東北などで甲子園に春夏通算11回出場した若生氏(左)。球児に寄り添う指導で、ダルビッシュ(右)をはじめ名選手を輩出。今年7月、肝臓がんのため70歳で亡くなった
東北などで甲子園に春夏通算11回出場した若生氏(左)。球児に寄り添う指導で、ダルビッシュ(右)をはじめ名選手を輩出。今年7月、肝臓がんのため70歳で亡くなった

アイドルがステージ上で"卒業"を発表することは珍しくない。だが、高校野球の優勝監督インタビュー中に、退任を発表するのは極めて珍しい出来事だった。

7月28日、激戦の埼玉大会を制した浦和学院の森士(もり・おさむ)監督が、試合後の場内インタビューで「この夏をもって監督を退任しようと思っています」と発言。事前に選手にも報告していない、"サプライズ退任"だった。

今年はほかにも、春の選抜高校野球大会で東海大相模を優勝に導いた門馬敬治監督も退任を発表。東海大相模は野球部寮で新型コロナの集団感染が発生し、神奈川大会準々決勝で出場辞退という悲劇を迎えている。

森監督は57歳、門馬監督は51歳。実績を考えれば、第一線を退くにはまだ若く感じられる。それでも、日々目まぐるしく進化していく指導現場に立ち続けるには、心技体の充実は不可欠。名将の新陳代謝は必然なのかもしれない。そこで本稿では、野球界で話題の人物が大きな影響を受けた、元高校野球監督を紹介していこう。

日本球界を巣立ち、世界的な大投手に君臨しているのがダルビッシュ有パドレス)だ。今季は8月4日現在、7勝6敗、防御率3.48とまずまずの成績を挙げている。ダルビッシュ東北高校時代の恩師として有名なのが、7月27日に70歳で逝去した若生正廣(わこう・まさひろ)氏だ。

若生氏の残した大きな功績は、「ダルビッシュに無理をさせなかった」点だろう。成長痛で慢性的な痛みを抱えていたダルビッシュは、高校時代に強い負荷のかかる練習を回避していた。

その"特別扱い"は厳しい練習をこなす選手との間で軋轢(あつれき)を生んだそうだが、当時の慎重な育成方針が現在の成功の一因になっているのは間違いない。

ダルビッシュの出現以前は、身長195cm前後の大型選手がプロ野球で活躍する例は皆無に等しかった。だが、ダルビッシュという前例ができてからは、大谷翔平エンゼルス)や佐々木朗希ロッテ)のように大型投手が高校で酷使されずにじっくりと育成されるケースが増えている。この先鞭(せんべん)をつけたのは若生氏といっていい。

2004年に東北の監督を退任後は、九州国際大付、埼玉栄でも監督を歴任。独特のだみ声にユーモアあふれる受け答えで、メディア受けもよかった。投手指導に定評があり、特に股関節を柔らかく使ったスムーズな体重移動をする投手を多く育成した。

後年は黄色靱帯骨化症という難病を患い、甲子園の試合前後の挨拶(あいさつ)ではベンチから出られなかったほど。常に介助役のコーチに支えられて指導していた。

今季限りでの引退を表明した松坂大輔(西武)。"平成の怪物"は名門・横浜高校で渡辺元智氏の薫陶を受けた。

渡辺氏は春夏合わせて甲子園優勝5回、通算51勝22敗の実績を誇る名将。特筆すべきは、幅広い年代で結果を残していること。

1970年代(73年春)、1980年代(80年夏)、1990年代(98年春夏)、2000年代(06年春)とすべて甲子園優勝を飾っている。"スパルタ式"を改め、選手と携帯メールでコミュニケーションを取るなど、時代に応じて指導法を変化させていった。

90年代には盟友・小倉清一郎氏を部長に迎え、松坂を擁した98年には甲子園春夏連覇を成し遂げた。技術面は小倉氏、精神面は渡辺氏と指導領域を設けたことで、横浜は好素材の才能を次々と開花させていった。なお、松坂は高校卒業後も渡辺氏の言葉「目標がその日その日を支配する」を座右の銘として、進化を続けた。

渡辺氏はノックの名手としても知られたが、後年はメニエール病など体調不良に苦しんだ。15年夏には監督を退任し、横浜の指導現場から足が遠のいた時期もあった。だが、教え子である村田浩明監督が就任すると、小倉氏と共に横浜の現場に再び足を運ぶように。名門の再建にひと役買っている。

今季、日本球界に復帰して大ニュースになった田中将大(楽天)は、高校時代は駒大苫小牧で腕を磨いた。

恩師である香田誉士史監督は革新的な指導者だった。95年に駒大苫小牧の監督に就任すると、04年夏には北海道勢初の甲子園優勝へと導いた。さらに05年夏には史上6校目の夏連覇を成し遂げ、エース・田中を擁して3連覇に挑んだ06年夏は準優勝。「北海道の野球は弱い」というレッテルを覆した。

雪国の高校は冬場にグラウンドで練習ができないハンデを負うが、香田監督は社会人・大昭和製紙北海道で日本一を経験した我喜屋優氏(現興南監督)の助言を受け冬場でもグラウンド練習を敢行。「雪上ノック」で選手の意識改革を促した。

華々しい結果を残しながらも、香田監督は07年夏に監督を退任。チームの不祥事や痛烈なバッシングに「心身の疲労」を訴えた。

現在は社会人野球の西部ガスで指揮を執るものの、「また高校野球で見たい」というファンの声は根強い。まだ50歳と若いだけに、「香田監督」が再び甲子園球場に戻ってくる可能性はゼロではない。

8月9日に開幕した全国高校野球選手権大会では、甲子園通算55勝の西谷浩一監督(大阪桐蔭)や同51勝の馬淵史郎監督(明徳義塾)といった名監督が登場する。

さらに今夏が最後の指揮となる浦和学院・森監督はどのような采配を見せるのか。球児のパフォーマンスだけでなく、監督たちのタクトさばきも必見だ。

取材・文/菊地高弘 写真/アフロ

東北などで甲子園に春夏通算11回出場した若生氏(左)。球児に寄り添う指導で、ダルビッシュ(右)をはじめ名選手を輩出。今年7月、肝臓がんのため70歳で亡くなった