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音楽の仕事に携わる映像作家たちに焦点を当てる「映像で音楽を奏でる人々」。今回はクリエイティブチームPERIMETRONに所属する佐々木集に話を聞いた。

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佐々木は、常田大希(King Gnumillennium parade)が主宰するPERIMETRONに2016年に加入。以降、ミュージックビデオだけでなくアーティスト写真ジャケットなどさまざまな形でその手腕を発揮している。特殊なのは、作品やプロジェクトに関わる際のスタンスだ。プロデューサー、ディレクター、クリエイティブディレクターなど肩書きは多岐にわたり、millennium paradeではアジテーターとしてもステージに立つ。

過去に映像を学んでこなかったという彼だが、PERIMETRON加入までに積み上げたキャリアは20代のものとは思えない濃密なものだ。自分が本気になることを追求する中で、自然にクリエイターとして映像の世界に関わっていたという佐々木。このインタビューでは自身の経歴を振り返ってもらい、PERIMETRONとしてのスタンスや今後の展望などを聞いた。

取材・文 / 中野明子 撮影 / フジイセイヤ

高校を辞め、18歳でベースを担いでロンドンへ

母がもともと映画好きで、子供の頃に地元にある京都みなみ会館というミニシアター系の映画館によく連れて行ってくれたんです。それをきっかけに映画にも興味を持って、中学時代から映画を観まくっていましたね。ジャンルは関係なく、地元のレンタルショップに行ってジャケットが面白いと思ったものはとりあえず借りるみたいな。10代のときにそうやって映画にのめり込んでいきました。

一応高校に進学したんですが、入学しても辞めることを前提で、辞めてから何をするのかを考えていましたね。ただ、何か1つでも秀でたスキルがないと将来的に生きづらそうとは思っていて。もともと海外で生活したいという漠然とした目標もあったので、バイトで貯めたお金でアメリカに映画を学びに行くか、中2からベースを弾いていたのでイギリスに音楽をやりに行くか考えたんです。で、経済的な理由でイギリスのワーキングホリデーを選びました。18歳でロンドンに行ってからは4カ月くらい語学学校に通って、並行して就活もしてました。でも当時は英語がままならなくて全滅。じり貧になりすぎて、1カ月くらい毎日食パンで生活してました。そんな状況でしたけど、すでにロンドンでバンドのコミュニティもできていたし、帰国したいとはまったく思わなかった。結局レストランで働くことになって、昼間はそこで働いて、夜はライブするみたいな生活をしてました。

将来に対する不安はなかったんですよね。イギリスに行ったときも2年間あれば基本的な英語は学べるだろうと。当時は英語力があればとりあえずどうにかなると思っていたので。勉強以外の時間はやりたいこととお金を稼ぐことに使おうと思って。イギリスではバンドに加入して、今はこれを全力でやろうと思って、年間50本くらいライブをしてましたね。漠然とアーティストビザを取れたらいいなと思ってたんですけど、申請ができないことがわかって帰国することにしたんです。で、地元の京都に戻るのではなく、東京に行こうかと。当時から興味があることを1回やってみて、ダメだったら次はこうしようみたいな軌道修正は早いです。

PERIMETRON加入につながった「have no ideas」時代

服が好きだったのと、漠然と東京の中心で働けば友達ができるかなーって思いがあったから、原宿をぷらっと散歩してみたんです。そしたら京都にいたときから知ってたブランドの路面店があって。「雇ってもらえませんか?」とスタッフに直談判して面接で代表と会ったら、その人がめちゃめちゃロンドン好きで、面接のはずが2時間くらいの談笑になったんです。その場で「お前、採用!」と言われて、そこで働き始めました。それが20歳くらい。とりあえず好きなものや影響を受けたものに素直にのめり込むという姿勢に関しては自分でも誠実だと思っていて。それが全部つながって今に至る気がします。

アパレルショップで働きながら、21歳くらいのときにイベントのオーガナイズをやり始めました。原宿で働く中で同世代のコミュニティも生まれ出して、そこを盛り上げたいという気持ちもあり、周りに「DJできない?」「絵を描いてるならライブペイントやろうよ」とか提案していったら、とんでもなくカオティックなイベントが生まれたんです(笑)。 DJあり、バンドのライブあり、ダンスのショーケースあり、その場でシルクスクリーンを刷ってグッズを売る企画あり……そんなイベントを1回開催したあとに面白いから続けようということになった。それで当時イベントの名前を付けようということになって付けたのが「have no ideas」。いろんな要素をぶち込んだイベントなのに「have no ideas(全然わかりません)」っていうタイトルなところが皮肉っぽいというか、何もわからないからこんなカオスなことをやってると自負してるほうが僕の好きな無邪気さだなと。

でも23歳になる手前くらいに、当時働いていた店舗を閉める話が出たんです。それをきっかけにフリーランスになりました。何をやるのか具体的に決めてなかったんですが、そのときはイベントを企画することに興味があって、自分のいるチームだったらいろんなことができるんじゃないかと思って。あるとき知人に紹介してもらった広告代理店の人からタバコ産業のコンテンツを作らないかという話を受けて、「どうやったら若者が特定の場所に来てくれるか」といったオーダーに対して、アイデアを提案していました。ティザーなんかも作ったりして、その仕事を1年半くらいやったのかな。同時期に表参道COMMUNE246の前にあるTOBACCO STANDというタバコ屋で週3くらい働いてました。タバコ屋の店頭に立ちつつ、イベントをやる中で出会ったのが(常田)大希。僕が企画したイベントに声をかけたことがきっかけで、PERIMETRONに誘われました。

役職とか肩書きに興味はない

PERIMETRONに誘われた理由は、ぶっちゃけわからないんですよね。自分発信で企画を立てて、何かやろうよっていろんな人を誘ってたんで、なんでもできるだろうと思ったんでしょうね(笑)。一緒に加入したOSRINからは「集はプロデュースとかできるから映像のプロデューサーもやりなよ」と言われたんで、最初はとりあえずプロデューサーになるか、というくらいでした。当時からあんまり肩書きに興味がないんです。

初めて世に出た商業的な映像作品はFILAのトレイラー映像だと思います。以前働いていたアパレルショップの社長から、期間限定のFILAのポップアップショップを日本に何店舗か同時に作りたいから店舗マネジメントの統括をやってほしいと依頼を受けて。当時はPERIMETRONをどうやって動かしていくか考えている時期だったので、思い付きで「今のうちに映像を撮って、それを本国のチームが来たタイミングで見せてみよう。よかったら公式認定もらえるんじゃない?」ってメンバーに提案したんですよ。要は作品撮りですね。店舗にFILAの商品やサンプルがあったので、モデルに着てもらって、1本映像を撮ったんです。それをスタッフに見せたら、FILAの公式マークを付けていいよと言ってくれて。

初めて関わったMVはKing Gnuの「Vinyl」。あとに撮影した「Tokyo Rendez-Vous」のほうが先に世に出たので、時系列がちょっとズレちゃうんですけど。「Vinyl」を撮っていた頃のことはがむしゃらだったのであまり覚えていないんです。ただ当時、ディレクターのOSRINのトーンが「Vinyl」という曲に対して暗いと感じたのは覚えています。いわゆるじっとりした日本的な暗さがあるなと思って。制作初期にOSRINと「もっとキャッチーに、もっとポップにいこうよ」と話し合った気がしますね。「じゃあポップって何?」と聞かれたから、例えばこういうビデオ、こういう映画ってサンプルを出して。技術的に映像を勉強していたわけじゃないけど、中学生の頃から映画を観ていて、自分の中に引き出しはあると思っていたのでそうやって方向性を決めていきました。

話し合いの純度を重視するPERIMETRONの制作手法

PERIMETRONとほかとの違いの1つは、話し合いの純度の高さ。近しい関係であれば「なんでこの曲を作ったの?」とか「なんでこういうことを言ってるの?」とか友達のような距離感で聞いて、その言葉を作品に反映していくことができる。それは大切なことだと思っています。何度か仲間以外のMVに携わる中で感じたのが、アーティストから直に意見を聞くタイミングが少ないこと。それで本当にそのアーティストのことがわかるのかなって思う。ミーティングを数回やっただけで、その人の好みはわからないだろうし、一度深い話をするか、例えば飲みにでも行ってベロベロにならなきゃ本音を話せない人もいるんじゃないかと僕は考えてるんです。それはいわゆるエコな方法ではないと思うんですけど、そのアーティストと一緒に仕事をするのは一度きりの可能性もあるわけで。だったらコミュニケーションを大切にして、両者とも納得のいくものを作りたいですよね。当たり前と言えば当たり前のことなんですけど。

PERIMETRONのスタッフはそれぞれ歩んできた道がまったく違うから、多角的な意見を交わすことができる。僕の場合、短い期間とはいえ音楽を本気でやっていた時期があったから、音の体感的な部分で意見を言ったり。映像の世界だけで生きていたら培われてこなかった感覚を持っている分、いろんな視点から意見を出すことができる。初期のKing GnuのMVを作っていたとき、カットの頭が曲のリズムに対して合ってないことがあって、大希とOSRINでデスクを囲んで調整していると実際に大希に指示された部分を変えて、改めて映像を観たときにリズムの感じ方が体感的に変わっていたんです。波形で流れている音に合う演出って絶対に存在するんです。MVの中でストーリーを描くのはもちろん好きなんですけど、その要素を曲のどこのタイミングに刺すか、どの音に合わせるかみたいなことをしっかり考えたほうがいいと思ってます。

純粋にクリエイションに向き合った「THE MILLENNIUM PARADE」

今年2月にリリースしたmillennium paradeの1stアルバムのタイトルについては、大希や森洸大と早い段階から話をしていましたね。セルフタイトルは通常1stアルバムか最後のアルバムだと思うのですが、出す時期に世界がいろんな側面で分断されている状態だったので、自分たちが発信するものがポジティブであり、多種多様な人がいることを肯定していることを誇示するタイミングじゃないかということになって。それがmillennium paradeの筋なのであれば、セルフタイトルの「THE MILLENNIUM PARADE」がいいんじゃないかと思ったんです。

アルバムのアートワークは「手筒花火ってすごく美しいよね」というジャストアイデアから派生して、自分たちが置かれている状況や時勢を結び付けて、夜な夜な議論して作っていきました。花火というのがそもそも死者への弔いの意味があるので、アルバム自体のコンセプトである「失われた者への弔いと、新しく生まれることへの祝い」を表現することや、今の時代にぴったりなんじゃないかということにもなったんです。もともと僕は鬼のモチーフを多用していたんですが、鬼というのはそもそも“おぬ(隠)”というこの世に存在しないものから派生して、鬼と呼ばれるようになったという話もあって。匿名的な存在が花火を打ち上げているという姿が、承認欲求的な誇示ではなく、本当に伝えたいことをしているんでないかということにもつながったんです。それ以外にも洸大が色々と深いとこまで考えてくれていたり、みんな自分が腑に落ちないと動けないので、1個1個細かく決めていきました。

アルバムを出したあとの手応えは、正直今はなくて……ただ、反響を見て自分たちがいいと思うものを表現したことを受け取ってくれる人たちがこんなにもいるんだということは感じました。ここ最近はどちらかというとポップさやキャッチーさを意識した、大衆性を意識して作品を作っていたけれど、「THE MILLENNIUM PARADE」に関しては純粋にクリエイションに向き合って作れたのでうれしかったです。音楽に関しては周りにいるトッププレイヤーたちが絶対的にいいものを完成させてくれる自信があるので、普通のバンドだったらやりづらい音楽以外の側面のことを僕らならではのアプローチを考えるようにしていきたいなと。

「Bon Dance」に込めた祈り

millennium parade「Bon Dance」のMVは当初今年の2月頃完成予定だったんですが、納得するまで詰めたいという理由から公開が遅れてしまって。周りに無理を言って延ばした結果、公開がお盆の時期になったんです。

「THE MILLENNIUM PARADE」のコンセプトである「失われた者への弔いと、新しく生まれることへの祝い」に一番近い曲が「Bon Dance」なんです。コロナ禍の影響でどんどん文化や街が持つ空気感が失われる中、弔妖怪たちが渋谷に集まって祭りをする姿を通してそれを表現できたらと思って。さまざまな文化が一堂に会してお祭りをしているところに、奇しくも出会っちゃった少年少女というイメージ。大変だったのは、歩くモブ妖怪を描くカット。ミレパの前CG作はストーリーの主人公に焦点を当てて、その行動を追っていくといった感じだったんですが、今回は登場する妖怪のすべてが重要な作品だったので、彼らの存在が“嘘”にならないようなモーションに苦戦しました。

「Bon Dance」のMVはこれまで発表してきた作品に比べて毒っ気は薄いかもしれないけれど、子供も観ていて面白いポイントがあるので、家族で観る作品になってくれるとうれしいです。MVのキーになっている小鬼の存在も可愛らしいですし(笑)。着手したのが去年の秋くらいで、その頃もコロナで世界が同時にネガティブな方向に進んでいたので、その時期に公開するものを悲観的なものにしたくないと思ったんです。ポジティブな、めでたい映像にしたかった。自分たちが作る作品を社会と切り離したくはないので、制作において社会性や時代性というものは常に意識しないといけないと思ってます。受け取った人の気持ちとか、置かれている状況をしっかり考えないといけない。20代前半の頃に作っていたものは衝動的な部分もありましたが、今は作品の本質を見てもらえるように、広い視点でいろんな角度で考えるようになりましたし、その意識を大事にしています。

仕事に対する意識を変えた「あびばのんのん」

映画「竜とそばかすの姫」のメインテーマ「U」のMVに関しては、PERIMETRONがイチから作ったものではない作品なので、そこに色を付けすぎたくないというのが作るうえで一番大きなポイントでした。普段MVを作ってる僕らだからこそできることは、音の体感性を表現することだろうと。「U」が高揚感のある、今から一歩を踏み出すという強い意志が込められた曲に感じたので、映画の中で一番胸が高まる瞬間だったり、ワクワク、ハラハラしたりするところと重ね合わせることができるなと思いながら、ディレクターで入ったMargtと作っていきました。

先日公開されたTempalayの「あびばのんのん」のMVもこだわりましたね。土屋萌児さん、水江未来さんという2人のアニメーターを含む少人数体制で取りかかったんですが、コロナ禍なので一度も顔を合わせることなくZoomやメールのやり取りだけで完成させたんです。でも有意義な打ち合わせの時間を持つことができて、みんなの熱が高ければ、会わなくてもクオリティの高いものができるんだと痛感しました。そこは従来のPERIMETRON作品の制作手法と違いました。それと「Bon Dance」とは逆にすごく短い時間でMVを作らなくちゃいけなかったんです。それでも自分としてベストなものを作ることができたので、仕事の仕方を考え直さなきゃいけないなとは思いました(笑)。

Tempalay「そなちね」で手にした自信

MVの役割がアーティストの曲をプロモーションするものであるという部分は今も昔も変わってないと思います。以前はアーティストの顔を見せることを重視していたところがあったと思うけど、今はあえてアーティストを登場させない作品も多くなってきた気がします。やっぱりアーティストの存在というのは強いんですよ。その人を登場させることで、逆に作品の中で伝えたいことが伝わらないこともある。だからアーティストが出たほうがいいと思ったときにはしっかり出すし、違う見せ方をしたほうが人の心に強く残るものになるだろうと感じたらアーティストを極力意識させない。都度俯瞰しながら判断しています。

今はMVが消費されていくスピードと、自分たちのスタンスが合っていないと感じていて、今後どういう方法でPERIMETRONを動かしていくべきか考えている時期なんです。MVを作っても、発表して時が経ったら忘れられて、また新しいものが世に出ていく……そういう流れを僕は本当によく思っていなくて。そうならないように、millennium paradeのMVは後にいろんなコンテンツにできるよう、それぞれ世界観を変えて作っているつもりです。「Fly with me」はいつか続きを作れたらいいし、「Philip」はいつかマンガになったらいいし……作品にサスティナビリティみたいなものが出てきてほしいんですよね。そのために企画段階でいろいろ設定を考えるようにしてます。そうすることでMVに深みが生まれるだろうし、土台があれば続きも描くことができる。

ターニングポイントになったMVを1つだけ挙げるならTempalayの「そなちね」かな。最初からストーリーを僕に書かせてほしいとバンド側に伝えて作らせてもらいました。Tempalayの(小原)綾斗に構成段階の演出を見せて彼のアドバイスも取り入れて、僕が考えた全体の構成に対して現場でOSRINがカメラマンに「こういうアングルで撮ってください」と演出を付けていくみたいな感じで撮ったんです。そのときに今まで明文化されていなかった僕とOSRINの立ち位置がわかったし、こういうストーリーを書けるんだとちょっとした自信にもなった。カラっとした夏の空の風景なのに、どこか不気味な空気が漂っている感じ。そういう風景は日本独自のものだと思うんですが、あの感じがすごく好きなんですよ。そういう風景を撮りたいと思って作った作品です。

初めて曲を聴いたときの“色”にこだわり、細部までカットを決める

PERIMETRONの作品では初期からクレジットを入れるようにしています。というのも、予算も潤沢にない中で手伝ってくれている人がたくさんいるので、何かできることがないかと考えたら名前を載せるくらいしかできなかった。僕らのような職種の人間は本来表に出てくるようなタイプではないけど、PERIMETRONというブランドが成立しているのはいろんな人の力があるからこそ。そもそも大希自体が裏方の人間を“裏方”だと思っていないからというのもあるでしょうね。そこで僕らが作品に関わってくれた人に恩返しできるのは、「この作品に参加しているのはこの人たちですよ」と表明することなんじゃないかと。90年代2000年代前半に比べてMVが作品的な観られ方をするようになったし、スマホが欠かせない今の生活様式にはMVくらいの長さの映像作品がフィットすると思うんです。だから短編の映像作品としての意思表明としてもクレジットはあったほうがいいと考えています。

MVを作るときに大切にしていることは……初めて曲を聴いたときの第一印象というか“色”ですね。その色は最後まで頭の中に残しておきたいと思っているし、それに応じて構成を考えるようにしています。僕の場合、そんなにアイデアがスパンスパンと出てくるようなタイプではなくて、頭とラストが決まるまで時間がかかるんですよ。それが決まってからは、ディレクションする作品については頭から1カットずつ書いていくようにしています。構成に関して細かいところまで見えていないのが嫌というのもあるんですが、僕は大まかに考えておけばあとは現場でなんとなくうまくいくタイプではないので。基本的には細部までちゃんと決めたものじゃないと現場のチームには見せたくないんです。

「やりたいことをやる」「いいものを作る」だけ

“PERIMETRONらしさ”みたいな話はあまり仲間内でしてないんですよね、意外と。それぞれチームとしての色や特徴は考えているけどまだ明文化されていない部分で。Mr.ChildrenのようにジャケットもMVもアーティスト写真もPERIMETRONで作るような、トータルでアートワークに関わるプロジェクトが多くなっていく中で、先ほども話した通りメンバーの得意分野がそれぞれ違う分、多岐にわたって情報を詰め込めるのが武器になっているのかなと感じています。何か1つの形に固執しない柔軟な部分……プロジェクトに応じてアメーバのようにチームの形を変えられるところが“らしさ”なのかな。関わるアーティストのエッセンスを吸収しつつ、自分たちの色でアウトプットしていく……PERIMETRONのサイトのトップページに登場する顔のグラフィックのようにいろんな表情が回っている、あの形がチームの色になりつつある気がしています。

将来的な話ですが、僕自身は街や環境、場所を作りたいと思っていて。地元の人と共存しつつもデザインが施された街や商店街とか、異世界に来たようで面白そうだし。テーマパーク的なんだけどリアルという環境っていうんですかね、そういうものに魅力を感じる。自分たちと近しい考え方だったりとか、作品を好きでいてくれる人たちがその街で自発的に暮らして、人生を終えるみたいな、MVの世界の中に住人が生まれるようなことをいつかできればいいなと思っているんです。というか、街を作る以外にもやりたいことがたくさんあるんですよ。でも1人ではできないから、みんなに手を借りながらできればと思ってます。

もちろん海外展開も考えてはいるんですが、主軸を移すことは今は考えていないですね。目標としてはありつつ、あまりそれにとらわれたくないというか。海外でも国内でも両者側からいいとされるものを作っていかないとと思ってます。日本は独特の風景とか文化とか、システマチックというかコンビニエンスなところだったり、ホスピタリティだったり、いいところがたくさんあると思うのでそういうところを作品で表現したいんです。

やりたいことをやる。いいものを作る。自分の考えていることを伝える……やってることはただそれだけなんです。そうなってくると、いよいよ肩書きがわからなくなってきますね(笑)。

佐々木集が影響を受けた映像作品

映画「ファンタジア」(1940年)

まさに音と映像が合っている作品ですね。例えば1つのストリングの音に対して、妖精の粉の動きがぴったり合っていたり……すごいですよね。これだけデジタル化が進んでも、戦時中の1940年に作られた作品に追いついていない悔しさもあるし、僕らの世代で超えるものを作らないとみんなあの体験をするために「ファンタジア」までさかのぼらなきゃいけないのかと。

映画「バタフライ・エフェクト」(2004年)

中学のときに観て、脚本的な部分ですごく感動しました。予算がかかっているわけではないのに、構成と展開であれだけ見せられるというのが印象的で、終始ずっと没入させられました。そういう意味では、クリストファー・ノーランの「メメント」(2000年公開)もすごかった。実は「メメント」がノーラン監督作品だと知らずに観てたんですが、「インセプション」(2010年公開)、「インターステラー」(2014年公開)と自分が本当に好きな映画がノーラン作品だと知ったときに「この人、怖っ」と思いましたね。しかも「メメント」を撮った人が、20年後に「テネット」を作ってて。クオリティももちろん上がっていて、ここまで食らわせられる作品を20年経っても作ってると考えたら、あまりのストイックさに吐きそうになりました。

「バタフライ・エフェクト」予告編

佐々木集(millennium parade、PERIMETRON)