夏の季語でもある「ところてん」は、つるっとした喉越しと食感が特徴です。日常的に食べている人も多いと思いますが、ところてんは「酢じょうゆ」「黒蜜」など、地域によって異なる味付けで食べられているため、「おかず」か「スイーツ」かという区別さえも地域によって認識が異なるようです。

 ネット上では「酢じょうゆでしか食べたことがない」「わが家では食後のデザートでした」「味付けが違い過ぎて面白い」など、さまざまな声が上がっています。ところてんの味付けと地域性の不思議について、和文化研究家で日本礼法教授の齊木由香さんに聞きました。

黒蜜をかけたスイーツとしても人気

Q.そもそも、ところてんとはどのような食べ物でしょうか。

齊木さん「ところてんは海藻の天草(てんぐさ)類を煮詰めて寒天質をこし、型に流し込んで、冷やし固めた食品を指します。ところてんの歴史は古く、538年の仏教伝来の頃、中国からの精進料理の伝承に伴い、こんにゃくと共にその製法が伝えられたといわれています。

文献上では、701年に制定された『大宝律令・賦役令(ぶやくりょう)』の中に貢納品として、『心太(こころふと)』が最古の記述として残っています。奈良時代平安時代には、ところてんを扱う店もありましたが、上流階級の間でぜいたく品として、からし酢をかけて食べられていました。室町時代の末ごろになると、世間一般に海藻を食べる文化が浸透し、徐々に庶民にもところてんを食べる文化が広がっていきました。今では、地域によってさまざまな食べ方で親しまれています。

ちなみに『心太』という表記で、現代では『ところてん』と読みます。ところてんが『凝(こご)る(凝固させる)』作業から、『ここる』『こる』と呼ばれるようになり、やがて、『心』の字があてがわれたといわれています。一方、『太』の字は『太い海藻』を意味しています。室町時代までは『心太(こころふと)』と呼ばれていたのですが、後に天草の『天』と合体して『こころてん』へ、江戸時代には『ところてん』へと転じていきました。

そこで、漢字はそのままに『心太=ところてん』になったといわれています」

Q.関東/関西におけるところてんの違いとは。

齊木さん「関東のところてんは『ところ天突き』の網目の大きさで決まりますが、およそ3ミリ×3ミリの正方形に、13センチの長さのところてんが主流とされています。酢じょうゆ(二杯酢)をかけ、その上から、青のりをさっと振りかけ、和がらしを混ぜて箸で食べるのが一般的です。また、食卓のおかずとしても食べられているのが特徴です。

一方で、関西のところてんは関東と同じ形状が主流ですが、甘い黒蜜をかけて、食後のデザートや甘味として好まれています。きな粉や果物などを添えて、あんみつゼリーにも似た『スイーツ』として食べるのが特徴です。こちらも箸でいただきます」

Q.なぜ、違いが生まれたのですか。

齊木さん「先述の通り、ところてんが中国から日本に伝わり、広まり始めた奈良時代から平安時代初期、当初はからし酢をかけ、しょうゆを足す味付けが全国に広がりました。一方で、奈良・京都など当時の都周辺では、中国から輸入された砂糖が貴族の間で流行しており、砂糖を使い、黒蜜で甘みを足す食べ方が生まれました。

黒蜜文化は江戸時代以降も関西にとどまります。砂糖は高価で貴重な物だったため、薬としても使われていました。庶民に広まったのは江戸時代の元禄期に入ってからです。薬の原料を扱う商人は大阪に集中しており、庶民にも甘味の文化が広がりやすかったといえ、黒蜜という食べ方が生まれたのでしょう。

一方、江戸は単身の男性が多く、そばを好むなど“粋”な食文化が発展しました。そこで、甘い味付けよりもさっぱりといただく酢じょうゆのところてん文化が残ったと考えられます」

Q.関東・関西以外の地方の食べ方にも、何らかの違いはみられますか。

齊木さん「ところてんの食べ方は地域によって実にさまざまです。東北では酢じょうゆはもちろんのこと、『しょうがじょうゆ』『みそ』などをかけて食べます。高知県愛媛県では『カツオのだし汁』をかけたり、『めんつゆショウガ』で食べたりします。沖縄県では沖縄産の黒蜜や、泡盛を製造する際に生じたもろみかすをろ過してできる『もろみ酢』をかけます。

長い歴史を持ち、味付けも多様なところてんは、それぞれの地域の食文化を反映しているといえます。地域ごとにさまざまな味付けのところてんを楽しんでみてはいかがでしょうか」

オトナンサー編集部

ところてんはおかずか、スイーツか