愛用するガラケーがそろそろ使えなくなるということで、先月、スマホに買い替えようと量販店に行きました。旦那がつきあってくれたので、私はサインをしたり住所を書くくらいでラクチンです。

 でも、カウンターの背の高い椅子でボーッとしていると、聞き慣れた量販店のテーマソングが繰り返し繰り返し耳に入りました。私はたまらなく苦痛になり、外に飛び出したくなりました。(全10回の9回目/#1#2#3#4#5#6#7#8より続く)

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後遺症で音とにおいに敏感に

 広い店内がガヤガヤする感じや、レストランで大きな声が飛び交うのがつらい。以前やっていたフラメンコも、踊ること自体は楽しいのですが、大人数が歌ったり騒いだりしているのはやっぱり苦手です。パーティーはすっかりごぶさたしています。

 くも膜下出血脳梗塞の後遺症なのか、音に関してかなり敏感になっているみたいなのです。

 音もそうですが、鼻もやや敏感になりました。雨が上がったあとの下水のニオイも我慢できないし、電車でこれはたまらないぞと思ったら、下りて次の電車に乗り換える。人知れず頑張っている私です。

まだ「右」と「左」の区別がつけらない

 この連載が始まってから、早くも1年がたちました。『週刊文春WOMAN』編集部が 「くも膜下出血脳梗塞の体験談を書いてみませんか?」と私に声をかけてくれたのは2019年秋のこと。

 原稿依頼は久しぶりで、もちろんうれしかったのですが、同時に不安もありました。料理も掃除も洗濯も買い物もできるし、家族との日常会話もなんとかなっていますが、でも、私にはまだ「右」と「左」の区別がつけられません。「おじいちゃん」と「おばあちゃん」も混乱してしまい、いつも「おば……おじいちゃん」と言ってしまいます。

 クルマの助手席に乗っても、私が知っている道を旦那に伝えるのはほぼ不可能です。「大通りを右、じゃなくて左」。右と左じゃエラい違いです。結局、指さして「こっち」とやるしかありません。

 数ヶ月前に温泉宿に行きましたが、浴衣の合わせが右前か左前かがわかりません。以前は和裁教室で着物を縫っていたのに。

 フラメンコの演舞では大勢で揃えることがありますが、右も左もわからない私に、みんなひやひやしたはずです。フラメンコでは足を踏み鳴らすことがあります。左足は普通に鳴るのですが、鈍くなった右足は音が出ません。

 日常でも靴下を履いているうちに、右の靴下だけ足首の周りをくるくる回ってしまう。気づけばかかとの位置がずれて手前にきています。右足が自分の一部だという感覚が乏しいのでしょう。

 そんな状態の私に原稿が書けるのだろうか? ましてや連載をするなんて、どう考えても無理じゃないの? と考えましたが、旦那の勧めもあって、勇気を出して書いてみることにしました。

あれよあれよという間に受講者に

 タイミングがよかったのは、2018年春から1年間、「初心者パソコン教室」に通っていたことです。散歩の途中にパソコン教室の貼り紙を見つけ、中を覗き込むと「明日からスタートよ」と言われ、あれよあれよという間に受講者になりました。年々受講者が減り、高齢化もあって存続が難しく、あと一年で解散と決めていたそうです。

 最初のうちは送信がうまくできず、違う友達にメールを送りつけたり、友達との約束の時間を間違えて送ってしまったりしました。いまでも時々「宛先って誰のことだろう? もしかしたら私のこと?」などと考えてしまいます。

 文章は自分で書いていてもヘンだと思うし、そもそも日本語が怪しいので変換もうまくいかない。カタカナはなかなか出てこないし、ローマ字が出てくるとお手上げです。いまだに私の語彙は極端に少なく、順を追って話すのもなかなか難しいという状況です。

 さて、今回からは、私が10年前にくも膜下出血を起こしてから具体的に起こったできごとを、もう少し詳しく、時間を追って振り返ってみたいと思います。

“今生の別れ”に空腹を訴える

 私が激しい頭痛に襲われたのは、2009年11月22日(日)のこと。27日には大学病院に行き、くも膜下出血、および破裂動脈瘤と診断されました。

 お医者様からは「すぐに手術しましょう。命に関わります」と言われましたが、私は拒否。

 旦那はお医者様から「放っておけば、この先どんなことが起こるかわかりません。水頭症は恐ろしい病気です」と手術を強く勧められましたが、私の意志を尊重してくれました。

 この時は帰宅しましたが、一週間後、私は手術を受けることを決めました。

 10年連用日記をつけている旦那は、次のように書いています。

2009年12月4日(金) 大学病院に行くと、K先生は「今日手術しちゃいますか?」急速な展開に驚いた。》

「手術は今晩行います。それまでに入院手続きをして下さい」

 と言われた私たちは、病院の最上階にあるレストランに行きました。これから入院するのなら、当分おいしいものが食べられなくなるだろうと考えたからです。

何が起こるかわからない状態なんだな

 何を食べたかは忘れてしまいましたが、たぶん私はいっぱい食べたはずです。旦那は「あなたみたいに訳の分からないわがままな患者は、家に帰すと帰ってこない可能性がある。だから、お医者さんは、いますぐ拘束して手術しちゃおうと思っているんだよ」と言いました。

 夜の病院はシーンとしていました。外来の診療時間が終わったからです。手術室の前にある長椅子には、私と旦那だけが、ぽつんと座っていました。

 書類を読んだりサインをしたりして入院手続きを終えた旦那は、一旦家に帰り、パジャマオムツ、くし、歯ブラシ歯磨きなど入院道具を揃えてすべてに名前を書くなど、せわしなく動いてくれてから病院に戻っていました。

 やがて看護師さんが車椅子を持って来てくれました。私は歩けるんだから必要ないのに、と思いましたが、それほど何が起こるかわからない状態なんだな、と思い直しました。

 車椅子で移動する時、顔を知っているお医者様がちらほら見えました。それからガウン着替えて手術台に寝かされました。

たぶん、死んでから慌てるんでしょう。

 麻酔薬を注射され、眠りに落ちる直前に旦那があらわれ、耳元で言いました。

「何か言っておきたいことはある?」

 へ? なんだろうなと思い「お腹がすいた」と答えました。

「ほ、ほかには!」

 ほかに?

 最後には、私は「歯が痛い」と言い残したそうです。呆然とたたずむ旦那。

 旦那は「愛してるわ、子供たちをお願い」みたいなロマンチックかつドラマチックな会話を期待していたようですが、意識を失う寸前の私は「歯が痛い」とは。

 ずっとあとになってから、旦那にこの時のことで散々文句を言われました。

「今生の別れになる可能性もあったのに、『子供をお願いね』とか『今までありがとう愛してるわ』とか、そういうドラマチックかつ感動的な会話が全然なくて『お腹がすいた』と『歯が痛い』なんてあんまりじゃない」

 だって、まだ死んでないし。

 手術をすることは決めたけど、死ぬつもりはないし、死ぬかもしれないとも全然思っていなかった。私はいつも120ポジティブなので、たぶん、死んでから慌てるんでしょう。

【後編を読む】意識不明の私が見た「悪夢」と旦那の「看病日記」

身体がボールのように膨らんで…くも膜下出血で手術、意識不明の私が見たおぞましすぎる「悪夢」 へ続く

(清水 ちなみ/週刊文春WOMAN 2021年 春号)

清水ちなみさん ©佐藤亘/文藝春秋