世界のあらゆる国に地域感情が存在する。韓国には慶尚道(キョンサンド)と全羅道(チョルラド)の対立があり、政治家が選挙の度に利用する。各地域の文化的な感情と歴史的な性格を理解することは、和合と平和の時代を生きる現代において必要なことかもしれない。

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 それでは、北朝鮮の地域感情や地域住民の性格と文化はどうだろうか。

(過去分は以下をご覧ください)
◎「北朝鮮25時」(https://jbpress.ismedia.jp/search?fulltext=%E9%83%AD+%E6%96%87%E5%AE%8C%EF%BC%9A)

(郭 文完:大韓フィルム映画製作社代表)

 北朝鮮を歴史的に見ると、平安道(ピョンアンド)と咸鏡道(ハムギョンド)、黄海道(ファンヘド)に分けられる。慈江道と両江道は、共同選挙で立候補者を出すために咸鏡道から分割して作られた地域なので咸鏡道と見ていいだろう。また、南と北に分かれている江原道と開城市は、平安道や咸鏡道、黄海道のような地域的な意味合いはほとんどない。

 咸鏡道出身の幹部は高位に出世する人が多い。

 北朝鮮の最高位である元帥の称号を授与された呉振宇(オ・ジンウ)人民武力部長は咸鏡北道の茂山(ムサン)の出身で、護衛司令官を務めた李乙雪(リ・ウルソル)元帥も咸鏡北道の出身だ。北朝鮮の最高権力者の中で咸鏡道出身者が占める位置と影響力を知ることができる例である。

 朝鮮半島の北辺に位置する咸鏡道は、朝鮮時代には過ちを犯した罪人を島流しにする場所だった。険しい山脈が大半で、農業を営む土地が不足するなど、劣悪なことで知られている。

出身地で登用に差が出る北朝鮮の現実

 咸鏡道の人々は「泥田鬪狗」と呼ばれてきた。「泥沼で食いちぎって戦う犬」という意味で、利益のために見苦しい戦いをすることを例えた故事成語である。生活力や団結力で咸鏡道の右に出る地域はなく、一方、生活が苦しいことから頻繁に紛争が起きた地域でもある。

 金日成は生前、咸鏡道出身者が北朝鮮の幹部全体の10%以上を超えないように徹底する“マジノ線”(第一次大戦後、フランスが対ドイツ防衛戦として国境に構築した要塞線)を引いていた。党幹部の人事を主管する中央党組織指導部幹部課の中央党行政幹部に、咸鏡道出身の幹部を制限する内部指針を通達したのだ。通達は今でも有効だが、生活力が強い咸鏡道出身者は、北朝鮮の党幹部の50%を上回っている。

 金日成は、北朝鮮に約200ある郡の中で、咸鏡南道錦野郡には一度も行ったことがないという。朝鮮を建国した太祖・李成桂が生まれた「謀反」の故郷だからである。金日成は咸鏡道にいい感情を持っていなかった。

 平安道と咸鏡道の間には、受け継がれてきた感情がある。中でも、平安道の出身者は咸鏡南道地域に対して悪い認識を持っている。わずか数十年前まで、平安道地域の人と咸鏡道地域の人の結婚もはばかられるほど、悪感情が深かった。

 北朝鮮ではどの地域の出身者が好まれるのか。

 平安道の人々は「猛虎出林」と呼ばれてきた。「荒々しい虎が森から出てくる」という意味で、素早く、猛烈な勢いがある激しい性格を例えている。

 北朝鮮の首都平壌も歴史的には平安道だ。金日成は党や軍の幹部を自身の出身地でもある平安道地域の人を主に登用するよう奨励した。

 主要ポストの候補が複数いる場合、咸鏡道出身者ではなく、平安道出身を任命するのが金日成の人事基準原則だった。平安道出身者を優先した金日成の偏った人事のため、能力のある多くの咸鏡道出身者が失望し、苦杯をなめて歴史の裏に消えた。これは金日成時代に限った話ではなく、現在も続いている。

「石田耕牛」と呼ばれる黄海道出身者

 その点、黄海道の出身者は無難である。黄海道の人々は「石田耕牛」と呼ばれてきた。「石場を行く牛」という意味だ。

 牛に耕運機を引かせて石場を通る時、耕運機の刃が引っかかったからといって無理に引いたり諦めたりせず、続けて引っ張り続ける、黄海道の人々の忍耐を指している。黄海道の人々は、誰かに脇腹をつねられても1分ほど経ってからうめき声を出すとも言われている。

 忍耐力がある一方で鈍感といわれており、北朝鮮幹部の人事基準では無難だとされている。

 江原道の人々は「巌下老仏」と呼ばれてきた。「岩の下の老いたお釈迦様」という意味で、人情深い江原道の人々を指す言葉である。現在、江原道は韓国と北朝鮮に分かれているが、朝鮮半島で人情に厚いとされる江原道出身者は、北朝鮮の党幹部の人事基準で無難だとされている。

 他にも、平壌の人々は面倒なことを先にやらずに顔色を窺って遊ぶことを好むとされ、咸興地域の人々は生き残るために卑劣な行動も辞さず、開城の人々はケチだと言われている。開城の人は利己的で商業的といわれているが、高麗時代の首都だった頃に高麗人参などの商業が発達したことに由来する。

 歴史的な背景に基づく地域住民の性格や文化の評価は正しいとは限らない。必ずしも当てはまるわけではないし、今は変化している。もっとも、北朝鮮政権が内部指針で咸鏡道地域出身者を制限し、平安道地域出身者を奨励する政策を行ってきたのは事実である。

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