少子高齢化と人口減少が進むわが国の社会の質を維持し、さらに発展させるためには、データの活用による効率的な社会運営が不可欠だ。一方で、データ活用のリスクにも対応した制度基盤の構築も早急に求められている。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって、これまでの経済、社会のあり方は大きく変わろうとしている。

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 その中で、日本が抱える課題をどのように解決していくべきか。データを活用した政策形成の手法を研究するNFI(Next Generation Fundamental Policy Research Institute、次世代基盤政策研究所)の専門家がこの国のあるべき未来図を論じる。今回は戦後総括について。過去の経験を科学的、客観的に分析すべき時に来ている。(過去21回分はこちら)。

(森田朗:NFI研究所理事長)

 今年もまた終戦記念日がやってきた。戦争の惨禍を忘れないように、戦死者を悼み、平和を誓う式典が各地で催される。平和の大切さを確認し、後世に伝えることは、無謀な戦争を繰り返さないためにも必要だ。

 それはその通りである。しかし、具体的に戦争を回避し、平和を維持するために、わが国はどのように敗戦国の経験を活かそうとしているのか。昨年の記事でも書いたが、この点はいつも明らかではない。単に戦争に反対し、核廃絶を唱えるだけで、戦争をなくし核戦争を防げるわけではない。

 わが国は、戦後75年にわたって、平和を享受し、現行憲法の下で、基本的人権が尊重される豊かで平和な社会を維持してきた。無謀な戦争を開始し敗北した反省に基づいて、平和主義を国是とし、戦時中の行為についての他国からの批判はあれど、戦後わが国から侵略されるという脅威を指摘されたことはない。

 戦前のファシズム体制の下で、国民は言論の自由もなく人権は蹂躙された。それだけではなく、軍国主義が吹き込まれ、戦争遂行のために動員された。300万を超える国民が犠牲になったが、最終的には敗北した。

 戦後、米軍を中心とする連合国の占領政策によって、民主化のための改革が実施され、わが国は新たな体制へと転換した。国民の意識としては、戦争の苦難から解放され、とにかく平和と安全を実現してくれる体制として、それを受け入れたといえよう。

 私の父は22歳の時に陸軍に召集され、朝鮮半島で戦い、終戦時に平壌でソ連軍によって武装解除され、そのままシベリアに抑留され、1947年にようやく復員した。青春時代を戦争に捧げたが、それでも生きて帰国できた。その後は企業に勤め、戦後復興からわが国が先進国の仲間入りをするまで経済成長の担い手として働いた。

なぜか戦前の体制を否定しなかった戦争世代

 父は青年期に軍国主義教育を受けたため、天皇に対する尊敬の念は強く、他方、ソ連での抑留中の経験から共産主義に対しては批判的であった。そして、戦後の民主主義や自由主義経済については高く評価し、戦後の平和と発展が米国による戦後改革の結果であると語っていた。

 平和な民主主義を受け入れる一方で、苦難を強いた戦前の体制を批判するかというと、そうではなかった。このように書くと、首尾一貫していないように見えるが、本人は自分の考え方に矛盾を感じているようには見えなかった。父と同様の体験をした世代には、このような考え方を持った人は少なくなかった。

 戦後の解放された自由な体制を幸福に感じるならば、自由が抑圧された戦前の体制に対する否定的評価があって当然だが、なぜか戦前の体制に対しては、それほど批判的ではなかったのだ。

 そこで疑問が生じる。戦前のわが国の体制を肯定するならば、戦前を否定し、外部から強いられた改革の結果誕生した戦後の体制を、どうして素直に受け入れることができるのか。

 戦前の体制と戦後のそれとは矛盾しており、戦前の体制を破壊することによって戦後の体制が形成されたことを考えると、両方を肯定的に評価する態度は、どのように理解すればよいのか。

 学生時代の私は若者の純朴さもあって、このような疑問を、父を含む戦争世代の人にしばしばぶつけた。ロジカルに議論すれば、彼らの認識の矛盾を指摘できる。しかし、そのような指摘に対する戦争世代の反応は、多くの場合、「わきまえた」大人の回答であり、それはタブーであって口に出してはいけないことなのだ、というものであった。

 あえて彼らの回答を忖度すれば、軍部は悪い、軍国主義体制も悪い。しかし、戦前の時代、彼らが青春を過ごした時代は、その軍国主義体制とは異なる体制であって、それは必ずしも悪くない。

 戦後は、多くの国民が幸福になり、もう戦争はしないと決めたのだから、若かりし時に正しいと信じて命を賭けた当時の国家を否定しないのかと詰問されたくない。触れられたくない問題を思い出させるな、ということであろうか。

 それから私も大人になり、ものごとを「わきまえる」ようになっていたが、戦後76年も経ち、曖昧なまま疑問を抱き続けることにどうにも耐えがたい。

 戦争を体験した世代の人たちの姿勢を責めるつもりはまったくない。しかし、私たち戦後生まれの世代は、戦争を回避し平和を実現する方法を探求するために、問題を総括し、それを次の世代に伝える責任があると思う。

戦争の研究を避ける大学の無責任

 こうした問いかけは、パンドラの箱を開けることになるのかもしれない。だが、私はあえてパンドラの箱を開けてでも、問題を直視してしっかりと議論すべきであると考える。

 第1に、戦後の教育は、この問題についてはタブーとして、考えること、教えることを意図的に避けてきた。そのため、戦争の歴史と評価について、それを伝承する者がいなくなってくると、若者の知識に空白ができる。

 そうした世代の者が、以前とは異なる国際社会で、わが国の歴史と政治体制について他国の若い世代の人たちが納得できるような説明をすることができるだろうか。素朴な愛国主義であれ、非現実的な絶対的平和主義であれ、安易に一面的な見解にコミットすることはむしろ危険だ。

 戦争は人間が始める。開戦の決定に至る政治的リーダーの思考プロセスを解析することによって、何が開戦のトリガーになったのか、換言すれば、どの時点までなら開戦を回避できたのか、なぜ早期の講和に持ち込むことができなかったのか。その評価は分かれるにしても、歴史の知識を共有し、議論して国民の共通の認識とすることによって、平和を実現し維持するための知恵を生み出していくことができるはずだ。

 その点で、このような研究の担い手となるべき大学や学界が、軍事研究はしないという伝統を堅持し、研究そのものを避けているのは無責任のそしりを免れないと思う。第二次大戦時に大学が戦争協力したのを反省することは必要だが、科学的に戦争の原因と回避の方法を探求することは、大学や学界の責務であろう。

 同様に、教育においても、誰が正しく何が悪いのかという評価はともかく、可能なかぎり客観的な事実と決断のプロセスについて、多角的に考える機会を作ることが必要である。

侵略の脅威から国土をどう守るつもりか?

 第2に、相変わらず隣国韓国を中心に、第二次大戦で日本が迷惑をかけた国からの批判や責任を問う声が多い。政治的な意図によるものであろうが、わが国としては、それに対してどのように説明ないし反論するのか。

 わが国は、戦後、戦前の行為を反省し、民主主義に基づいて平和国家を樹立したといくら主張しても、相手国に、靖国神社への参拝問題を含む戦前からの連続性と、戦後改革による戦前との断絶を整合的に説明ができなければ説得力はない。戦後の言論の自由が保障され、言いたいことを言える今の社会を肯定する一方で、言論の自由が認められていなかった戦前の体制を肯定することは矛盾しているからだ。

 日本国民として、愛国心、ナショナリズムを持つことは当然だが、論理的にわが国の立場を説明し、外からの批判に反論するには論拠が必要である。これは、国内において、そうした議論をタブーとして封印するのではなく、われわれ自身が了解できる矛盾なきわが国の体制の原理を明確にすることにほかならない。

 愛国主義は、わが国の民主的体制とどのように両立するのか。あるいは、非武装中立の平和主義を主張するとしても、侵略の脅威にさらされている国土をどのようにして守るつもりなのか。これらについての明確な答が必要である。

 第3に、海外の国や企業の間で、わが国のカントリーリスクの評価が近年高まっていると聞く。それは、自然災害のリスク、安全保障上のリスク、そして政治的リーダーシップの脆弱性の3つであるが、中でも、安全保障上のリスクは、最近、特に高まっているとされるリスクである。

 このようなリスクにどのように対処するか。日本国内でしか通じない「わきまえた態度」や「阿吽の呼吸」でわかりあおうとする「空気」に頼っても、わが国の安全保障に関する政策を、海外の人たちや若い世代の人たちに納得させることはできない。

主語のない原爆慰霊碑の碑文が意味すること

 現在の国際社会において、わが国は、どのような理念に基づいて国家を運営しようととするのか、危機に際して、国家と国民を守るために、何を優先し、何を捨てるのか。

 戦後民主主義を肯定し、戦前の体制を否定する時、戦前国家のために犠牲になった多くの戦死者をどのように受けとめればよいのか。彼らがそのために戦った価値を否定する時、彼らの死はどのような意味を持つというのであろうか。

 しかし、戦前の体制を肯定するならば、敗戦をどう捉えるのか。わが国の国民を悲惨な目に遭わせた敵国を無条件に許すのか。昨年も書いたが、チェ・ゲバラが驚いたように、わが国は、広島、長崎に悲劇をもたらした米国に対して責任を問うことはしてこなかった。

 戦前、戦後を生きた世代は、このようなジレンマ、矛盾に気づき、苦悶していたと思う。そして、矛盾を解き開戦の決定過程や戦争の責任を解明するのではなく、「戦争」が悪い、「原爆」が悪いという抽象的な概念を呪い、そこで思考停止することによって、矛盾から逃れようとしてきたと思う。

 それを象徴しているのが、広島の原爆犠牲者の慰霊碑に刻まれた「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」という主語のない碑文である。

 あえて主語を明記せず、誰が過ちを犯したのかを明らかにしないのが、「わきまえた態度」だったのかもしれないが、このような曖昧な姿勢を続けていても、緊張が高まる現在の国際情勢の下で平和で安心して暮らせる国家を維持できるとは思えない。

 ひとたび戦争が起これば、その犠牲は大きい。過去の経験を科学的、客観的に分析し、それから学ぶことによって、今後ともわが国が平和で豊かな国であり続けるために、何をすべきであり、それをどのように実現すべきなのか。記憶が薄れゆく中で、貴重な経験を継承していくためにも議論を早急に開始すべきではないか。

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