9月19日(日)、ワタナベエンターテインメントDiverse Theater(ダイバースシアター)『物理学者たち』のゲネプロ・プレビュー公演が下北沢・本多劇場にて行われた。

物理学者たち』は、スイスの作家フリードリヒデュレンマットが1961年に書いた戯曲を、ノゾエ征爾氏の演出により舞台化したもの。物語は、サナトリウム“桜の園”で起きた殺人事件を坪倉由幸(我が家)演じるリヒャルド・フォス警部が捜査しているシーンから始まる。緊張感のあるやり取りの中に織り込まれたクスっと笑える演技や、吉本菜穂子演じる婦長マルタ・ボルの違和感など、開幕早々に不協和音が生まれ、早くも会話劇の面白さを堪能できる。

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

ニュートンアインシュタイン、そしてメービウスを名乗る「物理学者」3人(温水洋一、中山祐一朗、入江雅人)や、メービウスを愛する看護師(瀬戸さおり)、メービウスの元妻リーナ(川上友里)とその家族など、ちょっとおかしなひとたちが入れ替わり立ち代わりに登場。

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

なかでも、サナトリウムを経営する院長マティルデ・フォン・ツァーントを演じる草刈民代は、バレエで培った凛とした立ち姿や身のこなしは封印し、“背中の曲がった老嬢”を怪演。院内で煙草を吸う、院長らしからぬ場面も。

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

度重なる殺人事件の真相に近づく第2幕、タイトルロールである“物理学者たち”3人が、科学者としての責務や思想を巡り、白熱した議論を繰り広げる。議論の末、それぞれが答えを見つけたかと思った矢先、急転直下の展開へ。

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

撮影=遠山高広

草刈民代、プロデューサーのコメントは以下の通り。

 

草刈民代(院長 マティルデ・フォン・ツァーント役)

私達は行き過ぎた資本主義によって生じる弊害に振り回されています。そして、このコロナ禍によって、自分たちが本来どのようにあるべきかを考えざるを得ない局面を迎えています。作者のフリードリッヒデュレンマットはすでに60年前にそのことについて熟考していた人だということがよくわかってきました。

この作品は喜劇と作者自身が定義をしています。登場人物はヘンな人ばかり。しかし、一番ヘンなのは・・・?

強烈な批判が込められているこの作品を、ノゾエ征爾さんは彼の世界観でエンタテイメント作品にしました。ぜひぜひ多くの方に観ていただきたいです!

 

綿貫凜(プロデューサー)※劇場配布リーフレットより

日本ではあまり馴染みのない、スイスの奇才・フリードリヒデュレンマット作「物理学者たち」は、ドイツ語圏でロングランしている傑作です。

劇構造がユニークで、コメディ、サスペンス、シリアスとあらゆる要素が盛り込まれており、最後の最後まで奇妙な登場人物たちに私たちの脳は刺激され続けるのです。どうかこの思考を止めない迷宮を存分にご堪能頂けたら幸いです。

私にとっては、今年このコロナ禍で2月にジャン=ポール・サルトル作「墓場なき死者」、5月にカレル・チャペック作「母 MATKA」に続き本作が3本目の翻訳劇の上演となります。いずれも負の連鎖と人間のむき出しのエゴを描き、時代を超えて訴えかけてくる戯曲です。

そして今、この日本で、デュレンマットを「発見」できたこと、それにはとても大きな意味があると感じています。

この作品の上演は、間違いなく私にとってターニングポイントとなりました。

最後になりますがこの企画にご尽力いただきましたすべての関係者の皆様

そして貴重なお時間を共有して下さったお客様に、心より深く感謝致します。

 

渡辺ミキ(プロデューサー)※劇場配布リーフレットより

今回「ワタナベエンターテインメントDiverse Theater」を立ち上げ、オフィスコットーネ 綿貫凜プロデューサーとの共同創作を進める中も、社会情勢は日々めまぐるしく変化しています。

そんな中、上演台本・演出のノゾエ征爾さんをはじめ、選りすぐりの俳優陣の皆さんは、デュレンマットが「物理学者たち」に込めた社会の構図の普遍的課題を、各所にちりばめられたユーモアと共に浮き上がらせるべく芝居作りに励んでまいりました。

演劇の多様性を模索しつづけた作劇の冒険が、コロナ禍という困難を乗り越え、1961 年に執筆された本作を甦らせると信じて。

本日は、本多劇場に足をお運びいただき、誠にありがとうございます。

ここ劇場という人生の縮図の場所で、毒と笑いの名作に、存分に没入いただけたら幸いです。