お笑いコンビ・雨上がり決死隊宮迫博之蛍原徹による「解散報告会」が8月17日、「アメトーーク!」(ABEMA)にて行われ、32年にわたるコンビ生活を解消することが発表された。

特別編」と銘打ち、ゲストにはお笑いタレント東野幸治出川哲朗ケンドーコバヤシ狩野英孝FUJIWARAといった番組と縁の深い面々が勢ぞろい。雨上がり決死隊の解散報告に始まり、ゲストによる2人に向けたメッセージなどが送られる中、出川と狩野は「アメトーーク!」に対する感謝の言葉を残した。

 当初、蛍原は雨上がり決死隊の解散に伴い、コンビにとって初の冠番組である「アメトーーク!」からも降板するのが筋だと考えていたものの、同番組が「若手芸人にとっての登竜門になっている」とする宮迫の必死な説得もあり、コンビ解散後も放送を継続することが決定。

 リアクション芸をメインの芸風としていた出川は、「アメトーーク!」への出演を機に素の天然な部分が注目され、宮迫からのイジりを感謝。同じく狩野も芸人の新たな魅力を引き出すことに長けた同番組には全ての後輩芸人が恩恵を受けていると語った。

「宮迫が『若手の登竜門』と表現したように、『アメトーーク!』がお笑いの世界に残した功績は大きく、ブレイクアシストされた芸人は枚挙に暇がありません。番組名物『運動神経悪い芸人』では、デキる芸人としてのイメージが強かったフットボールアワー後藤輝基や千原ジュニア、麒麟・川島明らのできなさぶりにスポットが当てられ、意外な運動音痴ぶりが話題に。2008年には電化製品やデジタルガジェットを愛する芸人が集結した『家電芸人』が放送され、土田晃之品川庄司品川祐チュートリアル徳井義実らがマニアックな家電愛を披露。翌年のユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされると、徳井は同企画でのプレゼン力が評価され、パナソニックエディオンといった企業のCMに抜擢されていました」(テレビ誌ライター)

 お笑いタレントの知られざる魅力を発掘しただけでなく、地獄を見た芸人に再起のキッカケをもたらしたことも「アメトーーク!」の功績の一つだろう。

1996年に『進め!電波少年』(日本テレビ系)のヒッチハイク企画で大ブレイクして以降、すぐさま人気が急降下し、地獄を見る毎日だったという有吉弘行もまた『アメトーーク!』に救われた芸人の1人。彼のキャリアを大きく変えたのは2007年8月23日の放送回で、アグレッシブな姿勢で常に前へ前へとガツガツしていた品川祐に対し、『おしゃべりクソ野郎』と命名したところ、これが大ウケ。後に品川も当時のスタジオに『地鳴りのような響き』を感じ、『有吉さんが売れる音がした』と回想するほど、そのあだ名は視聴者の思いをドンピシャで代弁しました。以降、有吉の毒舌なあだ名芸はほかの番組でも求められ、『元気の押し売り(ベッキー)』や『月9バカ(木村拓哉)』『くちびるオバケ(井上和香)』『嘘の限界(小倉優子)』などといった伝説の名付けを連発。加えて、有吉も崇拝する事務所の先輩・ダチョウ倶楽部上島竜兵による会合『竜兵会』の魅力を最初に広めたのも『アメトーーク!』でした」(テレビ誌ライター)

 また、品川祐キングコング・西野亮廣といった“嫌われ芸人”をひたすらイジる企画を放送することで、逆に彼らの芸人としてのタフさにスポットを当てるなどし、他の番組にはない視点から芸人のよさを引き出して見せた。

 出川や狩野だけでなく、様々な芸人にブレイクや再起の機会をもたらした「アメトーーク!」。MCを務めた雨上がり決死隊は袂を分かつこととなったものの、番組だけは続けてほしいと説得した宮迫の判断には、多くの若手芸人が感謝しているに違いない。

(木村慎吾)

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