桜の花出版 株式会社(東京都、以下「当社」)は、8月9日、終戦から76年となる終戦記念日8月15日を前に、元零戦パイロット・原田要氏の著書<まえがき>全文を、次世代へのメッセージとして公開しました。


零戦パイロットだった原田要氏は湾岸戦争を機に戦争体験を語り始めた
零戦パイロットだった原田要氏は湾岸戦争を機に戦争体験を語り始めた

若い世代に増える「終戦記念日に興味なし」


戦争体験、終戦記念日に特に興味なし、という若い人たちが増える中、次の平和な世を作るためにこそ、戦争体験を語り継がなければ、と色々なプロジェクトが進められています。
当社では、2003年発刊の『日本人はとても素敵だった―忘れ去られようとしている日本国という名を持っていた台湾人の心象風景』を皮切りに、シリーズ日本人の誇り①~⑩を出版しています。台湾、インドネシアフィリピンスリランカ、朝鮮、日本で戦前・戦中・戦後を生き抜いた人々が、率直に実体験を語った本です。
2011年発刊のシリーズ⑨「零戦(ゼロファイター)老兵の回想―南京・真珠湾から終戦まで戦い抜いた最後の生き証人」(原田要 著)も今も読み継がれているロングセラーです。


原田要氏 本書23頁
原田要氏 本書23頁

湾岸戦争を機に戦争体験を語り始める


平成10(1998)年、ガナルカナル島を訪れ、不時着した愛機「零戦」と56年ぶりに再会 41頁
平成10(1998)年、ガナルカナル島を訪れ、不時着した愛機「零戦」と56年ぶりに再会 41頁

原田氏は、海軍の戦闘機パイロットとして、南京攻略、真珠湾攻撃ミッドウェー海戦ガダルカナル島攻防戦など、 数々の修羅場を戦い抜いた元零戦パイロット。
知る人ぞ知る相生高秀中尉から戦闘機パイロットの極意を叩き込まれ、「大空のサムライ」で有名な坂井三郎氏と切磋琢磨して飛行技術を磨きました。そして、神風特攻隊「敷島隊」の 関行男氏へ指導するなど、海軍航空隊の錚々たる面々と共に闘い、生き残った不死身のパイロットです。
終戦後は、地域のお母さん方の要望に応える形で託児所を開設し、その後、幼稚園を作り、昭和47年には学校法人として認可されて〝浅川学園ひかり幼稚園〟の園長に就任されました。原田氏は「幼稚園を始めてからは、多くの人たちと関わりを持つようになりましたが、私が零戦パイロットとして戦ったということを、人には話しませんでした。ところが、1991年に起こった湾岸戦争が、私の戦争に対する沈黙を破らせることとなったのです」と語っています。


次世代へ是非伝えたい


「零戦(ゼロファイター)老兵の回想」まえがき全文


桜の花出版HPより>
真珠湾攻撃から、早いもので七十年の歳月が流れようとしています。私は、昭和十二年、海軍の戦闘機パイロットとなり中国戦線を皮切りに、南京攻略、真珠湾攻撃ミッドウェー海戦ガダルカナル島争奪戦などの様々な戦場を体験しました。世界にその名を轟かせた「零戦(零式艦上戦闘機)」で敵と戦い、死を覚悟したことが三度もありました。しかし、奇跡的に命が繋がり、今年で九十五歳となりました。戦後、私は特に隠していたわけではありませんが、自ら進んで戦争の話をすることはありませんでした。
その私が戦争の真実を語るきっかけとなったのは、一九九一年に起こった「湾岸戦争」です。ミサイル攻撃をテレビで見た若者たちが、「花火のようで綺麗」「まるでテレビゲームみたい」と言っているのを目の当たりにして「これはいけないぞ!」と危機感を感じたのです。更に、戦争に行っただけで最前線の酷い所を知らない人たちが、口先だけの反戦を唱え、誤った戦争観を伝えていることにも非常に違和感を覚えました。
戦争は想像を絶する地獄であることを証言し戦争の真の姿を次世代に伝えることが、生き残った私の使命ではないかという覚悟が湧き上がって来たのでした。戦争にはスポーツと違ってルールがありません。非戦闘員を巻き込む無差別爆撃や原爆まで落としてしまいます。ベトナム戦争では枯葉剤まで撒かれてしまいました。
また、戦争には勝ち負けはありません。私が零戦で敵機を墜とした時にまず浮かぶのは、「墜とされなくてよかった」という安心感でした。そして次に「勝った」という優越感が湧きます。しかし、それらはほんの一瞬だけで、後は「あのパイロットにも家族がいたのだろうに」「残された家族が困るだろう」とやり切れない虚しい思いに包まれるのです。そしてその重く暗い思いを一生引きずらなければならないのです。
お互いに何の恨みもない者同士が殺し合う、殺さなければ自分が殺されてしまう戦争というものを私は憎みます。戦争が金輪際なくなってほしいと切に願っています。
ただ、だからといって私は、己の歩んできた過去を全て否定するつもりはありませんし、口先だけの平和を唱えるつもりもありません。
私は、「零戦パイロット」だった誇りを戦後も忘れたことはありませんでした。零戦という素晴らしい戦闘機に乘ることが出来、交戦国の兵士から怖れられる程の操縦技術を我々パイロットが身に付けていたことが誇りでした。何よりも、その零戦を駆って、自分の儲けや欲得のためではなく、国のために自分の命を捧げて全身全霊を打ち込んで純粋に戦ったという満足感がありました。それが私の「誇り」になっていました。
残念なことに、昨今、「日の丸を揚げるな」とか「国歌を斉唱するな」などとおかしなことが叫ばれています。これは、世界中を探しても日本だけではないでしょうか。自国の国旗、国歌を正しく守っていくのは、当然だと思います。それが、「誇り」に繋がるのだと思います。誇りをなくして生きることは楽ではありますが、それでは人に信用されなくなってしまいます。誇りとは、自分の考えに対する信念です。
ある時、日本をリードする立場の政治家が、戦時中に日本がやったことは全て悪いのだと、あちこちの国に謝罪をしたという話を聞き、余りにも情けなくなりました。
確かに戦時中は周辺国に迷惑もかけ、戦争に負けたけれども、百パーセント日本が悪かったのではなく相手も悪かったから戦争になったのです。それを自分たちだけを卑下して、必要以上に罪の意識を持つことはないのではないでしょうか。また、敗れはしましたが、日本が戦ったことで、それまで列強の植民地であったスリランカベトナムなどアジアの国々が独立出来、その国の人たちが喜んでくれているという事実があるのですから、これは寧ろ大いに誇れることではないかと思います。
戦後、日本は豊かになる一方で、心は貧しくなり、人々は平和の有難さを忘れてしまいました。この平和は、ただ何もしないで転がり込んで来たものではありません。日本のために戦った兵士たちと戦争とは関わりがない筈の女性や子どもなど一般の人たちを合わせた三百万人以上ともいわれる人たちの犠牲の上に成り立っているのです。
亡くなった戦友たちも皆平和を望んでいました。彼らは家族と故郷の安泰を願って、死にたくなかったけれど、二十歳前後の青春を捧げて逝ったのです。今の平和の元には、彼らの「日本を守る!」という強い想いがあることを皆さんはよく心に刻んで、この一見何気ない日常が、実は涙が出る程に有難いことに気付いて貰えたらと思います。
この平和の有り難味を忘れたら、また戦争を起こしてしまいます。そのためにも、歴史を正しく伝えていくことが、我々先人の務めではないかと思っています。 
真珠湾攻撃から五十年を経た一九九一年、アメリカの開戦五十周年式典に「ゼロファイター」として羨望の眼差しで迎えられてから、かつては敵だった人たちと交流を持ち始めました。殺したと思っていた相手との劇的な再会もありました。彼らと付き合う中で、国は違っても平和を愛する気持ちに変わりはないことを実感しています。
また私は、戦後長い間、幼児教育に携わってきました。子どもたちの純真な瞳を見ると、この子たちに絶対に戦争の悲惨さを味わわせてはいけないと思います。
これから私が体験し感じたことを飾ることなくお伝えしたいと思います。そこから平和の有難さと、戦争は避けるべきということを理解し、平和な世の中を作り上げるために共に努力をして貰えたら誠に幸いです。
平成二十三年十一月吉日 生存老兵 原田 要


2001年8月6日、コロンボ上空で原田氏に撃墜されるも奇跡的に命をとりとめたジョン・サイクス氏(左)と59年ぶりに再会し喜ぶ原田氏(右) 英国ドーセット州のサイクス氏の自宅にて 305頁
2001年8月6日コロンボ上空で原田氏に撃墜されるも奇跡的に命をとりとめたジョン・サイクス氏(左)と59年ぶりに再会し喜ぶ原田氏(右) 英国ドーセット州のサイクス氏の自宅にて 305

公開情報






8月15日-伝説の零戦ゼロファイター原田要氏から次世代へ熱いメッセージ.pdf



原田要氏 プロフィール


ゼロ戦戦士。大正5年(1916年)―平成28年(2016年)、長野県生まれ。昭和8年(1933年)、横須賀海兵団入団(水兵)。昭和12年(1937年)支那事変勃発。同年第35期操縦練習生を主席で卒業し、同10月第12航空隊附で中支戦線(揚子江と黄河に挟まれた華中域)に出動し、「パネー号」爆撃、南京攻略戦に参加。昭和16年(1941年)、空母蒼龍に乗り組みハワイ真珠湾攻撃に参加。その後、ミッドウェー海戦ガダルカナル島争奪など激戦地を転戦。重傷を負い、内地で航空教官となり終戦。歴戦の元零戦パイロットとしての使命と誇りを胸に、戦争の悲惨さ、平和の大切さを各地で講演すると共に亡き戦友の慰霊を続けた。


「零戦(ゼロファイター)老兵の回想 南京・真珠湾から終戦まで戦い抜いた最後の生き証人」


海軍の戦闘機パイロットとして、南京攻略、真珠湾攻撃ミッドウェー海戦ガダルカナル島攻防戦など、 数々の修羅場を戦い抜いた元零戦パイロット・原田要の体験記。
著者:原田要
定価:1,342円(税込)
ページ数:299ページ
ISBN-10:4434162128
ISBN-13:9784434162121
発売日:2011/12/8
サイズ:B6判 18.3x13x2.3cm


本書<目次>


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『わが誇りの零戦 祖国の為に命を懸けた男たちの物語』


自身の戦争体験談に加えその当時の状況を源田實『真珠湾作戦回顧録』や草鹿龍之介『連合艦隊参謀長の回想』などから抜粋掲載することで、当時著者が置かれた状況が非常に理解しやすくなっている。著者に空戦の極意を叩き込んだ相生高秀中尉とのエピソード、「大空のサムライ」で有名な坂井三郎氏と切磋琢磨した日々、神風特攻隊「敷島隊」の 関行男氏への指導など、海軍航空隊の錚々たる面々との知られざるエピソードも収録。第一級資料としての価値もある。
著者:原田要
定価:1,760円(税込)
ページ数:337ページ
ISBN-10 : 4434184016
ISBN-13 : 978-4434184017
発売日:2013/10/25
サイズ:19.8 x 13.5 x 2.1 cm



桜の花出版株式会社


人としてどう生きるべきかーいつの時代も変わらない人類永遠のテーマです。
桜の花出版は、より良い医療と健康な生き方を提案する『国民のための名医ランキング』、歴史を知るための必読書である『シリーズ日本人の誇り「日本人はとても素敵だった」』『THE NEW KOREA』、『侘び然び幽玄のこころ』『タオと宇宙原理』など長く読み継がれる書籍の刊行を通じて、皆様の人生を豊かにする一助となれるよう願っています。
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零戦パイロットだった原田要氏は湾岸戦争を機に戦争体験を語り始めた