東京五輪が終わり、パラリンピックが明日から始まる。一方で、デルタ株による新型コロナウイルス感染者の急増で医療崩壊の危機がまた叫ばれている。

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 五輪の数日前でも「中止」してはどうかという見解を披瀝する人やマスコミもあったが、パラリンピック(爾後、パラ)についてはさほど中止の声が聞こえてこない。

 五輪を多くが家庭で楽しみ、街中の人流はかえって減少した。また、選手たちは「バブル方式」で厳重に管理され、危惧された感染者はほとんど出なかった。

 五輪後の感染拡大は五輪と直接的なかかわりはないと分かったからであろう。

 パラでは感染者を出さない一層の努力が行われ、こちらも原則無観客となったが、健常者の戦い以上に観る人に感動や刺激を与えるのではないだろうか。パラもテレビで大いに堪能したい。

オリンピック開催を「主張」した理由

 筆者は、五輪を開催して成功すべきだとくどいくらい主張してきた*1、*2。理由の一つは、オリンピックを目指して全人生をかけたであろう選手の気持ちを忖度し、区切りの機会を与えるというものであった。

 しかし、より大きな理由は民主主義国家対専制主義国家の優位性問題という国家存続の戦略が掛かっているという認識からであった。

 すなわち、東京2020が開催できずに、来年2月の北京冬季五輪が成功すれば、中国が専制主義の優位性を世界に喧伝しまくることが目に見えている。

 そうなれば、ただでさえ一帯一路で恩恵に浴している国家指導者が多い国際社会において、いよいよ世界の大部が中国に靡き、民主主義陣営として取り返しのつかない状況に陥るであろうと危惧した。

 コロナ禍で無観客のうえに選手団は行動の自由などが制約されてしまったが、逆に日本の開催が成功すれば、言論は自由で、人種差別も抑圧もない国家体制の優位性が自然に感得されるに違いない。

 それによって、香港の自由と民主主義を一方的に奪い、またウイグル人の文化・伝統や人種そのものを抹殺するジェノサイドを行う中国の異常な狂気を糾弾する米欧諸国と足並みをそろえて北京冬季五輪をボイコットする理由も成り立つとみたからである。

 もう一つ、最も重要なもので、慣例化している停戦の実行がある。オリンピックパラリンピック期間とその前後1週間は停戦する協定に186か国が賛成している。

 今回は7月23日が五輪の開会、9月5日パラリンピック閉会であるから、7月16日から9月12日までの59日間の休戦である。

 戦後76年も戦争していない日本は、国民のほとんどが戦争の悲惨さを知らない。他方で、大部分の国は戦争の経験があり、幾つかの国や地域では今なお戦争や紛争が続いている。

 そうした状態がわずかに59日とはいえ停戦になればどれほど有難いか分からない。

 五輪開催を主張してきたのにはそうした意味も含んでいたわけである。

*1:元陸将補が問う、五輪反対派の亡国度  求められているのは延期や中止ではなく「大成功」、https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66007

*2:東京五輪を是が非でも開催しなければならない理由  世界に「日本は凄いぞ」と思わせるために一丸となれ、https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65652

成功裏に終わった五輪の開催

 ともあれ、東京2020五輪は終わった。これからはパラが始まる。

 とりあえず前半の五輪期間中、コロナの蔓延は続いたが、世界における混乱らしい混乱は起きなかった。

 何をもって成功とするかは、人それぞれに見方が異なるであろう。無観客で多くの人が臨場感あふれる現場の雰囲気を得る機会を奪われ、また経済的損失も莫大とみる人たちは、失敗とみるかもしれない。

 また、「命よりも五輪が大事か」と詰問していた反日左翼的な、あるいはリベラル的な立場の人たちは五輪開催を「強行」と見なし、またその後のコロナの蔓延も五輪の結果と見て失敗の烙印を躊躇なくおすに違いない。

 しかし、筆者は、一時的にせよ、多くの国民とマスメディアが開催期間の17日はアスリートの戦いを注視し、メダルの量産に沸いた。また、選手同士や選手とボランティアの心温まる友情などに花が咲いた。

 一部の選手がコロナ感染し、また選手村でプレイガイドに反する飲食等の行動をとったことなどが報道されたが、参加選手団の数からは正しく万分の1でとるに足りない。

 選手たちが世界にそして日本の国民に与えた感動は何に比べようもなく大きく、また全体的な管理・運営も整斉としたもので、ミスらしいミスは聞かれなかった。

 開催前まで反対していたメディアをはじめ、各テレビ局もコロナ感染拡大のニュースを伝えながらも、多くの時間をオリンピック放映に使っていたように見受けられた。

 歌手の小林幸子さんが朝日新聞8月9日付朝刊)で「モノクロームな心 選手が色を点けてくれた」という「2020+1に思う」がすべてを表しているようだ。

開催反対から結果を肯定した小林信也氏

 何よりも、不安の中にも練習に練習を重ねてきた選手たちが活躍の場を提供されたことの意義は大きく、各国や派遣された選手団からは、口々に「開いてくれて有難う」という声が聞かれたと多くの新聞をはじめとしたマスコミが報じた。

 さらに、五輪の規模が拡大しすぎて開催に名乗りを上げる都市が少なくなり限定されつつあることから、経費と規模の縮小も大きな課題であった。幸か不幸か「コロナ禍」がその実現を後押しし、簡素化され縮小された。

 同時に、IOC幹部たちの貴族体質が五輪のたびに問題視されながら放置され、選手の命をかけた戦いに乗っかる「IOC貴族」と唾棄気味に語られてきた。

 開催国の日本は言うまでもなく世界全体が苦しみ、沈鬱な気分で被われているなかにあって、IOC幹部たちの貴族的な行動が許されるはずもない。

 今次の開催に当たってはIOCの貴族体質にズバリ踏み込み、優遇を排除するなどの徹底した改善を求め、了解された。

 作家の小林信也氏は「私自身は東京五輪招致に一貫して反対を唱えていた数少ないスポーツライターだ」という。

 その理由は「IOCの腐敗、肥大化したオリンピックの迷走、本来理想とする『平和の祭典』からの逸脱」などからであったという。

 また、震災復興も十分進んでおらず、テロの懸念もあり、さらには不祥事の多発するスポーツ界の改善が急務だったからだともいう。

 1年延期された後は「延期でなく中止すべきではないか」と思うようになる。

 しかし、極度に制約された中での選手たちの練習、組織委員会(当初森喜朗会長、現橋本聖子会長)がIOCに要求し改善した体質*3、また大多数の国が合意している停戦協定の遵守は、東京2020レガシーになりうるとして、開催は有意義と心が変わった経緯を示している(「朝日新聞社説が象徴する五輪反対思考の危うさ」『Hanada』2021年8月号所収)。

 オリンピックは大方の予想に反して盛り上がった。選手に活動の機会を提供したばかりでなく、運営主体のIOCにも改革をもたらしたという意味では、「成功」したと言っていいであろう。

*3:従来、オリンピックファミリーとよばれるIOC関係者たちは五輪期間中、夫婦で高価なホテルに泊まり、専用車が提供されるなどしていたが、今回はホテルのグレードを下げ、専用車はつけない。配偶者やパートナーの同伴も認めない組織委の要求を受け入れた

五輪で本来の在り方を見せた柔道

 今次の五輪で感激した局面は数えきれないほど多々あった。JOC金メダル30個と予測し、最終的には届かなかったが史上最多の27個、また金銀銅合わせたメダル数も58個で最多となった。

 しかし、予測した競技種目からのメダルとは大いに違った種目、端的に言えば、柔道やレスリングをはじめ、水泳やバドミントンなど、従来型の種目でのメダルを予想し、スケートボード、その他からはあまりカウントされていなかったのではないだろうか。

 選手育成に新たな視点、すなわち若年層や新種目への目配りが欠かせないことを痛感させたに違いない。

 そうした中で、筆者に強く印象を与えたのは、技も判定もはっきりしない「Judo」と呼ばれたものから本来の「一本」を目指す「柔道」に回帰したことであった。

 5年前のリオデジャネイロ五輪で復活の気配をみせていたが、今回は本場での開催であり、「勝って奢らず」「負けて挫けず」の所作を選手から感じ取ることができた。

 平成24年から柔道男子日本代表監督の井上康生氏の献身的な指導に負うところが大きい。

 世界に普及する段階では相手の言い分も取り入れる必要があったであろうが、技や礼節が等閑視されるようになってしまった。

 IT技術などが判定に取り入れられ、混乱をきたさないように工夫されているが、基本的な技や礼節が蔑ろにされるようでは本末転倒である。

朝之山は厳しい処分、で白鵬は?

 他方で、国技とも称される大相撲は見るに堪えない状況である。特に横綱白鵬の言動が問題の根底である。

 本場所での取り組みでの批判が絶えないばかりでなく、今次五輪に関連しても、無観客を政府が要請し、関係者以外の入場は許されないところに、白鵬は7月27日日本武道館での柔道を観戦した。

 大関朝之山はコロナ禍で日本相撲協会の禁を破って外出し、接待を伴う飲食を数回行った廉で6場所出場停止、50%減給6か月の懲戒処分を受けた。

 白鵬が犯した禁の内容は朝之山とは異なるが、協会の禁を破った朝之山と、政府の要請を破った白鵬の、どちらが重く問われるべきか、判然としているのではないだろうか。

 また、朝之山は大関という身分ゆえに受けた処分であろうが、横綱という身分はさらに重い。

 五輪は終わったが、白鵬の行状に対する処罰について日本相撲協会からは何ら聞こえてこない。

 看板力士に対して日本相撲協会はあまりに甘すぎる姿勢をとり続けてきた。そうした結果の積み重ねで、取り口も乱れに乱れ、もはや「国技」や「大相撲」の名に値しない状況に成り下がっている。

 ましてや、白鵬は親方になる日もそう遠くないであろうが、どんな力士を育てるというのだろうか。

おわりに:無観客を主張した朝日に甲子園の応援団は矛盾しないのか

 五輪開催に反対した朝日新聞は五輪開幕前の5月、(コロナ禍と猛暑で)国民の命を犠牲にするのかと叫び、開催中止を求めた。開催が決まると、無観客を推奨した。

 しかし、真夏の甲子園では学生たちが密で応援している。五輪はダメで高校野球は良いという論理が立つのだろうか。これにすぎる自己撞着はない。

 本当は五輪がスポーツの祭典であるにもかかわらず、政権にダメージを与え政局にしたいという社論からの訴えではなかったのか。

 国民の命も無観客も炎天も中止のダシに使われただけであったように思えてならない。

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