格を取得。実は日本自動車ジャーナリスト協会の会長でもある

手前の機械の中にEDRが入っている。ケーブルでつながっている奥の機械がEDRからデータを抜き出すCDR。作業はパソコンも使用
手前の機械の中にEDRが入っている。ケーブルでつながっている奥の機械がEDRからデータを抜き出すCDR。作業はパソコンも使用

要するに事故時にブレーキを踏んでいたか。誤ってアクセルを踏んだか。それらが記録としてEDRに残るわけだ。だが課題もある。EDRによる事故分析が日本ではまだ法制化されていないことだ。

実はアメリカでは2012年9月に法制化済み。それ以降に発売されたクルマはEDRから第三者が事故情報を正確に取り出せる機械「CDR」に対応している。

そのCDRの説明をする前に、まずEDRの歴史に触れる必要がある。実はEDRはエアバッグが普及し始めた1980年代から装備されており、もともとは自動車メーカーのお守り的な装置だった。

というのも、火薬で爆発させるエアバッグは安全効果が大きいが、初期は誤作動も少なからずあった。訴訟大国のアメリカでは「エアバッグが開いたから逆に事故になった」「大ケガをした」という訴訟が続出した。日本的にもタカタ製エアバッグの誤作動問題は記憶に新しい。

そこで、メーカーは自己防衛策として、交通事故でしか起こりえない一定以上の衝撃が加わり、それによってエアバッグが開いたことを証明するため、EDRを装備した。ただし、測定データはメーカーのみが読み取れる社内データであり、非公開を前提に暗号化されていた。

EDRはエアバッグコンピューター内にある。通常はご覧のようにケーブル接続して車内でデータを抜き出す
EDRはエアバッグコンピューター内にある。通常はご覧のようにケーブル接続して車内でデータを抜き出す

しかし、EDRのデータが正確な事故分析に役立つと考えたGM(ゼネラルモーターズ)とほか2社が、EDRの解析プログラムを開発してアメリカ全土に浸透させた。それがCDRである。実際、アメリカでは事故後に過失割合を決めるアジャスターの姿は消え、科学的測定データに基づくCDRアナリストに仕事が移っている。

ただし、EDRによる事故分析はメーカーが不利になる可能性もあるため、世界的には普及はこれからだ。EUでは2021年以降、中国も独自基準で法制化を進める予定だ。

一方、すでにEDRをCDR対応にしている日本メーカーも多い。国内ならばトヨタ、三菱、スバル、一部の車種で日産。輸入車ではVW(フォルクスワーゲン)、アウディ、GM、ボルボ、FCA、一部の車種でポルシェなどが対応済み。なかでもトヨタ2000年代から国内販売の車両をほぼすべてCDR対応にしており、今回の異例の反論にもつながった。

では、なぜトヨタはCDRへの対応が進んだのか。理由はふたつある。ひとつはトヨタがCDRを義務化しているアメリカで数多くのクルマを販売しているためだ。もうひとつは2009年から10年頃にかけて北米で発生したナゾの"トヨタ車急加速問題"が挙げられる。当時、豊田章男社長は米国下院公聴会に自ら赴き、涙の陳述を行なった。

そこで豊田社長は、「事故を起こしたプリウスを調べてみたところ、アクセルの誤作動はなかった」と説明したが、公聴会側から「それは社内データでしょ? どこに透明性があるんですか?」などと反論された。

前出の菰田氏が解説する。

「このときにトヨタはクルマ自体が持つ証拠能力、第三者でもわかるごまかしようがない事故データの重要さに気づいたのではないでしょうか。ちなみに今、CDRで読み取れる事故データの細かさはトヨタ車が世界で一番です」

事故の瞬間だけでなく、その前後のデータもトヨタ車には複数残っているからだ。

そして6月29日国交省は22年7月以降に国内で販売する新車にEDR搭載を義務づける方針をついに固めた。また、自動運転レベル3搭載車両にはEDRを発展させた「作動状態記録装置」の装備が義務づけられている。これは事故時のデータだけでなく、レベル3の自動運転装置の作動状況が変化した時刻、運転を人に引き継ぐ要請を発した時刻までもが細かく記録される。

現在、日本で発売される新車は年間約500万台。すでにその半分以上の車両がEDRのデータをCDRで読み出せる。仮に事故を起こしたとして、「俺はアクセルを踏んでない!」とウソをついても、クルマには科学的に動かせない証拠が残る。もはや言い逃れができる時代ではないのだ。

●小沢コージ
自動車ジャーナリスト。TBSラジオ『週刊自動車批評 小沢コージのCARグルメ』(毎週木曜17時50分~)。『ベストカー』『日刊ゲンダイ』など連載多数。著書に共著『最高の顧客が集まるブランド戦略』(幻冬舎)など。YouTubeチャンネル『KozziTV』。日本&世界カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

写真/時事通信社 写真提供/株式会社ドライビングアカデミー

2019年6月13日、事故現場で実況見分に立ち合う飯塚幸三被告(左)。裁判では「私の過失はないと思っております」と一貫して無罪を主張している