(柳原 三佳・ノンフィクション作家)

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「Bの頭はスカスカ。一生障害児」

「Bが障害者になったのはお前のせいや。お前が蹴飛ばしたんやろ、投げ飛ばしたんやろ!」

「オマエは異常。オマエ、Bが家に帰ってくると思ってんのか?」

 これらのセリフを見て、いったい何のことかと思われた方も多いでしょう。

 実はこれ、我が子への虐待を疑われた一人の母親・Aさん(当時38)に、大阪府警の刑事が密室の取調べ室で突き付けた言葉の数々です。

「B」というのは、Aさんが長年の不妊治療の末、ようやく授かった男の子の名前です。

 Bくんは生後7カ月のとき、つかまり立ちから後ろへ転倒して後頭部を強打し、それが原因で脳に障害を負いました。

 ところが、頭部に残った症状から「揺さぶられっ子症候群」の疑いがあると判断され、当時一緒にいた母親のAさんに、「Bくんを激しく揺さぶる虐待をしたのではないか?」という疑いがかけられたのです。

子どもと引き離され逮捕、そして実名報道

 生後7カ月のBくんは、まもなく児童相談所に一時保護され、Aさん夫妻の元から姿を消してしまいます。Aさんは、一貫して「私は虐待などしていません。私が少し目を離したすきに、つかまり立ちから転んだだけなんです」と訴えましたが、2018年9月27日、転倒事故から1年1カ月後、「傷害」の容疑で突然逮捕され、以下のような記事で一斉に実名報道されたのです。

〈生後7カ月だった長男に重傷を負わせたとして、大阪府警捜査1課は27日、傷害容疑で母親の無職A容疑者(38)を逮捕した。「つかまり立ちをしていて後方に転倒した」と話し、容疑を否認しているという。

 逮捕容疑は昨年8月23日、自宅マンションで、長男の頭部に強い衝撃を加える何らかの暴行を加え、急性硬膜下血腫などのけがをさせた疑い。

 同課によると、長男を診察した病院が虐待を疑って通報し発覚。同課が複数の医師に鑑定を依頼したところ、目立った外傷はなかったが、交通事故や数メートルの高さから転落したのと同程度の強い衝撃が加わっていたことが分かった。

 A容疑者は夫と長男の3人暮らし。当時夫は出勤して不在だった。長男は知的障害や下半身のまひなどが残る見通しという。同課は育児ストレスなどがあったとみて経緯を調べる。〉(時事通信2018年9月27日付、実際の記事は実名)

「反省して罪を償ってないのに子どもを返せるわけないやろ!」

 逮捕後、Aさんは警察署の中の鉄格子の付いた留置場に入れられました。そして、番号で呼ばれながら、トイレ休憩もないまま、警察官による厳しい取り調べを受けることになったのです。

 Aさんはそのときの悔しさを語ります。

「取り調べにあたった警察官は、私のことを『お前』とか、下の名前で呼び捨てにして、厳しい口調で問い詰めてきました。でも、私は絶対に我が子への虐待などしていないので、徹底的に黙秘しました。そして、弁護士さんから手渡された『被疑者ノート』に、取調べの状況を正確に書き込もうと、警察官に投げかけられた酷い言葉の数々を必死で記憶したのです」

 被疑者ノートには、以下のような信じがたい言葉も記されていました。

「これで家に帰したら、次はBを殺すぞ。反省して罪と向き合って罪を償ってないのにBを返せるわけないやろ!」

 逮捕翌日には、裁判所が勾留を決定、しかし勾留決定に対する異議(準抗告)を出したところ、これが認められて3日後に釈放。その約3カ月後、Aさんは嫌疑不十分で不起訴処分となりました。

 それでも、Bくんの一時保護はなかなか解除されず、自宅に帰って親子3人がそろったのは、不起訴処分からさらに3カ月後のことでした。

 Aさんは振り返ります。

「私の不起訴処分が決まったとき、息子が入所していた乳児院の保育士さんたちは、泣いて喜んでくださいました。結果的に、私たち親子は400日以上も離れ離れの生活を余儀なくされたのです」

 もちろん、Bくんがけがをしたのは事実です。その原因をしっかりと調べるのは大切なことでしょう。しかし、逮捕された後の警察の取り調べは、果たして適切だと言えるのでしょうか。

 大切な我が子にけがをさせ、一番悲しく、辛い思いをしているのは、一緒にいた母親のAさんのはずです。その彼女に対して、冒頭のような言葉で強引に自供を迫るのは、とうてい看過できるものではありません。

取り調べの可視化でえん罪撲滅を

 日本では被疑者の取調べの際、弁護士が立ち会うことは許されておらず、外部から遮断された「密室」において行われています。このため、Aさんが体験したように、捜査官が理不尽な言葉を突き付けてきたり、威圧的な態度をとったりすることが少なくありません。

 その結果、被疑者が精神的に追い詰められ、真実ではないことを無理やり供述させられることがあり、日本ではえん罪事件が多数発生してきました。そして、足利事件、布川事件、厚労省元局長事件など、不当な取調べによって多くの当事者の人生が狂わされてきたのです。

 こうした反省を踏まえ、2016年、刑事訴訟法等の一部が改正され、2019年6月から裁判員裁判対象事件や知的障害、精神障害が疑われる事件について、取調べ時の録画が義務付けられました。しかし、録画の対象となる事件は全事件の3%未満。ほとんどの事件で、録画のないまま取調べが行われているのが現状です。

 そこで、日本弁護士連合会では来たる9月8日、冒頭で紹介したAさんのケースを取り上げ、『取調べの可視化フォーラム』をWEB開催することとなりました。

「私は虐待していない~日常の隣にある密室の取調べ~」
日本弁護士連合会:取調べの可視化フォーラム「私は虐待していない~日常の隣にある密室の取調べ~」【Zoomウェビナー開催】 (https://www.nichibenren.or.jp/event/year/2021/210908.html

 最近、無罪が相次ぎ話題になっている『揺さぶられっ子症候群SBS)』事件は、赤ちゃんを育てる人たち誰もが巻き込まれうる問題です。この身近な傷害事件を取り上げ、取り調べの録音・録画をすべての事件に拡大させる必要性について一緒に考えましょう、というのがその主旨です。

(関連記事)また無罪確定、完全に崩れた「揺さぶられっ子症候群」事件の虚構(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65942

 当日は誤認逮捕されたAさん本人も当事者として登壇し、自ら体験を語る予定です。ちなみに、Aさんの事例は、本フォーラムと同タイトルの拙著『私は虐待していない 検証 揺さぶられっ子症候群』(柳原三佳著、講談社)の第2章で詳しく取り上げています。

 またフォーラムでは、Aさん以外の「揺さぶられっ子症候群」事件のえん罪当事者にもご登場いただき、過酷な取り調べの体験を語っていただく予定です。

 インターネットに接続できる環境があれば、どなたでも視聴可能です。ご興味のある方はぜひご参加ください。

「私は虐待していない~日常の隣にある密室の取調べ~」

■内容:揺さぶられっ子症候群SBS)の考え方に基づいて
        乳幼児に対する虐待が疑われた事件の報告
    パネルディスカッション

■講師:Aさん(本事件の事件当事者)
    陳愛さん(本事件の弁護人/大阪弁護士会)
    工藤杏平さん(弁護士/第一東京弁護士会)
    柳原三佳(ジャーナリスト)

■申し込みフォーム(8月27日まで)
https://form.qooker.jp/Q/auto/ja/kashika/forum/

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*写真はイメージ