―[貧困東大生・布施川天馬]―


 現役東大生の布施川天馬と申します。学生生活の傍ら、ライターとして受験に関する情報発信などをしています。

◆東大生が「論破ブーム」に抱く違和感

 皆さんは日常の中で「論破」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか? 最近ではYouTubeのみならず、テレビ番組などでもこの言葉が取り上げられています。

 こうした番組では「論破=相手の意見を封殺して倒すこと」と思われているようです。

 ですが、実はこの「論破」の用法は間違っています。

 これは論破ではありません。ただのいじめやマウンティングです。

◆適切な議論が行われていないなら…

 なぜなら、これらの「論破」は、議論という重要なプロセスを経ていないからです。議論を経て、相手の説を破ることを論破というのであって、適切な議論がなされていないなら、それは「ただの子供のケンカ」と呼ぶのが相応しいでしょう。

 東大生はこのような間違った「論破」をしません。それは、大学の授業やゼミナールなどで、議論について徹底的に学ばされるためです。一方的に相手の意見を封殺することは、議論ではないということを知っています。

 今回はYouTubeテレビにはびこる「間違った論破」についてお伝えします。

◆議論のゴールは「相手に勝つこと」ではない

 そもそも、議論とはただの口げんかのことではありません。反対意見を持った人たちが集まれば、自然と議論になるわけではないのです。

 議論とは、異なる意見を持った人々同士が話し合いを経て、双方の妥協点を探っていくこと。議論のゴールは「相手に勝つこと」ではありません。あくまで「お互いに納得すること」です。

 なので、どちらかが明らかにおかしいことを言っている場合には、議論が成立しません。

 たとえば、どちらか一方が「1+1=3である」というような、明らかに間違ったことを言っている場合、これは議論にならないわけです。

◆お互いの合意を得るためにやるべきこと

 また、一方的に相手方の意見を批判して、強制的に試合終了とするのもまた議論ではありません。相手方との対話、話し合いという議論の本質を無視する行為だからです。

 議論をする場合、必ず「双方ともに」それぞれの利点や批判点、それに対する反論を行うことが必要になります。これは議論をフェアに進行していくためです。

 両者がともにいい点、悪い点を比較、検討することで、最終的なお互いの合意を得ることができます。

◆間違った「論破」はただのマウンティング

 なぜここまで「双方の合意」とか「妥協」とかにこだわるのかといえば、それは後々に争いの種を残さないようにするためだと僕は考えています。

 議論は仲が悪くならないようにしつつ、意見対立を解決するための極めて賢い方法なのです。

 一方で、自分の意見を無理やり通すという誤った「論破」をしてしまうと、必ず「意見が通らなかった人」に何かしらの不満が残ります。

 僕には世間で言われている「論破」がまるでかっこいいものだという印象がついているように見えます。ですが、これは生産性がないだけでなく、当人同士の仲を悪化させる愚かな行為です。

 ですから、友人や会社の同僚、パートナーなどとの話し合いですぐに「論破」をしたがる人は要注意といえます。

 この「論破」は、ゆくゆく人間関係のトラブルにつながるためです。

◆「一方的」な時点で議論は成立していない

 自分の説のいいところと、相手の説の悪いところだけを並べても、「ハイ、論破」とはなりません。

 なぜなら、議論の相手は「自分の意見が正しい」という思いだからです。なので、一方的に終わらせようとしても、相手から「おいおい、待ってくれよ。俺の意見も聞いてくれ」と反論が来るでしょう。

 逆にこのような一方的な「論破」が成立するなら、「相手が反論していないだけ」ということになります。

◆論破には何の価値もない理由

「論破」に成功するということは、別に「議論に勝っている」わけではありません。議論以外に、「反論ができなくなるような何か」があり、そのせいで反論していないだけなのです。

「議論以外の点」とは、たとえば、「相手との身分差(上司と部下など)」や「気の強さ」や「体の大きさ」などがあげられます。

 たまに「ぼったくりバーで相手の言い分がめちゃくちゃなのに、反論もせず代金を払ってしまった」という失敗談を聞きます。

 このシチュエーションは「論破」の説明にぴったりです。ここで反論しなかったのは、反論できなかったわけではなく、相手が怖くて反論できなかったからですよね。

◆言葉でのコミュニケーションを拒否した蛮行

 結局、やっていることの本質は野生の動物と変わりません。威嚇して自分の強さをアピールし、言葉というコミュニケーションツールを自ら放棄しているのですから、とてもばかばかしい行いです。

 残念ながら、いくら他人を「論破」しても、それは「自分は頭がいい」というアピールにはなりません。

 むしろ、将来的な人間関係の悪化を招くので、とても頭が悪い方法です。

◆「論破」なんかに手間や時間を費やしてはいけない

 つまり「自分は性格が悪いよ!」と明かしているようなものですから、周りからどんどん人が離れていきます。最終的にはひとりぼっちになってしまいますが、きっとそのときには「孤高の論破王」として名を馳せているのではないでしょうか?

 こんなつまらないことをしても、一時的に優越感が満たされるだけです。何の意味もありませんし、むしろ失うもののほうがずっと大きい。

 ちまたでは「論破」ブームが続いているようですが、そんな愚かなことに時間を費やすよりも、友人とお互いに歩み寄りながら関係を構築したほうが、ずっと「頭がよい人生」を送れるのではないでしょうか。

【布施川天馬】
1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある(Twitterアカウント:@Temma_Fusegawa

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