―[ひろゆき連載コラム「僕が親ならこうするね」]―


 教育において大きなテーマである「いじめ」問題。「いじめ」にはさまざまな原因が存在するが、なかには「正義感」に起因するものもある。著書『僕が親ならこう育てるね』で教育論を上梓したひろゆき氏は、「正義の不確かさを子どもに教える必要がある」と説く。

◆復讐にも限度! いじめの糾弾は新たないじめを生む

 いじめを実行する人にはさまざまな理由があるとは思いますが、嫌がらせなどの悪意から始まるものだけではありません。正義感に起因するものもあります。

 最近では、過去にいじめをしていた小山田圭吾氏が、東京オリンピックに関わったことで問題視され、辞任に追い込まれました。そのとき、世間ではさまざまな声が上がりましたが、以下の意見について、みなさんはどこまで同意できますか?

いじめは良くない」
いじめをした人を許すべきではない」
いじめをした人が公の仕事をするのは良くない」
いじめをした人が人前に出る仕事をするのは良くない」
いじめをした人が作品を売るのは良くない」
いじめをした人の名前が視界に入るのは不快だ」
いじめをした人は世の中からいなくなればいい」
いじめをした人の家族が攻撃されるのは仕方ない」


 このように「いじめは良くない」の延長線でさまざまな考えが出てくるわけですが、「どこまでの行為が正義として許されるか?」は人によって判断が分かれますし、正義感から始まった行為は、止める人も少ないので、加速しやすいような気がしています。

小山田圭吾バッシングは新たないじめを生んだ

 いじめが良くないことには同意見ですが、そこからのいじめをなくすつもりで声をあげた正義感からくる小山田バッシングは、いつの間にか新たないじめを生んだと思うのです。

いじめ絶対悪で、根絶すべき」という考え方は、裏返すと「いじめをした人をいじめてもいい」という、いじめの肯定にも使われてしまう論理になります。

 人間、いつ自分が弱者になるかはわかりません。今が強者だからと弱者を切っていいと言っていると最終的には自分が弱者側になる可能性もあります。

◆「復讐にも限度がある」と忘れてはいけない理由

 そして、弱者だから強者を攻撃していいという考えは、「被害者は加害者に何をしてもいい」という攻撃の論理に繋がります。

 ハンムラビ法典は復讐を認めていますが、目には目まで、歯には歯までの復讐しか認めていません。復讐にも限度があるよ……というのを伝えているのです。

 世界のどこかで絶えず起きている戦争も、お互いの正義を振りかざしたことがきっかけで始まるものです。

◆正義であることを、絶対視してはいけない

 そう考えると、子どもたちには正義を絶対視してはいけないことを、きちんと教えたほうがいいのではないかと思います。

 とはいえ、人間以外の知能を持った動物でもいじめが発生することを考えると、いじめの根絶はなかなかできません。

 だから、実際は「問題が大きくならないうちにいじめを発見して早期に対処をするべき」ぐらいで収めておくのが現実的なのかもしれませんね。

ひろゆき
西村博之(にしむらひろゆき1976年神奈川県生まれ。東京都・赤羽に移り住み、中央大学に進学後、在学中に米国・アーカンソー州に留学。1999年に開設した「2ちゃんねる」、2005年に就任した「ニコニコ動画」の元管理人。現在は英語圏最大の掲示板サイト「4chan」の管理人を務め、フランスに在住。たまに日本にいる。週刊SPA!で10年以上連載を担当。『僕が親ならこう育てるね』という初の子育て論本が発売。著者印税は児童養護施設へのパソコン寄贈に充てられる

―[ひろゆき連載コラム「僕が親ならこうするね」]―


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