韓国の裁判所で裁判が行われる慰安婦関連訴訟に「主権免除(国家免除)」の原則が適用されるのを防ぐ法案が韓国国会で発議された。8月13日、共に民主党の議員ら、21人によって国会に提出された「人身売買等防止及び被害者保護に関する法律改正案」がそれである。

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「主権免除があるので日本政府の責任追及は難しい」の司法判断に怒った韓国市民

 韓国の裁判所は「外国の主権的行為に対しては主権免除が認められ、(民法・商法など)司法的行為に対しては外国の裁判所の管轄に服することを免除される」という「制限的免除論」を取っている。そのため今年4月に、韓国の元従軍慰安婦の李容洙(イ・ヨンス)さんらが日本政府を相手に賠償を求めた裁判で、韓国の最高裁はこの主権免除の原則に従って原告側の訴えを却下し、韓国社会を騒然とさせた。

 というのも、今年の1月、別の元慰安婦らが、やはり日本政府に対して起こした損害賠償訴訟では「慰安婦問題のような重大な人権侵害は強行規範違反に該当するために例外的に主権免除を適用してはならない」という趣旨の原告側勝訴の判決が出ていたからだ。それが一転して、「日本政府の賠償責任を認めない」という判決が出たことに、韓国の世論は反発した。

 そこで出てきたのが今回の改正案だ。該当法案は、人身売買の被害者に対する救助や賠償に関する既存の法案に、たった1つ、次のような条項を加えた。

<人身売買等の全部または一部が、大韓民国の領域で犯したものであるか、その被害者が大韓民国の国民である場合には、外国政府は人身売買等により発生した被害に対する損害賠償の訴訟で、大韓民国の裁判所の裁判権から免除されない>

日本を意識した改正案

 この法案で「外国政府=日本」、「人身売買=慰安婦」を意味するということを、法案を代表発議したチョン・ヨンギ議員は自身のホームページで詳しく説明している。

「今年1月と4月に、裁判所が慰安婦被害者である故ペ・チュンヒさんの遺族や李容洙さんなどが起こした訴訟で、それぞれ異なる判決を下して議論が起こしました。1月の裁判では、日本の反人道的犯罪行為に主権免除を認めませんでしたが、4月の裁判では主権免除が認められ、訴訟が却下される事態となりました。

 主権免除をめぐって相反する判決や決定は、慰安婦被害者の方々の混乱と苦痛をさらに加重させるだけです。被害者の名誉や尊厳を回復できるよう、反人道的犯罪に対する損害賠償の場合、主権免除を認めない内容の改正案を発議しました。

 最後に、今回の法案は慰安婦生存者であり、人権活動家の李容洙さんと一緒に進めた法案です」

 前述のように、今年4月に李容洙さんなど元慰安婦や遺族20人が日本を相手取って起こした損害賠償請求訴訟が「主権免除」を理由に却下された。当時の裁判部は、「現時点で主権免除に関する国際慣習法、最高裁の判例による外国人被告(日本)に対する主権的行為の損賠訴は許されない」と判断したのである。主権国家は他国の裁判管轄権から免除されるという主権免除を日本政府に適用しなければならないという趣旨だった。

 この判決については「日韓関係の破綻を懸念する文在寅政権の負担を減らす判決」という一部の評価もあったが、左派陣営からは「反人権的で反人道的な犯罪行為までが(主権免除の)対象にはなり得ない」(京郷新聞)、「慰安婦問題国際法の形式的枠組みに閉じ込められるのではなく、韓国憲法や国際人権法が最高の価値と宣言している人間の尊厳性に照らして判断しなければならない」(ハンギョレ新聞)などといった強い反発が起こった。今回の法案には、このような左派陣営の意向がそのまま盛り込まれていると見てよいだろう。

 もしも、この法案が国会で可決されれば、これからは慰安婦訴訟で「主権免除」原則を主張して裁判に応じなかった日本政府の戦略は通用しなくなる。日本政府は新たな対応を求められることになるだろう。

「主権免除」排除法案、可決される可能性大

 同じ時期に尹美香(ユン・ミヒャン)議員が共同発議した「慰安婦被害に対する名誉毀損禁止法」(正式名称は「日本軍慰安婦被害者に対する保護・支援および記念事業などに関する法律一部改正案」)は、激しい反対世論で法案が撤回された。慰安婦被害者や遺族だけでなく、慰安婦団体に対する事実に基づいた非難までを名誉毀損で処罰する新設条項によって、「尹美香保護法」というメディアからの揶揄と、元慰安婦の李容洙さんの激しい反発が反対世論を形成したのだ。

(参考)今度は「尹美香保護法」、韓国「暗黒国家化」への暴走止まらず
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66637

 しかし、チョン議員らが発議した「人身売買等防止及び被害者保護に関する法律改正案」は、国民世論やメディアが反対する可能性は低い。李容洙さんが積極的に支持しているという面からも、法案成立の可能性が高いとみられる。

 ただ、法案発議文によると、「同法案の施行日は23年1月1日から」で、文在寅政権以降に先送りしている。一方、裁判所で継続中の裁判に対しても適用されると規定しており、一審で却下判定を受けた李容洙さんらが提起する今後の裁判にも適用される可能性が高い。

尹美香議員、「米軍慰安婦」真相究明法案を提出

 一方、李容洙さんと敵同士になってしまった尹美香議員は、共に民主党議員らとともに、在韓米軍を相手に売春を業としてきた風俗女性ら(米軍慰安婦)の人権侵害に対する真相究明や被害者支援策を整える法案を作成し、昨年12月に国会に提出した(「米軍慰安婦問題に対する真相究明及び被害者支援等に関する法律案」)。

 韓国内では、在韓米軍を対象とする風俗女性の募集や管理などに韓国政府が介入したという疑惑が女性団体を中心に提起されており、韓国政府には補償と真相究明を、米国政府には謝罪を求めている。2014年には米軍慰安婦らが韓国政府を相手取った損害賠償訴訟が始まり、2018年には一部原告勝訴の判決が下されたこともあったが、韓国政府は現在も国家の介入を公式に認めていない。

 しかし、尹美香議員をはじめとする与党議員らは、米軍慰安婦問題を「既成事実」化し、韓国政府に被害補償を義務付ける法案を発議したのだ。法案の具体的な内容は、韓国政府の女性家族部長官の下に「米軍慰安婦問題真相究明委員会」を設置し、過去(1945年~2004年9月)、国の安全保障を名分に人権被害を受けた米軍基地村の風俗女性やその遺族らに対する真相を調査し、被害女性及びその遺族が安定した生活を維持できる医療支援及び生活費支援、住宅支援などが行われるよう法的根拠を設けることを骨子としている。

 一方で、国や地方自治体には、被害者などに関する慰労・追慕や歴史館・資料館の建設などの記念事業の施行を義務付けていて、被害者などで構成された団体または米軍慰安婦問題研究団体などに対し、政府が必要経費を支援するように定めている。

 同法が無事国会で可決されれば、尹美香議員や彼女が理事長を務めていた正義連(日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)は、日本軍慰安婦問題以上に、この新しい慰安婦運動に邁進すると見られる。

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