(藤 和彦:経済産業研究所コンサルティング・フェロー)

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 中国の習近平指導部はこのところインターネット企業や営利目的の教育産業、不動産市場など広範な分野で締め付けを強めている。

 中国の8月のサービス業の景況感は、新型コロナウイルスの感染再拡大による移動制限などで大幅に悪化したとされているが、政府の締め付けによる悪影響も排除できない。

 政府の締め付けの強化について、データの海外流出の防止、貧困格差の解消などの理由が挙げられているが、一連の動きの背景にある中国政府の思惑は明らかになっていない。中国の経済学者たちも政府の締め付けについてのコメントを控えている。

 中国政府はなぜ経済の締め付けを強化しているのだろうか。

製造業が苦境で「脱虚向実」を再開

 中国ウォッチャーの間では、中国政府が2017年に打ち出したスローガンに注目が集まっている。そのスローガンとは「脱虚向実」のことだ。「政策を通じて実体の伴わない業界を排除する」という意味である。2017年当時の標的は不動産業界だった。中国政府は、資金が実物投資に回らずリスクの高い金融資産投資に投じられることを「脱実向虚(実体経済から脱し、非実体経済へと向かう)」と非難し、不動産バブルを抑制するための金融市場への規制強化を開始した。

 人民日報は2019年9月の評論記事で「製造業こそが実体経済である。すべての経済資源を製造業に投じるべきで、中国経済における『脱実向虚』という現象を正さなければならない」と主張した。実体経済の弱体化による産業の空洞化が失業問題の悪化と所得格差の拡大の元凶となる、との認識からだ。

 その後、新型コロナウイルスパンデミックで「脱虚向実」が唱えられることが少なくなったが、中国政府が「脱虚向実」を再開したのは製造業の苦境が念頭にある。

 8月の中国の生産者物価は前年比9.5%増と2008年9月以来の高い伸びとなった。中国の製造業は現在コスト増に悩んでいることが浮き彫りになったが、8月の消費者物価は前年比0.8%にとどまっており、コスト上昇分を転嫁できない状態にある。

 コスト増の第1の要因は原材料コストの上昇だ。輸入される原油や非鉄金属などの資源価格は10年ぶりの高値となっている。

 中国政府は9月9日、国内製油所のコスト高騰圧力を緩和するため、国家が運営する戦略原油備蓄を市場に放出すると発表した。史上初である。放出の規模は明らかになっていないが、2日分の原油輸入量に相当する約2200万バレルだとされている。だが原油価格が下落することはなかった。

 輸送コストの高騰も頭が痛い。今年(2021年)4月以降、コンテナ不足などが原因で国際貨物の運賃が2019年と比べて5倍になっている。

 米国との関係が悪化したことで「技術ただ乗り」ができなくなったことも災いしているが、何より心配なのは人件費の持続的な上昇だ。「世界の工場」を武器に世界第2位の経済大国にのし上がった中国だが、2014年をピークに生産年齢人口(15~64歳)の減少傾向が続いている。

 中国の若者が製造業に就職したくないという事情もある。地方の中小都市や農村の若者たちは親の世代のように厳しく管理されている工場で重労働したくないのだ。高学歴化がホワイトカラー志向を助長しているとの側面もある。

 中国政府が製造業の今後に不安を抱いており、今回の「脱虚向実」は製造業の人件費を引き下げるために、重要ではないと判断する分野の労働力を製造業にシフトさせることが主な狙いだというわけだ。強権的な手法を用いて経営難に陥らせ、従業員を解雇せざるを得ない状況に追い込むという、いかにも中国共産党的な荒っぽいやり方だ。

望ましくない産業の労働力を製造業へ

 1人当たりのGDPが上昇している中国ではサービス業が雇用の受け皿となっている。しかし政府のサービス業に対する姿勢は厳しい。

 受験競争の激化で急成長した学習塾業界では1000万人もの人たちが働いていたが、中国政府の弾圧とも言える政策で壊滅的な打撃を被った。学習塾業界では8月末までに16万社が倒産したと言われている。

 中国政府にも言い分はある。中国の少子化は大変深刻な状況だ。2015年に「1人っ子政策」は廃止されたが、その後も少子化の流れは加速するばかりだ。1950年代から60年代にかけての中国では、毛沢東の号令を受けて1組の夫婦が5~6人の子どもを出産するのは当たり前だった。だが政府の号令に従う国民はほとんどいない。現在の中国では不動産価格や教育費の高騰などの影響で「子どもは1人で十分」という認識が広く定着しており、教育費の負担を軽減して多くの子どもを産ませることが至上命題である中国政府にとって、高額な授業料を求める学習塾業界は「獅子身中の虫」なのだ。

 コロナ禍の影響で急拡大したフードデリバリー業界も中国政府にとって疎ましい存在だ。政府が締め付けを強める最大手の美団が抱える出前スタッフの数は1000万人を上回るという。

 望ましくない産業をモグラ叩きしてその労働力を製造業のために回そうとしているのであれば、中国政府が介入についての統一的な見解を示せない理由がわかる気がする。

 中国政府が不退転の決意で「脱虚向実」を進めているようだが、3K仕事に就かなくなった現在の中国の若者たちに製造業の仕事を無理強いさせてもうまくいかないだろう。

恒大集団の危機、政府は荒療治に踏み切るのか

 中国政府のこのような無謀な取り組みは、かつての「大躍進政策」を彷彿とさせる。

 大躍進政策とは、中国の建国の父である毛沢東の指導の下、1958年から1961年にかけて実施された農業と工業の大増産政策のことだ。現実を無視した強権的な手法を用いたことが社会の大混乱を巻き起こし、中国国内で1500万人以上の餓死者が出るという悲劇の結末となった。

「脱虚向実」がもたらす悪影響でまず頭に浮かぶのは、長年懸念されてきた中国の不動産バブルがついに崩壊してしまうことだ。

 中国政府の締め付けにより、不動産企業は1日当たり1社のペースで倒産している。

 不動産業界全体が苦境となりつつある中、中国第2位の巨大不動産企業である恒大集団への中国政府の対応に世界の注目が集まっている。同社の債務は3000億ドルを超えており、膨大な負債を抱えたまま破産に追い込まれれば、中国の不動産市場全体がバブル崩壊となってしまう可能性が高いからだ。「最後の段階では中国政府は救済する」との見方があるが、「脱虚向実」の発想からすれば、不動産業界は最も望ましくないセクターだ。「製造業に余剰人員を提供するために荒療治に踏み切るのではないか」との不安が頭をよぎる。

 恒大集団の債務危機は社会不安に発展する兆しを見せている。同社が手がけた住宅購入者や従業員などが同社に対する抗議デモが起きており、中国政府は監視の目を光らせている(9月13日ブルームバーグ)。

 恒大集団のデフォルトを契機に中国の不動産市場全体が壊滅状態になれば、中国共産党による統治の正統性が大きく揺らぐことになることは間違いない。不測の事態も起きてしまうのではないだろうか。

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