(廣末登・ノンフィクション作家)

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 人手不足が叫ばれる今、有料・無料の求人誌を街中至るところで目にする。最近では、スマホで求人情報を探せるサイトも充実している。だが、この求人誌を手に取ったことがある人は少ないのではないだろうか。“刑務所限定”の獄中求人誌『NEXT』である。

 街中では決して見ることができないこの月刊の獄中求人専用誌を立ち上げたのは「元暴」経営者。筆者は2年前、NHKのニュース番組「シブ5時」に出演したのだが、その際にご一緒したのが、広島県福山市で建設業を営む傍ら、<社会復帰応援求人誌『NEXT』>を発行している山本晃二社長だった。

 実は山本氏自身、「赤落ち」(懲役刑)という負の経験を持っている。そのときに、ある気づきを得て「獄中求人誌」の創刊に至った。今回は、その創業者の破天荒な経験と人物像に迫ってみたい。

反発した母親の押し付け型の家庭教育

 獄中求人誌――そうした潜在的ニーズに気づくことはなかなか難しい。なぜ、そこに気づきを得たのか。筆者は、山本氏の少年期から現在までの背景が気になり、その点を深掘りした。

 山本氏は、少年時代に父親を亡くし、母親と兄、妹の4人家族の家で育った。母親の躾は厳しく、子どもに「自分の理想を押し付ける教育方針」だったという。

「なんでアンタだけ、同じように育てたのに、(他のきょうだいとは)違うの!」

 自分だけがいつもそんなふうに叱られた。母親は「子供はこうあるべき」という確固たる子ども像を持っていたが、内心それに反発する自分がいた。その思いは、年を重ねるごとに強くなったという。

中卒で勤めた理髪店、遊びたい盛りなのに働き詰め

 中学校はやんちゃはしたが、登校は真面目にしていた。だたし成績は芳しくなかった。そのため中学校の先生は、進学ではなく、就職を勧めた。その先生が駆けずり回って探してきてくれたのが理髪店だった。いわゆる、理髪店の住み込みの坊主(見習い)である。山本氏にとっては半ば強引に就職させられた職場だった。その理髪店は、実家の近隣にあったのだが、盆と正月以外、帰宅することは許されなかった。

 理髪店の日常は朝6時半の起床に始まる。店を閉めて帰寮するのは夜の9時だ。さらにそこから、兄弟子と一緒にパーマやカットの練習に励む。遊びたい盛りの10代の少年にとって、早朝から夜までの仕事が厳しかったことは想像に難くない。友人とつるむ暇もない。それだけ仕事に明け暮れても、毎月の手取りは7万円ほどだった。

「周りの友達は、私が働いているからといって、店にパンチパーマをかけに来てくれるんですが、こっちは、かける側一辺倒。これがなんとも面白くないですよね」(山本氏)

 筆者も10代の半ば頃は、生活の中心は遊びだった。仕事は「小遣いを稼ぐ手段」に過ぎなかった。当時の山本氏の気持ちがよく分かる。

 そんな鬱屈した日々を送っていた時だった。近所に住むヤクザから、ホテヘルの運転手の仕事に誘われた。一日働くと1万5000円になるという。実にオイシイ仕事だった。好きでもない理容師の修行をして月に7万円稼ぐより、遙かにマシに思えた。思い切って理髪店を辞め、ホテヘルの仕事に熱中した。

「いつまでも中途半端やりたくないから盃下さい」

 ホテヘルの運転手を始めてみたら、今度は仕事をくれるヤクザがカッコよく見えだした。ホテヘルの仕事がないときには「車、好きに使っていいぞ」と言ってくれたり、飲みに連れて行かれ羽振りのいいところを見せられるのだ。今にして思えば、よくある「ヤクザの若者籠絡法」なのだが、まだ若者だった当時の山本氏は、次第にヤクザへ憧れを抱くようになっていった。

 結局、22歳の時、仕事をくれた兄貴の組織とは違う組織の親分に盃をもらうことになった。この時は親分に「いつまでも中途半端やりたくない。盃下さい」と申し出た。母親にも「オレが初めて自分でやってみたいと思う仕事だから、どこまで出来るかわからないが、やってみたい」と、正直に伝えて家を出た。

 ヤクザ稼業は、給料が出るわけではない。独自のシノギを見つけないと食えない個人事業主である。

シノギは、兄貴分の背中を見て覚えた。片手間にコピー商品なども扱っていた」(山本氏)。

 さらに、街の不良少年を集めて、半グレのようなチームを作っていた。

若い衆のマチガイで懲役

 そんなある時、組内の人間が、ほかの組織の連中とカネの貸し借りで揉めているという連絡が入った。「オレが行きます」とすぐに現場の飲み屋に直行。到着すると、先ず出てきた人間を問答無用でボコボコにして、「マックスで圧をかけた」。当然のことながら喧嘩になる。相手は店にあったアイスピックで刺してきた。入り乱れての乱闘になった。そのタイミングで、車で待機させていた不良少年たちを参戦させた。

 そこで想定外のことが起きた。少年たちがボコった相手の一人が病院送りになり、そのまま亡くなってしまったのだ。乱闘の中に「手加減なし」の覚悟で飛び込んできた若者が起こした不幸なマチガイだった。

 山本氏は傷害致死をとられ、裁判で求刑8年、実刑4年の刑を打たれて「赤落ち」した。ヤクザだから仮釈放はなし。刑務所で満期まで勤め上げた。

「組事」(私的な事案ではなく、組の為の行動)で懲役に行っていたわけだから、出所後は組から「放免祝い」もしてもらった。堅気の世界から見れば傷害致死の前科者だが、ヤクザの世界では、組のためにお勤めをしてきた功労者だ。山本氏は「よっしゃ、これからもヤクザでバンバン行こう」と気合を入れたという。

 しかし、ヤクザ社会は思いのほか、生きづらくなっていた。シャブオレオレ詐欺のようなシノギはご法度になっていた。それなのに、上の人間は新しいシノギを試行錯誤するわけでもない。このままでは先細りは目に見えていた。

 山本氏自身は、シャバに出てからは「オヤジ(親分)の金庫番みたいな仕事ばかり」をさせられていた。「なんか、サラリーマンみたい」と感じた山本氏は徐々に違和感を覚え始めていた。「思い描いていたヤクザライフとは方向性が違う」。悩んだ末、ついに組織に見切りをつけた。

 オヤジには、口頭で「辞めます」と伝えたが、この時、そのオヤジ自身が別件で本部から絶縁されていた。要するに、山本氏へ処分を下す人が居なかった。こうして、山本氏は大きなトラブルもなく足を洗うことができた。

マジメって何だ

 その後はどうしたのか。とりあえず、30歳のときに関東から広島にやってきた。しかし、そこは今までヤクザをしていた身。ヤクザの看板を外したからと言って、いきなりマジメな人間になれるものではない。しばらくチンピラのような生活を続けていた。

 給料取りとして会社で働こうとしても、直ぐに居直る癖が身に染みついていた。そもそも、「マジメ」の意味が分からなかった。何がマジメなのか。どうすればマジメになれるのか・・・そんな状況だった。

 この発言に対して、読者の皆さんは疑問を抱かれるかもしれない。しかし、15年間ヤクザ研究に従事している筆者にはよく分かる。山本氏が属していたヤクザ社会の文化と、堅気の職業社会の文化との間で葛藤が生じたからだ。一般社会の常識がヤクザ社会で通じないことと同様に、ヤクザ社会における常識は、我々の一般社会では通用しないのである。

 更生してマジメになりたいが、「バチンという出来事」(更生に至る強いきっかけ)がない。定職にはつけなかったが、チンピラ生活とカタギの生活との間でフラフラしながら、「何とかなるだろう」と思っていた。32歳で結婚してからも、「このまま上手い事やって、嫁にカネさえ渡せば、取り敢えず何とかなる」くらいにしか考えていなかった。

 だが「嫁」は普通の女性だった。ある日「お願いですから仕事してください」と泣いて頼まれた。さすがにこれはズシンと響いた。「上手い事やり続けてごまかす」ことはできないと腹をくくり、“現役の人間”から「足場の仕事(=とび職)」を紹介してもらった。山本氏が出した仕事の条件は「日給1万2000円くらい稼げること」のみ。それほど職業社会への理解が浅かった。

「オレに外で名刺切らせていいの」

 ここで、マジメということの意味を知った気がすると山本氏は回想する。最初の1カ月は、朝の5時から夜の11時まで、軽自動車で通勤してガムシャラに働いた。とにかく、一日一日をケガせずに無事にクリアすることしか考えなかった。

 そうこうしていると、社長が声を掛けてくれるようになり、給料も上げてくれた。昇給よりも嬉しかったのは、現場だけでなく、営業を任せてくれて、会社の名刺を持たせてくれたこと。「オレに名刺切らせていいの」という驚き、そして、信頼してくれた社長への感謝の気持ちが心に広がった。

 社長の信頼に応えようと、一生懸命に営業活動に専念した。休日も仕事のことが頭を離れない。その結果、自分で建設会社を興すことになったし、「この営業があったから、求人誌『NEXT』が生まれたと思います」と、山本氏は言う。

 信頼してくれる経営者がいたから前科がある自分も更生することができた、刑務所暮らしをしている人たちも自分を同じように幸福な出会いがあれば出所後に更生できるのではないか――そんな思いから、社会復帰を応援するための求人誌の必要性を痛感したのだ。

 現在、山本氏は建設会社を経営する傍ら、全国の事業会社を対象に求人広告を募集、集まった求人案内を掲載した<社会復帰応援求人誌『NEXT』>を毎月1500部ほど発行、刑務所や保護会に送付している(求人情報は、ウェブ上でも公開:next-kyujin.jp)。

家族・職場社会という社会関係資本

「嫁から泣きながら『仕事をしてくれ』と頼まれた」、「社長が褒めてくれて信頼してくれた」、「自分に名刺を持たせてくれた」という出来事があったことで、山本氏はチンピラ的な徒食生活から脱し、真面目に仕事に取り組めるようになった。

 山本氏の結婚や就職、そして雇用主との出会いが、非行から足を洗うポジティブなターニングポイントとなっている。

 その上で、社会学的に言えば、家族、職場社会との「紐帯(ボンド)」が機能していると指摘できるだろう。このことは、社会関係資本(社会における重要な他者との関わり)という視座から説明できるのである。

 社会学でいう、「資本」という表現にピンとこないかもしれないので、少しカタい話をする。

 たとえば、家族社会における夫婦は、お互いに重要な他者であり、愛情に基づき、お互いの時間や将来を投資し合っている。職場社会における雇用者と従業員も、時間とお金、そして将来を投資する関係と言える。もし、一方の人が犯罪をおかして警察に検挙されたとすれば、重要な他者との愛情や信頼関係を崩壊させ、日々の投資が無に帰す可能性がある。

 愛情や信頼関係に基づく社会関係資本は、物質的・人的資本と同様に生産力がある。それがあることで、人は様々な目的を達成することができる。逆に言えば、そうした社会関係資本を持たない人は、社会での目的を達成することが困難になるのである。

 山本氏は、家庭、職場という社会に恵まれ、ポジティブなターニングポイントを経験することで更生することができた成功事例といえる。

 実は、山本氏のようなケースはとても珍しい。普通はこれほど社会関係資本に恵まれないし、それらがあったとしても更生し、自ら事業を起こすまでには至らない。山本氏の場合、家庭や職場という社会的居場所があったことに加え、潜在的ニーズへの気づきを得るという本人の能力があった。それが、更生のみならず、ニーズプルな『NEXT』という人材マッチング・サービスを生み出す原動力になっている。

獄中求人誌で社会復帰の道をつなげて上げたい

 筆者は、多くの出所者を見守ってきた。彼らの社会復帰は容易ではない。というより、再び犯罪者となり刑務所に逆戻りというケースも多い。再犯する人の最大の理由は、社会的居場所がないからである。彼らには、家庭や職場、そして地域社会の受け皿が圧倒的に不足しているのだ。

 暴力団に在籍していた人や刑務所出所者に対する世間の目は冷たい。それもある意味当然のことかも知れないが、仕事を得ることが難しい人や帰る家が無い人が、生活のために再犯に走るのも、また当然と言えば当然なのだ。

 このことは、更生保護の仕事に携わる我々には常識である。政府広報に掲載された法務省発表資料を見ると、刑事施設から仮釈放された場合などには、社会での更生をサポートし再犯を防止するため保護観察に付されるが、この保護観察終了時に無職であった人の再犯率は24.8%で、職があった人の再犯率(7.8%)に比べて約3倍も高くなっている(グラフ1参照)。

 ちなみに、帰る家が無い人の再犯に至るまでの期間を見ると、刑事施設からの出所時に帰住先のない人ほど再犯に至るまでの期間(1年未満、1年以上で比較)が短くなっている(グラフ2参照)。

 これらのデータをみると、再犯者は、出所・出院後に社会における「仕事」と「住居」がなく、経済的に困窮したり社会的に孤立したりして、再び犯罪に及ぶという悪循環に陥っていると考えられる。

気付かぬ間に「巻き込まれ」て加害者になってしまうこともある世の中に

 昨今は、特殊詐欺などの「巻き込まれ型犯罪」も増えている。世間知らずな若者や多重債務者が、「闇バイト(=犯罪的なバイト)」などに使い捨ての末端要員として加わり、結果的に犯罪に巻き込まれてしまうのだ。ただし、「巻き込まれた」としても罪は重い。更生保護に携わる筆者の経験に照らして言えば、特殊詐欺に関与するとまず実刑間違いなしである。

 コロナ禍で生活に困窮する若者は増えている。そうした中、「闇バイト」に巻き込まれ、摘発されたような「加害者」であり「被害者」でもある人は一定数存在する。こうした一度の過ちで彼らを社会的に排除していたら、犯罪社会の人口は増えるばかりである。

 筆者は、赤落ちした彼らが、獄中求人誌『NEXT』と出会い、新たな人生を歩むための一歩を踏み出して欲しいと切に願う。同時に、この記事を読んでいる事業主の皆様にお願いしたい。『NEXT』に求人を掲載し、一人でも多くの刑務所出所者にセカンド・チャンスを与えて頂きたいと。

 問い合わせだけでも大歓迎だ。事業拡張やコロナ後の人材確保を考える経営者の方は、ぜひ以下の番号に電話して頂ければ幸いである。

【社会復帰応援求人サイトNEXT】
株式会社 豊生「NEXT求人事業部」(next-kyujin.jp
084-959-4882
〒721-0952 広島県福山市曙町1丁目11-12

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