
「生活保護を受けている人」や「ホームレス」の命を軽視するような、自称「メンタリスト」によるネット動画が出回っている云々という文字を目にしました。
メンタリストというのは英国流の「読心術芸人」という夜店エンターテイナー、日本の感覚ではテキヤの啖呵売(たんかばい)にも似た、一種のペテン師を指すはずの言葉です。
これを自称、そういうカタカナで現在の日本では商売が成り立つということに、まず驚きました。
昭和の国民的映画「男はつらいよ」で渥美清が演じた「フーテンの寅」と大差ありません。自分で「それを言っちゃぁ、おしまいよ」と思いますが、21世紀日本のマーケットでは通用していたらしい。
名も顔も全く知らないその青年の動画を見て最初に思ったのは、この人はいったんすべての活動を停止した方がいいということです。
2021年、社会的に見て有害です。それは指摘されているようなことと別の理由で、新型コロナウイルス感染症の蔓延に関する基本的な点を理解していない点。
逆に人流を作り出すことを奨励していたので削除した方がよいと判断しました。
「メンタリスト」青年は2021年8月に入って、いまだに「死亡率」を持ち出し、「人生を楽しんだ方がよい。活動自粛は意味がない」と取れる内容を喧伝している。
これは完全に誤っています。それ以上に、後遺症罹患者を増やすなら有害です。重度の後遺症は若年層にもしっかり出ています。
たぶんこの青年はコロナの後遺症「LONG-COVID」の国際的な現実など一切知らないのでしょう。
そのまま、科学的に完全に間違ったことを「科学」を標榜して垂れ流してしまう。こうしたタレントの放言を真に受けて、後遺症を背負い込んでも、誰も補償してくれません。
しかし、政府発表などよりもこういうペテンの方が若い世代に影響力があって、人流が減らないのかもしれない。最悪な現実の一面を知ったのは、予想外の収穫でした。
こういう不特定多数に対する有害な公衆放送は、直ちにやめさせなければいけないと感じました。
また、しきりと「科学」を標榜しているようですが、完全に科学的には素人の内容でした。
大学学部を私もかつて教えたことのある大学の理工系で卒業、大学院修士課程を中退しているようでした。話している内容の多くは、ダイエットや下ネタを含む人生相談でおよそサイエンスの本質と無関係。
一種の自己啓発セミナー商法、ないしオウム真理教に代表される霊感商法のマインドコントロールに酷似する点があり、本稿は長くなってしまいました。
こういうのが跋扈するとは、地下鉄サリンも本当に過去になったのを痛感します。
以下、詳細を記しますが、先に結論として、この青年はネットワークでのおかしなコンテンツの営利配信をいったんすべて停止し、本質的な行状が改まるまで、二度とネットでの金儲けに走らない方が、社会に迷惑をかけないでしょう。
こういう偽科学の見破り方も、末尾に記します。
学卒/大学院中退はサイエンスでは「素人」
正直言って往生しました。ソースが明示されていなかったので、生ぬるい若者のどうでもよいお喋りをしばらく聞かされる羽目になった。
飛ばし飛ばしチェックしましたが、10分ほど聴くに堪えない中途半端に上ずった若者のご託を耳にしました。
そのおかげで、この青年がおよそサイエンティフィックには偽物であることはハッキリ分かりました。
端的には先ほど記した新型コロナに関して、人流が減らないような陽動は直ちにやめさせた方がいい。この動画(https://www.nicovideo.jp/watch/sm39178155)の冒頭近くに入っていますので、ご興味の方はご確認いただけるでしょう。
社会的に問題になっているのは、同じ動画(https://www.nicovideo.jp/watch/sm39178155)の、110分30秒ほどから、ほんの4分程度です。
20世紀に、それなりに精緻なテレビ番組(「題名のない音楽会」)を作っていた一個人として、また大学・大学院で物理を学び、ここ四半世紀は地味なサイエンスと地味な芸術音楽を両輪に、研究大学でコンテンツのラボラトリーを主催する一教官として言えるのは「素人の垂れ流し」であること。
そして「こんな動画を、よく見ている『信者』を集めたものだ」という驚きです。
今回の青年の問題発言を文字に起こしたとしてネット上に記事をいくつか見かけましたが、全く足りません。
そんなものだけ見ていても、この悪質さの本質は分かりません。
例えば、自分の猫をもふもふしながら「(ホームレスのいのちは)要らないよねー」などとやっている。この青年のたるみ切った性根は、動画では言葉以上に一目瞭然ですが、2次情報では一切伝わらない。
以下、筆者自身が直接テープ起こし相当の労をとりましたので、いったい何をしているか、何なら現物と対照してご覧になるとよいと思います。
まず「タイトル」に飽きれました。
「科学的にバッサリ斬られたい人のための質疑応答」
およそ科学的ではない。いつまで経っても学位論文がまとまらない大学院生「先輩」が、学生室で「後輩」相手にしゃべっているような駄弁と思いました。
前後して調べて、本当に修士を中退しているらしいと知り、納得がいってしまいました。これでは無理だ。
今日、修士を取れないというのは、能力的な問題というより「やらなかった」怠惰を意味する場合が多い。理系では、基本誰でも真面目にやりさえすれば出しますから。
ネットで検索したところ、青年は院生と思しい25歳以降「ワニブックス」などで普及書を出している様子でした。
いまだ学卒レベルのアマチュア了見で、おかしな営利だけ味を覚えて、学業を投げ出した可能性が懸念されます。
ちなみに、こういうリスクは、私自身、よく分かるのです。草稿に記し、いま削除しましたが、私自身「東大生音楽家」として第1回の「出光音楽賞」を貰ってちやほやされた経験があります。
閑話休題
大学院を途中でやめていたら、サイエンスのプロではありません。私自身、実際一度物理のドクターのテーマをストップし、病気で仕事を休んでから、再び、物理の手法を生かしながら音楽の脳認知で学位の仕事を再スタート。
「題名のない音楽会」の監督業などで食いつなぎながら、Ph.Dを取得しましたので、明瞭に断言します。
学卒、大学院中退では、サイエンスの入り口に立たなかったことになる。オリジナルな仕事をゼロから完成までやり遂げて、初めて科学のプロとしての落ち着いた手筋も、謙虚に学ぶことも、板についてきます。
「メンタリスト」は何を発信したか?
2021年8月、新型コロナウイルス感染症は、既に「致死率」でモノをいう疾病ではありません。
米国や英国、欧州で社会問題化していることは「後遺症」。つまり死なずに残りの人生に多くの困難を背負い込むリスクが問題の焦点となっている。
自称「メンタリスト」は「自分はアタマの良い人」を演じて、一見すると弁舌爽やかに質問をなで斬りにしていきます。
私がかつて見た中で、これと一番よく似ているのは、オウム真理「教」の「教祖」麻原彰晃こと松本智津夫の霊感商法です。
すなわち「グル」風に、師匠風にふるまって断言を繰り返す若者。
「麻原」が主要な犯罪を犯すのは34~39歳にかけてですが、今見ると、この「メンタリスト」は現在34歳とのこと、同じ若い年配で、変に血気に逸る気持ちと、霊感商法の営利に味を占めた部分が癒合してしまったのでしょう。
コロナについては、基本的な事実を押さえられていない。稚拙です。
稚拙な内容を「マインドコントロール」手法を使って流布している。そこが麻原とあまりにも重なるので、コロナ禍の中ですが「人流」増加も奨励しているビデオに関する、この稿を書くことにしたものです。
「メンタリスト」青年は、ティーンとしては目から鼻に抜ける少年だったのだろうと思います。そのあたりも麻原こと松本智津夫の少年時代に重なります。
ぺらぺらと、よくしゃべる。それがどこかでボタンを掛け違い、知的に怠惰な環境に慣れ、営利に紐づけられ、何か勘違いして、こういう惨状を呈するに至ったようです。
その惨状の最たるもの、「問題」の部分を見てみましょう。
メンタリスト青年の「動画」(https://www.nicovideo.jp/watch/sm39178155)は、リスナーからの「質問」に「辛口」で答えるという趣旨で構成されていますが、25歳という質問者からの
問(動画 https://www.nicovideo.jp/watch/sm39178155)
「今悩んでいるのは、幼い頃親に言われた『おまえのやることはすべて間違っている』という言葉に囚われていることです。そんなことはない、と頑張っていますが、常に頭の中で自分の行動にストップをかけてきます・・・(中略)・・・克服する方法はないでしょうか?」
という「人生相談」ふうの問いがあった。これに対して「メンタリスト」青年は
「親から言われたことを理由に行動しなくなっているか、本当にトラウマになっているか、どっちかだと思う」との脊髄反射的な答えに続いて「認知行動療法勉強したら」とつぶやき、突然カメラに映ったままスマートフォンを操作、黙りこくって何か作業(検索)し始め、コンテンツ的には途切れます。
我々、テレビ現場を知る人間からは「放送事故」そのものですが、天然の様子で一向に気にかけていません。
「・・・これとか読んだらいいんじゃないですか、ハイ」と動画では言うのですが、視聴者には何のことだか分かりません。
一部の視聴者とはチャット的な補助メディアの画面があって、それでやり取りしているのだと察せられますが、動画としては公衆放送として成立していない。素人の与太話です。
まあ、ここでやめておけばよかったのかもしれないし、今回、こういうことで膿が出たことが、コロナ蔓延防止などの観点からすれば、良かったのかもしれない。
問題はここから先になります。自称「メンタリスト」青年は「自分に与えられたハンデをきっかけに行動しなくなる人と、自分に与えられたハンデ制約の中で工夫する人」とで「雲泥の差」に分かれるという。
これ自体は、よくある自己啓発セミナー商法、あるいは「オウム真理教」で用いられた「苦行」推奨の手口にも通じる、どこかで覚えてきたのだろう陳腐なクリシェ、百年一日のパタンをうわごとのような早口でまくしたてるのですが、本人が、本当に制約の中で工夫する人なら、例えば大学院は中退していないでしょう。
きょうびは博士の学位であれば、社会人院生として働きながら努力すれば、多くの人が取っているのだから(ほかならず私もそうでしたから言えますが)サイエンスを標榜して無学位という時点で「科学は偽物」と見ます。
そういうものを、むしろ市場が喜ぶ、それにつけ込む「素人だましの商法」を、「オウム」以来長年、私は憎んできました。
ところが「メンタリスト」青年は、こうした商法で多額の不労所得もあるのでしょう。
「僕は生活保護の人たちにお金払うために税金納めてるんじゃないからね」と、ペットボトルの水(?)を飲み干しながら、かなりみっともないマウンティングを始めます。
「生活保護の人たちに食わせるカネがあるんだったらネコを、ネコを救ってほしいと僕は思うんで」
「生活保護の人たちが生きてても、僕べつに得しないけどさ、あの、ネコは生きてれば僕トクなんで、ネ~ イラナインだよね~ そうだよネ~」
と末尾は幼児口調になって、自分の飼い猫に話しかけ始め、先ほども記しましたが画角内で遠のき、しばらくネコをモフモフと弄ぶ、そんな風景を「信者」たちに見せている。
およそこれは、不特定多数に対する公衆配信ではない。信奉者たちに寝室を見せて喜んでいるようなものです。
さらに調子に乗って
「ほんとそうだよね、ネコが道端に倒れてたら可愛いもんだけど、ホームレスのおっさんがさ、のびてるとさ、なんでこいつがここで我が物顔で段ボール敷いて寝てんだろうなって思うもんね」
ここで私が連想したのは、自分の入った後の風呂の水をペットボトルに詰めて1本1000円だかで売った麻原彰晃こと、松本智津夫の霊感商法でした。
何か、間違った方法であぶく銭を手にすると、人間おかしくなっていく。残念な一つのパタンがここでも繰り返されている。
以下
「僕は、今日は辛口なんで・・・(早口で聞き取り不能)・・・ダークなんで、人間の命とネコの命、人間の方が重いなんて、ボクまったく思ってないからね」
「自分にとって必要のない命は、ボク軽いんで、そうそうそう」
公的な責任のある人なら、こういうことを言いもしなければ、そもそも思いもしないレベルです。「メンタリスト」の駄弁は続きます。
「ホームレスの命はどうでもいいんで」
「どちらかっていうと、みんな思わない?どちらかっていうとホームレスっていない方が良くない?言っちゃ悪いけど」
「本当に言っちゃ悪いこと言いますけど、いない方が良くない?」
「いない方がさ、だって、みんな確かに命は大事って思っているよ人権もあるから一応形上は大事にするよ、でもいない方が良くない?うん、正直」
「邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ、ねぇ。治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん。ネコはでも可愛いじゃん、うん。って思うけどね、ボクは」
こんな内容が不特定多数に公衆配信され、私のようなメディアの倫理にうるさい官学教官にチェックされている。
上のような、無教養な本音の言いたい放題を、ペットボトルの水を飲みながらネットワークに流している(110分30秒付近)。
この人くらいの年配で、仮に私の勤務大学に入ってきたら、当時私は全学必修「情報処理」という科目を持っていましたから、未然に防げたかもしれません。
なぜこんなことをネットで言ってしまうと「終わる」のか。「題名のない音楽会」の経験、さらには「オウム真理教事件」のメディア・マインドコントロールに即して必修枠で全学生に教えていました。
そういう基礎教養の教育機会がなかったのでしょう、この「メンタリスト」青年のナイーブな主張は1930年代中後半のドイツで「生産性の低い国民」に対して、ナチスエリートが打ち出した「合理的解決策」と、ほぼ完全に同じです。
「精神障害者は生産性が低い、社会にいてもらうと問題だ。隔離し『尊厳死』政策を適用する」
親しく仕事した作曲家カールハインツ・シュトックハウゼンのお母さんは1938年、軽度のノイローゼで入院し、骨壺で帰ってきたそうです。
仮にヨーロッパでこんなものを不特定多数向けの公衆放送、公衆発信に載せたら、2021年現在でもでも刑事罰の対象として、逮捕される可能性があります。
ご記憶でしょう、先月の「オリンピック開会式」で「ラーメンズ」ですか、名前は忘れましたが「小林某」なる芸能人の「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」という、25年前の過去ログで、何が起きたか。
以下、根拠と共に示しますが、こういう不特定多数への公衆放送は完全に有害で、本格的に、廃業を準備した方が、社会のためになります。
自身に刺した「とどめの一言」
これに続けて青年「メンタリスト」は、さらに致命的な内容をネットに残しました。
これが知れ渡れば、もう当分、スポンサーはつかないでしょう。企業イメージを損ねますから、こういう「社会のためにならないもの」は排除されてしまう。
「メンタリスト」は言います。
「もともと人間はねぇ、自分たちの群れにそぐわない、社会にそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きていけるんですよ」
一体いつの時代のどういう法観念、倫理観念か?
ナポレオン法典にだってこんな未熟なことは記されていない。そもそも「群れ全体」の利益をどうやって定義する?
簡単に定義できる体制は「全体主義」ファシズムと呼ばれるものだが、そういう基礎教育が抜け落ちたまま、公衆放送していたらしい。
こうした基本的な教養レベルの倫理が、昨今の日本の理系出身者で抜け落ちている人は珍しくなく、結果的に1930年代のナチスエリートに酷似した発想や発言、行動に直結してしまう。
そんな教育のアンバランス、その犠牲者をまた一人ここで見、正直、メンタリスト青年を哀れに思いました。以下、彼の発言そのままを記します。
「犯罪者やコロナと同じですよ」
「犯罪者が社会の中にいると問題だし、皆に害があるでしょ。だから殺すんですよ」
「はい、同じですよ」
同じだそうです。つまり「犯罪者」や「コロナ」と同じように。社会の中にいると問題で害がある「生活保護」受給者や「ホームレス」は、あろうことか「殺害する」という意味合いの内容を青年は口にし、録音録画が、今現在もネットに上がっている。
この人は一度、メディア生活を終えることになるでしょう。会社があるなら、解散規模のリスクです。というか、終わらなかったら何かがおかしい。
もし一定の法学の基礎や、社会思想の根本、民主主義体制の中でメディア業務を営む基本を肝に銘じて学ぶ機会があったなら、ここまで無残な「知的辺境」ぶりを晒さずにも済んだのではないかと思います。
「知的」という以前、「徳性」において低い、貧しい、悲しいほどに卑しいレベルの、幼稚な価値観、生命観を吐露している。EUなら刑事訴追される水準です。
というのも、19世紀後半、ダーウィン進化論が普及した直後から現れたロンブローゾらの優生学や、リスト、フェリーなどの新派刑法学の誤謬と軌を一にする、後年のナチス・ホロコースト、「生産性の低い人たち」が「いなくなった方が良い」と尊厳死の名でガス室を稼働させ始めたのと完全に同じ誤謬に陥っている。
ドイツを筆頭に、欧州はこういう犯罪を許しません。
この青年の「弟」がメディアで生活していて、かつ私たちの大学で学んだらしい記事を目にしました。
「弟」は、このあたりに関してはさすがにまともなことを言っている様子、教養教育に効力があった証左と言えるかもしれません。道徳とかいう以前に、ビジネス倫理の問題で、これだと会社を潰します。
「メンタリスト」は「ホームレス」や「生活保護」受給者は社会にいない方がよく、「処刑」さらには「殺害」を意味する露骨な表現まで無防備にとる会社と、どこが取引するか?
厚生労働省から「生活保護の申請は国民の権利」とのコメントまで出たらしい。
「インフルエンサ―」ぶりは分かりますが、「サー」ではなく、この発言自身が「インフルエンザ」同様、社会にとって有害でない方がよい。
さらに、コロナ蔓延のさなかにあって人流を増やすような発言の垂れ流しに至っては、彼自身が言う通り、社会にあって有害です。
一度、すべての動画配信業を休止し、既存のコンテンツを総チェックした方が、この人自身も安全かと思います。
まともに調べ始めたら、叩けば叩くほど埃が出てくる可能性がありそうに思いました。
偽サイエンスの見分け方
私自身は、この青年個人に特段何の思い入れもありません。ただ、本名を出さずに芸名で、サイエンスを標榜する商法は「麻原彰晃」と同じです。
芸名でメディア・マインドコントロール濫用で巨利をむさぼり、多くの人を破滅に追い込んだ、松本智津夫の犯罪手口と酷似していたため、本稿は通常の3倍ほどの紙幅になりましたが、丁寧に記しました。
サイエンスに関わる人は、常に自分を疑うことを怠りません。
自分は間違っているかもしれない。データは正確だろうか。計算ミスはないだろうか・・・慎重で、謙虚です。
普段こういう場で言及しませんが、私自身一大学教官として学生とデータチェックなどは細心というより小心、日常的に目を皿にして徹底チェックします。
また科学的におかしい原稿を無理に通そうとする出版社などあれば、原稿引き上げ、絶版も普通に判断します。
これと対照的なのが、麻原彰晃が典型的ですが、メディアを濫用するマインドコントロール商法です。
メディアを濫用して、弁舌だけは爽やかに、その場でなで斬りしてゆくのは、先にも記した通り、テキヤの啖呵バイの類に近く、21世紀、不特定多数に公衆放送が許される内容ではありません。
もしこの青年自身が本稿に目を通すようなら、私は罪は憎んでも人を憎みません。ビジネスにはなりませんが、いったんすべてのメディア配信をストップし、考えなく流してきたコンテンツを総チェックする経営上の視点とともにまともに勉強する大切さをサジェストしておきたいと思います。
末尾になりましたが、読者の皆さん向けにもう一度強調します。
この青年「メンタリスト」が科学を標榜してまき散らしている誤謬の一つ「新型コロナは致死率が低い、出歩いて人生を楽しもう」「どうせ人は一度は死ぬのだから」のたぐいは、容易に取返しのつかないことになります。
こうした、社会に有害な「コンテンツ」は、本人も言っている通り速やかに「ネット社会」から抹消される必要がある。
コミュニティから追放されて、しかるべきものです。決して真に受けてはいけません。
[もっと知りたい!続けてお読みください →] 国民病化する「コロナ後遺症」
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