DULL-COLORED POPは第23回本公演『丘の上、ねむのき産婦人科』を、2021年8月11日(水)~29日(日)、下北沢 ザ・スズナリで上演する(9月1日~5日には大阪 in→dependent theatre 2nd でも上演)。

谷賢一がDULL-COLORED POPで扱う題材が「妊娠と出産」だ。昨年、KAATで上演した『人類史』は200万年に及ぶ歴史をダイナミックに描き話題となった。その過程でさらに深堀りしようと思ったテーマを劇団公演として手掛ける。これまでとはテクスチャーの異なる作品となりそうだ。稽古真っ只中の谷賢一に、話を聞く。
 

■妊娠や出産の営みについて見つめる

——新作の『丘の上、ねむのき産婦人科』で妊娠・出産を題材としたのは、谷さんにお子さんが誕生したことも関係していますか?

子どもが産まれたことは、作品のきっかけと関係なくて(笑)。妊娠や出産を演劇にしたいと思った時期と次男の誕生が重なったのは偶然なんです。2020年に『人類史』を上演した際、妊娠や出産を取り上げることができなかったので、劇団で公演しようと。

——何組かのカップルに取材したとか。

この題材をイメージした時点で、いろんな人に話を聞いて台本にしようと思っていました。福島三部作で取材を重ねて、人から聞くことが一番刺激を受けるということがわかりました。関連する本も読みましたが、実際に聞いたエピソードには強さがあるというか。モデルとなる人たちの話はかなり反映されています。20数組聞いた時点で、一つ一つのエピソードが濃すぎて、2時間の芝居に収まらないくらい素材が集まってしまいました。

——妊娠や出産にまるわる現実問題として興味があったのですか?

「出産の苦労は男の人にはわからない」とか「女性の考えていることなんてわからない」という互いの差異が、妊娠・出産では極めて如実に出てきます。簡単に分かり合えることではないと思いつつ、「どうせわからないだろう」で終わるのは社会的な損失だと思うんです。もっとも分かり合えない、分かりにくいテーマだからやってみたいと思いました。

——脚本監修に北村紗衣さんが加わったのは、どういった狙いがあったのですか?

第三者の視点があったほうがよりいいと思ったからです。北村先生はフェミニズムの専門家であると同時に演劇の専門家でもいらっしゃいますから、監修として最適だと考えました。ほかの公演でも、制作ほかスタッフに読んで意見をもらうことはもちろんあります。しかし作・演出家は非常に強い権限を持っているので、現場で対等に振る舞おうと心掛けているだけではダメで、こちらから頭を下げて「ご意見下さい」というくらいじゃないと意見はもらえない。そこで気兼ねなく意見を言いやすい、座組みの外側にいる方に読んでもらおうと考えました。

——実際に夫婦や恋人同士といったカップルに取材したことで、分からないことが分かるようになったのか、反対に、ますます妊娠・出産というものが分からなくなったのか……。

うーん。個別のエピソードとして驚きや感動はたくさんありました。それによって知識が増えていく喜びもあったけど、いろんな人に聞くだけ、さらに妊娠・出産という営みの本質的なところが分からなくもなりました。一人一派じゃないですけど、一人一人「妊娠」というキーワードが共通しているだけで全く違うことがわかる。取材すると、めぐりめぐってそこに戻って来ざるを得ないんですけどね。

「福島三部作第一部『夜に昇る太陽』」photo by bozzo

「福島三部作第一部『夜に昇る太陽』」photo by bozzo

■「対立」や「論破」とは異なるものを

——台本を読んだ限りでは、ハッピーになれないカップルの姿もありました。

悲劇的なエピソードが多く、打ちのめされることもありました。妊娠・出産となると、生命の話になるし、今なら格差社会の話にも及びます。でも、分断を進めるのではなく、最後には和解とか歩み寄りとか、何かしら生命に希望が持てる芝居にしたいと思った。「ねむのき」なんていう優しい単語を選んで、これまでの作品とは異なるテイストタイトルにしたのもそんな理由からです。ねむの木は、夫婦円満を象徴する意味もあるらしいです。

書き進めるうえでも、これまでとは随分異なる挑戦をしました。僕は人と人が衝突して問題を語り合う、深刻な対立状況をいつもお芝居にしてきました。対立によって人が変わったり考えたり成長したりする瞬間にドラマを感じていたので、必ずしも和解や解決を描く必要はなかったんです。今回もお互いの違いやわかりあえなさに直面し、激しく対立しつつも、でもどうにかして一緒にいよう、どうしたら一緒にいられるかを考える夫婦やカップルという関係を描いているので、普段とはプロットの立て方からして違ったんです。

夫婦・恋人同士の話なので、本心では対立も論破も望んでいない。互いを否定し合うだけでは物語にならない。かといって、物分かりのいい人ばかりでは嘘くさいでしょう。わかりあえないことをわかりつつ、何とか一緒にいる方法を探ろうとする、そんな話というか。それぞれの悩みや主張はあるんだけど、妥協というか、新しいやり方や関係性を探そうとして歩み寄ろうとしている。もしかしたらそれがわかり合うということなのかもしれませんけれども。

谷賢一

谷賢一

■演じることは究極の他者理解

——男女を入れ替えたバージョンを考えたのはなぜですか?

もともと演劇は、時代や国籍、性別をびゅんびゅんと飛び越えて上演できるわけじゃないですか。たとえば、1950年代のルイジアナ州に住む自動車整備工の男を演じるのと、現代の妊娠した女性を演じるのとどちらが遠いかといったら、一概にどちらが近い遠いとも言えない気がします。自分とはまるで環境も背景も違う人を演じるということが演劇の面白さですからね。つまり、演じるということは、究極の他者理解だと思うんです。

男性が女性を演じているのを観ると、お客さんも「これはあくまでお芝居なんだ」という前提で観るになる。普段とはちょっと違う、より演劇的なものを観ている感じがします。稽古してみると、入れ替えたことの面白にはすごく手ごたえがありました。

——ダルカラでは初のスズナリ公演です。

大好きなスズナリなので、本当ならいろんな関連企画を立てたかったんですが、緊急事態宣言のなかで上演することで頭がいっぱいで、公演以外のことをあまり考えられないんですよ。アフタートークもできないしイベントもできないし、本当に残念です。その分、お芝居本編の内容に集中しようと思っていますが。

今回のセットシンプルです。抽象的で、なんにもない空間にしようと思います。テキストを書く段階でも、観ている人に想像してもらうことをテーマにしました。想像のヒントとして、テレビの音や電車の音が加わります。カップルの会話さえ聞いていれば、「この二人はいいマンションに暮らしていそうだ」とか「ここは大阪よりちょっと東かな」とか、イメージがわいてくると思います。観客の想像力が一番のセット・背景・舞台美術になるといいなあと思っています。

取材・撮影・文/田中大介

谷賢一